第一百四十八話 異変
「……これで、すべて丸く収まったな」
小さく息を吐き、肩の力を抜く。
「さて……どこへ行くか」
ふと思い出す。
「そういえば、ノアを南海に連れて行く約束……まだ果たしてなかったな」
わずかに口元が緩む。
「……よし、まずは海だな」
――そのとき。
「――違う」
どこからともなく、声が響いた。
「お前は今、境地が満ちた。飛昇すべき時だ」
陸虚は眉をひそめる。
「……まだ、その時じゃない」
「いや――今だ」
その声音は、どこか妙に“近い”。
その瞬間――
(……おかしい)
違和感が、確信へと変わる。
「……お前、誰だ」
短く、鋭く問いかける。
すると――
「誰、だと?」
くぐもった笑い。
「――俺は、お前だ」
その一言で。
陸虚の脳裏に、オグドン校長の言葉がよぎる。
(邪神……――心魔か)
次の瞬間。
身体の感覚が、わずかに遠のいた。
(まずい……制御が――)
意識の主導権が、ゆっくりと侵食されていく。
だが――
「……なら、先に潰す」
躊躇はなかった。
瞬時に決断し――
陸虚は自らを中心に、巨大な雷の結界を展開する。
無数の“誅邪神雷”が、空間を埋め尽くした。
轟音とともに、雷光が暴れ狂う。
その影響の中で――
ついに“それ”は姿を現す。
輪郭の曖昧な、もう一人の陸虚。
同時に。
精神体としての陸虚自身もまた、顕現していた。
現実の肉体は――
まるで糸の切れた人形のように、動かない。
異変に気づいた一同は、一斉に駆け出そうとした。
その中で、ヴァルゼリナが目を細める。
「……陸虚の様子、まるで以前のアイスと同じではないか」
ちらりとアイゼルを見る。
「邪神に憑かれていたときのな。……ふむ、また綱引きでも始まったか?」
「ならば妾が引きずり出してやろうぞ」
次の瞬間、紅き巨竜の姿を現し、そのまま雷池へ突っ込もうとする。
だが――
「待て」
低く、しかし確かな声。
上空から舞い降りたアイスが、その動きを制した。
そのまま前足でヴァルゼリナを押さえる。
「今回の状況は、あの時の俺とは違う」
静かに言い切る。
「あの時の俺は、完全に支配されていた。抵抗すらできなかった」
「だが――」
視線を雷池へ向ける。
荒れ狂う雷光の中心。
「これは違う。あの雷は、陸虚自身が張ったものだ」
「我々を近づけさせないための、結界だ」
ヴァルゼリナの動きが止まる。
「……何?」
アイスはさらに、雷の奥にある“それ”を指し示す。
「見ろ」
そこには――
ぼんやりと輝く、二つの光。
互いにぶつかり合うように揺れている。
「今、彼は……内で戦っている」
「邪神と、な」
その言葉に、場の空気が凍りつく。
アイゼルが一歩前に出る。
「父上……前回は、陸先生が秘術で邪神を引きずり出しました」
「ですが…… 俺たちには、それができません」
拳を握りしめながら、必死に問いかける。
「……何か、手伝えることはないのですか?」




