第9話 朝比奈邸の食卓会議
朝比奈邸の食卓が、狭くなった。
正確には、狭くなったわけではない。
八人くらいなら余裕で座れる、大きなダイニングテーブルである。
ただ――。
「……なんで全員いるんだ?」
ユウトはトーストを持ったまま、改めて周囲を見回した。
向かいにはメグミ。
その横にはリナ。
さらに白衣姿のミナミ。
端の席には、ノアが背筋をぴんと伸ばして座っている。
そして。
「ご主人様、こちらへどうぞっ!」
サッちゃんが、ユウトの隣の椅子を引いた。
「いや、いつもの席そこなんだけど」
「はいっ! ですので確保しましたっ!」
「確保する必要ある?」
「ご主人様の隣は護衛効率が最大です!」
「朝飯に護衛効率はいらないだろ」
そう言いながら座ると、サッちゃんも当然のように隣へ腰を下ろした。
しかも少し近い。
肩が、かすかに触れる。
ユウトは横を見る。
「……サッちゃん」
「はいっ!」
「近くない?」
「護衛距離ですっ!」
「そんな距離あるの?」
「ありますっ!」
胸を張って言い切られた。
向かいでメグミが味噌汁を飲みながら笑っている。
《現在の朝食参加者、六名》
KAINが律儀に報告した。
「数えなくていい」
《以前の平均参加人数は一・三名です》
「比較もしなくていい」
メグミが首を傾げる。
「〇・三は誰?」
《相沢メグミ様です》
「わたし?」
《訪問頻度から算出しました》
「そこまで計算されてるんだ……」
少し前まで、この広すぎる食卓に座るのは、ほとんどユウト一人だった。
今では、席の取り合いが起きそうな勢いである。
「ご主人様!」
隣からサッちゃんが勢いよく手を上げた。
近いので、腕がユウトの肩すれすれを通った。
「提案がありますっ!」
「まず腕を下ろして」
「はいっ!」
「で、何?」
「今後の食卓における座席を固定しましょう!」
「なんで?」
「緊急時の退避経路を最適化できますっ!」
「食卓に緊急時を持ち込むな」
ノアが静かにテーブルを見渡す。
「合理性はあります」
「ノアまで乗らなくていい」
「窓側は外部からの攻撃に対して――」
「朝飯を狙撃前提で考えるな」
「承知しました」
リナが紅茶を置いた。
「二人とも、食事くらい静かにしなさい」
「はいっ!」
「承知しました」
返事だけは素直だった。
その横でミナミがトーストをかじりながら手を上げる。
「じゃあ席そのものを動かす?」
リナが即答した。
「却下」
「まだ説明してない」
「必要ないわ」
「毎日違う人の隣に座れる回転式とか面白くない?」
メグミが少し笑った。
「それはちょっと楽しそう」
「でしょ?」
「メグミまで乗るな」
ユウトは額を押さえた。
朝食を食べたいだけなのに、どうしてこうなるのか。
《提案》
KAINの声が響いた。
《居住者および準常駐者の増加に伴い、朝比奈邸の生活ルール再設定を推奨します》
全員の動きが止まる。
「生活ルール?」
《過去七十二時間、無断接続試行、深夜訓練、館内無音移動、冷蔵庫内所有権問題などを確認しています》
ユウトは最後の一つに引っかかった。
「最後だけ急に平和だな」
メグミとミナミが、同時に目をそらした。
「……何があった?」
「あとで」
メグミが小声で答える。
嫌な予感がする。
とはいえ、KAINの言うことにも一理あった。
人が増えた。
しかも普通ではない人間が多い。
「……じゃあ、決めるか」
サッちゃんが勢いよく立ち上がった。
「朝比奈邸生活作戦会議を開始しますっ!」
「食卓会議でいい」
「了解しましたっ!」
ノアはすでに手帳を開いている。
「議事録を作成します」
「そこまで本格的にしなくても……まあ、今回はいいか」
ミナミが手を上げた。
「議長は?」
全員の視線がユウトへ集まる。
「俺?」
「家主でしょう」
リナが当然のように言った。
「こういう時だけ家主扱いするよな」
「普段からご主人様ですっ!」
「それはサッちゃんだけ」
「はいっ!」
話が進まない。
ユウトは咳払いした。
「まずミナミ」
「はい」
「地下室で爆発させない」
ミナミが一瞬黙る。
「……小規模も?」
「規模の話じゃない」
「煙だけなら?」
「駄目」
「厳しいなあ」
リナが横から付け加えた。
「屋敷の設備への無断接続も禁止」
「それはわかってるって」
《昨夜二十三時四十一分、館内ネットワークへの接続要求を検出》
「KAIN!」
《事実です》
ミナミが笑う。
「確認しようと思っただけ」
「接続してから確認する気だっただろ」
「ばれた?」
「はい、次」
ノアのペンが走る。
「松戸ミナミ殿。爆発および無断接続禁止」
「爆発だけ字が大きくない?」
「重要です」
「次、サッちゃん」
「はいっ!」
「深夜訓練禁止」
サッちゃんの顔が真剣になる。
「緊急時でもですかっ?」
「本当に緊急ならいい」
「火災の場合は?」
「起こして」
「侵入者の場合は?」
「起こして」
「巨大隕石」
「それも起こしてくれ」
サッちゃんは満足そうにうなずいた。
「了解しましたっ!」
メグミが吹き出す。
「巨大隕石まで来たら、起きてもどうしようもなさそうだけどね」
「言うな」
「次は、わたしでしょうか」
ノアが自分を指した。
「自覚あるんだな」
「はい」
「家の中では気配を消しすぎない。あと突然背後に立たない」
ノアは少し考える。
「接近前に挨拶」
「昨日覚えたやつでいい」
「承知しました」
ノアは手帳に書き込んでから顔を上げた。
「おはようございます。朝比奈殿」
「今じゃない」
「確認です」
真顔だった。
少しは慣れたらしい。
「じゃあ、リナさんは?」
メグミが尋ねる。
全員の視線がリナへ集まった。
リナは何事もないように紅茶を口にする。
「私は特にないでしょう」
一瞬、静かになった。
隣でサッちゃんが勢いよく手を上げる。
「ありますっ!」
「何かしら」
「わたしが片づけようとした場所が、先に片づいていますっ!」
「片づけただけよ」
「洗濯物も先に畳まれています!」
「畳んだだけね」
「エプロンまで直されました!」
「曲がっていたから」
サッちゃんが悔しそうに拳を握った。
「仕事がありませんっ!」
「早い者勝ちよ」
「家事を競技にするな」
ユウトが割って入った。
メグミが苦笑する。
「二人で分けたらいいんじゃない?」
「分ける?」
サッちゃんとリナが同時に振り返った。
「うん。料理する人と片づける人とか。朝と夜で交代するとか」
リナが少し考える。
「悪くないわね」
サッちゃんの顔がぱっと明るくなる。
「共同任務ですねっ!」
「家事よ」
「はいっ!」
ノアが記録する。
「家事担当、協議制」
ユウトは感心したようにメグミを見る。
「メグミが一番まともに会議してるな」
「なんでわたしまで参加してるんだろ」
「普通に朝飯食ってたからじゃないか?」
「そうだった」
メグミが笑う。
「で、今どこまで決まったんだ?」
ユウトがノアの手帳をのぞこうとすると、
「こちらですっ!」
なぜかサッちゃんも同時に身を寄せてきた。
ふわりと金髪が揺れる。
毛先が、ユウトの頬をくすぐった。
「……サッちゃん」
「はい?」
「近い」
「見えませんかっ?」
「見えるよ。近すぎるくらい」
サッちゃんが一瞬だけ瞬きをした。
「あ」
ようやく距離に気づいたらしい。
けれど、離れるより先にミナミが口を挟む。
「仲いいねえ」
「違いますっ!」
サッちゃんが勢いよく身を戻した。
耳が少し赤い。
ユウトも何となくノアの手帳へ視線を戻す。
「……で、続き」
「朝比奈殿、顔が赤いです」
「ノア、それは記録しなくていい」
「まだ記録していません」
「“まだ”って言うな」
その時、ミナミが思い出したように手を上げた。
「そうだ。メグミちゃんにもルール必要じゃない?」
「わたし?」
「冷蔵庫のプリンに名前を書く」
メグミの目が細くなる。
「……昨日の?」
「食べてないよ?」
「食べそうになったんでしょ」
「寸前でKAINに止められた」
《所有者情報を通知しました》
メグミは静かにうなずいた。
「名前、書きます」
ノアが記録する。
「冷蔵庫内個人所有物への記名」
「それも議事録に入るんだな」
「重要事項です」
「平和な重要事項だな」
いつの間にか、会議はずいぶん細かいところまで来ていた。
ユウトはトーストを置き、食卓を見回す。
サッちゃんとミナミは、また何か小声で話している。
ノアは律儀に議事録をまとめている。
リナは二人が妙な方向へ行かないよう見張っている。
メグミは、そんな全員を見ながら朝食を食べていた。
ほんの少し前まで。
このテーブルは、大きすぎた。
椅子もほとんど使わなかった。
朝食なんて、ただ食べて学校へ行くだけだった。
それが今では――。
「ご主人様?」
すぐ隣から、サッちゃんの声がした。
気づけば、彼女がユウトの顔をのぞき込んでいる。
「どうしました?」
「いや。なんでもない」
「顔が少し赤いですっ!」
「そうか?」
サッちゃんの表情が、一気に真剣になった。
「体調不良の可能性があります!」
「いや、大丈夫――」
「熱を確認しますっ!」
サッちゃんが身を乗り出す。
「ちょ、待っ――」
こつん。
額と額が触れた。
青い瞳が、すぐ目の前にあった。
「……」
「……」
近い。
さっきより、ずっと近い。
サッちゃんの頬が、ほんの少しずつ赤くなっていく。
なのに。
すぐには離れなかった。
まるで本人も、どうして動けないのかわからないように。
ユウトも何を言えばいいのかわからない。
ほんの数秒。
食卓の騒がしさが、遠くなった。
「お?」
ミナミの声がした。
二人が同時に我に返った。
「近い!」
「す、すみませんっ!」
サッちゃんが勢いよく離れる。
今度は明らかに顔が赤い。
「た、体温確認をしようと……!」
「手でいいだろ!」
サッちゃんが目を見開く。
「なるほどっ!」
「今覚えるのか!」
向かいでメグミが笑いをこらえている。
リナは何も言わず紅茶を飲んだ。
ノアだけが手帳へ視線を落とす。
「記録しなくていいからな」
ぴたりとペンが止まった。
「まだ何も」
「書こうとしてたよな?」
「健康確認方法について」
「それもいらない!」
リナが静かに口を開いた。
「では次の議題ね」
「まだやるの?」
「サッちゃんの健康確認方法」
「議題にしなくていい!」
ミナミが楽しそうに手を上げる。
「非接触式の体温測定器なら作れるよ」
「普通の体温計でいい!」
食卓が、また一気に騒がしくなった。
やがてKAINの声が響く。
《追加議決事項を確認》
「まだあるの?」
《朝食時、都合のつく者は可能な限り食卓へ集合する》
ユウトが顔を上げた。
「……それ、誰が決めた?」
サッちゃんが元気よく手を上げる。
「わたしですっ!」
「いつ?」
「先ほど議題に追加しましたっ!」
ノアが議事録を見る。
「賛成五、反対ゼロ、棄権一です」
「俺が棄権?」
ノアは真顔で答えた。
「朝比奈殿は、サッちゃん先輩との接触により回答不能でした」
「そこまで記録してるじゃないか!」
食卓に笑い声が広がった。
ユウトは、もう一度みんなを見る。
大きすぎたはずのテーブルが。
今は、ちょうどいい。
隣を見る。
サッちゃんも、こちらを見ていた。
目が合う。
さっきのことを思い出したのか、彼女は一瞬だけ頬を赤くする。
けれど、すぐにいつもの笑顔になった。
「ご主人様も、賛成ですかっ?」
「……まあ」
ユウトは少しだけ視線をそらした。
「それくらいなら、いいんじゃない」
サッちゃんの顔が、ぱっと明るくなる。
「賛成を確認しましたっ!」
《賛成六へ更新します》
「KAINまで!」
メグミが笑う。
そして、ふと思い出したように言った。
「プリンのルールも忘れないでね」
ユウトは少し考える。
「それ、本当に必要?」
メグミの笑顔が消えた。
「必要」
ミナミも小さく頷く。
「必要だね」
「お前は原因側だろ」
第一回、朝比奈邸食卓会議。
たぶん、成功。
少なくとも。
明日の朝も、この食卓が静かになることはなさそうだった。




