第十一話 侯爵邸
場の空気が、ぴんと張り詰めた。
ブラント伯爵夫妻は、言葉を失ってカイルを見つめる。
その沈黙を破ったのは、カイルだった。
「……エセル嬢との婚姻を望んでおきながら何ですが――」
彼は淡々と言う。
「はっきり申し上げて、あなた方は信用なりません。
プリニーツ伯爵との話が完全に白紙になったと確認できるまで、彼女は当家で預からせていただきたい。」
カイルが、有無を言わせぬ口調で言い放つ。
エセルの両親は一瞬、言葉を失った。
だが――さすがに承服しかねると、父が口を開きかける。
しかし、その言葉を遮るようにカイルが続けた。
「おっしゃりたいことは、わかっております。
しかし――私もプリニーツ伯爵がどのような人物か、多少は知っている。
正直に言えば……婚約どころか、婚姻まで。彼女には我が邸で過ごしてもらいたいくらいだ。」
「――卿も、どうしてもエセルを諦めないと申すのですな……。
まったく……プリニーツ伯といい、あの行き遅れの娘の、どこがそんなに気に入ったのやら……」
ブラント伯爵は、心底困ったように眉間を揉んだ。
「エセル嬢の気持ちを差し置いても。
ご両親のみを通したプリニーツ伯爵と――彼女の主人である第七王女殿下を介した私。
どちらの申し込みに、より正当性があるか、わざわざ言わなくてもおわかりだと思いますがね。」
カイルの横に立ったエセルは、どこか空しいような気持ちで両親を見ていた。
――ずっと家に、それなりの額を入れてきたつもりだったけれど……
父上は、本当に私を、ただの行き遅れくらいにしか思っていなかったのね……
貴族の娘にとって、結婚は政略や金策の道具に過ぎないとはいえ、
ここまで露骨に言われると、さすがのエセルも胸の奥が、じわりと冷えていくのを感じた。
少し俯いたエセルの肩を、ふわりとカイルが包み込む。
「とにかく、現状では――
求婚者としてはもちろん、騎士としても。彼女をここに置いて帰るわけにはいきません。
まずは断りの書状を。
最低限書面にて契約の破棄と、縁談の凍結を取り付けてください。」
カイルは一方的に話を切り上げると、エセルを促し、マントを翻して門の方へと歩き始めた。
――家の中にすら、入らなかったな……
ノクスの背へ引き上げられながら、ふとエセルは自室を思い浮かべ、未練がないことに苦笑する。
思い返せば思い返すほど、自分の興味も関心も、執着も欲望も、
すべてが綺麗にカイルへと向かっていたことに気が付いた。
「では、ブラント伯爵。良い知らせを待っていますよ。
ああ、一か月以内に返済分は、後ほど家令に届けさせます。ご安心を。」
カイルはそう言い残すと、軽く踵で腹を促した。
ノクスは静かに門を離れ、歩き出す。
「カイル様……ありがとうございます。
あの――やっぱり、プリニーツ伯爵は、噂通りなのですか?」
馬上で、エセルがそっと尋ねた。
カイルは進行方向に視線を定めたまま、答える。
「社交界で囁かれている噂なら、概ね真実だ。
ただ、婚姻となれば基本は家同士の問題だ。
結婚後のことは夫婦の問題。
領地内のことは伯爵家の問題――
これまでは、王国が介入することはなかった。
だが――そろそろ、目をつぶり続けるのも難しい事態になってきている。」
「……その……“ただの変態伯爵”ではなく、
“とても怖い変態伯爵”、ということですか?」
「ああ、そうだな。伯が残忍でアブノーマルな癖を持っているのは確かだ。
だが厄介なのは――そういった趣向を持つ連中の間で、リーダーのような立場になっていること。
法の目をかいくぐり、女衒まがいのこともしているらしい。
……と、このような話は、
年頃の令嬢に聞かせるものではないな。」
話しているうちに、ブラント伯爵邸のある街区とは違う一角へ入っていた。
歴史の古い、由緒ある高級な一角。そこにヴァルデン侯爵邸があった。
「結婚した長兄は別邸に。
次兄はだいたい領地にいるし、
私は騎士団に詰めていることが多いので私邸は持っていない。
両親のいる侯爵邸に、住まわせてもらっている。」
――ちょっ……ちょっと待ってぇぇぇっっっ
ってことは、これからカイル団長のご両親とご対面ってことですかぁぁぁぁっっっっ??
えっ、えっ、えっ、ええええっっっ。
それって普通なら、正式なお付き合いとか――結婚の挨拶ってやつでは!?
ええええっっっ、そこまでやっちゃう!?
両親との対決ですっかり忘れていた事実が、今さらながら襲ってきた。
馬上でエセルは、妙な緊張とともに滝のような冷や汗をかき始める。
だが、ノクスは無情にも歩みを止めない。
ほどなくして、目的の門扉へとたどり着いてしまった。
前庭を通り抜け、あっという間に白亜の邸宅の玄関ポーチに到着した。
エセルの覚悟が整う前に、カイルは何のためらいもなくドアをノックする。
ほどなくしてドアが開かれ、二人は邸宅内へと歩を進めた。
玄関ホールを中ほどまで進んだ時、奥の廊下から車いすの令嬢が現れた。
ウェーブのかかった長い金髪。
透き通るような白い肌。
華奢な身体を、ネグリジェのような白いドレスが包んでいた。
途中までメイドに押してもらっていた彼女は、
カイルに近づくと、自分の力で車いすをこいでくる。
「カイル、お帰りなさい! 思っていたより早かったわね。」
彼女は両腕をカイルへ広げ、抱擁を求める。
カイルも柔らかな笑みでそれに応えた。
カイルの腕の中で、彼女はふとエセルを一瞥する。
――敵意のこもった目だった。
「エセル嬢、紹介しよう。
こちらはセリーナ・アルシア。遠縁の親戚だが、諸般の事情で侯爵家で引き取り養育している。
家族同然の、大切な女性だ。」
カイルは彼女の少し後ろに立ち、その肩に手を置いて紹介した。
――家族同然……
大切な……女性……
こんなに優しい目をしたカイルを、エセルは知らなかった。
頭から冷水をぶっかけられたような気がした。
ショックを受けているエセルに気づかないまま、カイルは紹介を続けようとする。
「セリーナ、こちらはエセル・ブラント――」
「カイル――、そんなことより、部屋まで送って下さらない?
私、ずっとカイルの帰りを待っていたし、急に動いたから、疲れてしまったわ。」
セリーナはカイルにしなだれかかり、猫なで声で言った。
「本当か?! 最近はずいぶん体力もついて、長い時間起きていられると聞いていたが――」
「ええ。でも今日はなんとなく眠たくって……部屋まで押してくださるかしら?」
慌てているカイルに、彼女は上目遣いで訴えつつ、ときおりエセルの方へ視線を流す。
「カイル様、セリーナ様をお連れください。私はここでお待ちしていますので……」
エセルは、彼女の求めているであろうことを読み取り、笑顔で取り繕いながら申し出た。
「……すまない。すぐに戻るから――、おい、彼女を応接室へご案内しろ。」
カイルは、手近にいた使用人に声をかけて、セリーナの車いすのハンドルを握るのだった。
案内された応接室で、カイルの戻りを待つ間、エセルは先ほどの顛末をぼんやりと思い返していた。
――あの人、遠縁だって言っていたけど、ヴァルデン侯爵家と別の家名だったわね……
テーブルの上では、お茶が湯気を立てており、まだ水面が揺れていた。
――カイル様は、『家族同然の大切な女性』って言った。
もしかして、本命って、セリーナ様の事ではないかしら……
ふと思い当たると、なんだかもっともらしく思えてくる。
――そうよ……愛し合っているのに、きっとお体が弱くて、婚姻を結べない。
だから、カイル様は彼女に操を立てていて、防波堤として私が必要だったのよ。
セリーナという存在が、きっかけのピースとなって、頭の中で次々と出来事や、状況が繋がってゆく。
「そうよ! 団長の本命の想い人って、きっとセリーナ様なんだわ。
だって、あんな優しげな表情の団長、初めて見たもの。」
声に出してみると、ますます真実味を帯びた。
――そうなのよ。きっと私に期待されているのは、セリーナ様に付与魔法を施すこと……ではないかしら。
ああ、間違いない。きっとそうだわ。
そう結論づけると、エセルはささくれだった心を落ち着けようとティーカップに手を伸ばす。
覚悟はしていたけれど、
いざ現実になると、なかなかに痛い。
お茶を三口で飲み干す。
最後の一口――
「痛っ……」
鋭い痛みが走る。
唇を押さえると、指先に血がついた。
カップの底を見ると、
鋭いガラス片が、残った茶に沈んでいた。




