第3話 朝食は補給任務ではありません
翌朝。
ユウトは、自分の空腹で目を覚ました。
《おはようございます、ユウト様。睡眠時間は推奨値を下回っています》
「誰のせいだと思ってるんだ……」
《主な要因は深夜二時三分から二時二十九分までの緊急脱出訓練です》
「知ってる」
重い体を起こし、制服に着替える。
部屋を出た瞬間、廊下の奥からいい匂いがした。
味噌汁。
焼き魚。
炊きたてのご飯。
「……普通に朝飯の匂いだ」
ユウトは少しだけ期待した。
昨日からいろいろあったが、サッちゃんは有能だ。掃除も速いし、動きも正確。料理もできると言っていた。
もしかすると、朝ごはんだけは普通かもしれない。
そう思って食堂に入ると、サッちゃんが満面の笑顔で待っていた。
「おはようございます、ご主人様っ!」
黒い戦闘メイド服に白いエプロン。金髪を揺らし、青い瞳を輝かせながら、彼女は朝食の前に立っていた。
「おはよう。……お、すごいな」
テーブルの上には、和食の朝食が並んでいた。
ご飯。味噌汁。焼き魚。卵焼き。小鉢。
見た目は完璧だった。
「普通にうまそう」
「記録しますっ!」
「何を?」
「ご主人様より『普通にうまそう』評価をいただきましたっ!」
《KAIN、記録しました》
「KAINも記録しなくていい」
サッちゃんは胸を張った。
「本日の朝食補給メニューですっ!」
「台無しだよ」
「はいっ?」
「朝ごはんを補給任務って呼ぶな」
サッちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「朝食は一日の活動エネルギーを補給する重要任務ですっ!」
「間違ってはいないけど、そういうことじゃない」
ユウトは席についた。
サッちゃんが素早く説明を始める。
「主食は圧縮おにぎりですっ。移動中でも崩れにくく、緊急退避時にも摂取可能ですっ!」
「俺、学校行くだけなんだけど」
「味噌汁は推奨摂取温度六十二度。火傷リスクを抑えつつ、体温上昇効果を期待できますっ!」
「味噌汁に作戦説明がついてる」
「焼き魚は骨をすべて除去済みですっ。咀嚼中の緊急対応力を低下させませんっ!」
「魚くらい普通に食べさせてくれ」
「毒物検査も完了していますっ!」
「朝飯の前に言わないでほしかった」
ユウトは箸を取った。
とりあえず卵焼きを口に運ぶ。
「……うまい」
サッちゃんの顔がぱっと明るくなった。
「ありがとうございますっ!」
「本当にうまい。味はいい」
「味覚面、合格ですっ!」
「ただ、朝から緊張する」
「緊張」
「俺は兵士じゃない。高校生」
サッちゃんは真剣にメモを取るような顔をした。
「高校生用朝食補給メニューへの再調整が必要ですねっ!」
「だから補給を外せ」
「高校生用朝食」
「まあ、それならいい」
ユウトは味噌汁を飲んだ。
味も香りも、たしかにいい。
でも、テーブルの横に立つサッちゃんがずっと背筋を伸ばして見ているせいで、妙な試験を受けている気分になる。
「サッちゃん」
「はいっ!」
「座らないのか?」
「給仕中ですのでっ!」
「サッちゃんも食べるんだぞ」
「わたしも、ですかっ?」
「当たり前だろ。一緒に朝飯なんだから」
サッちゃんは、きょとんとした。
その表情が、ほんの少しだけ幼く見えた。
《補足情報。ユウト様の単独朝食率、過去一年で九十三パーセント》
「余計な情報出すな」
「ご主人様は、普段お一人で朝食を?」
「まあ、そうだな」
「では、わたしが同席することで、朝食環境が変化しますっ!」
「そういう言い方は硬いけど、まあ変わるな」
サッちゃんは少し迷ってから、テーブルの向かいに座った。
姿勢がよすぎる。
背筋は一直線。膝の角度まで揃っている。箸を持つ姿も妙に戦闘前の構えに見える。
「もっと楽にしていいぞ」
「楽に」
「普通に座ればいい」
「普通に」
「その言葉で固まるな」
サッちゃんは少しだけ肩の力を抜いた。
ほんの少しだけ。
それでも、さっきよりは自然に見えた。
「いただきます」
ユウトが言うと、サッちゃんも少し遅れて続けた。
「いただきますっ」
二人で朝食を食べる。
それだけのことなのに、食堂の空気が昨日までと少し違っていた。
「この味噌汁、冷めても結構うまいな」
ユウトが言うと、サッちゃんは自分の椀を見た。
「推奨温度より低下していますが……」
ひと口飲む。
そして、目を少し見開いた。
「……最適温度だけが、正解ではないのですねっ」
「味噌汁でそんな学び方するのか」
「重要ですっ!」
ユウトは卵焼きをもう一切れ食べた。
「これなら毎朝食べられる」
サッちゃんの箸が止まった。
「毎朝」
「うん。サッちゃんが作ってくれるなら、ありがたい」
「ご主人様と、朝食」
「そう。サッちゃんと朝食」
サッちゃんは、なぜか少しだけ姿勢を正した。
けれど、表情はさっきより柔らかかった。
「継続任務として登録しますっ!」
「任務じゃなくて習慣な」
「朝食習慣、登録しますっ!」
《KAIN、朝食習慣を登録しました》
「KAINも乗るな」
食後。
ユウトは制服の上着を取り、玄関へ向かった。
サッちゃんは当然のようについてくる。
「登校ルートの安全確認に同行しますっ!」
「しなくていい」
「では、十メートル先行して安全確認を」
「しなくていい」
「では、屋根上から監視を」
「絶対だめ」
サッちゃんは真剣に悩んだ。
「ご主人様の登校支援範囲が不明確ですっ」
「玄関で見送ってくれればいいよ」
「見送り」
「うん。普通のやつ」
「普通の見送り」
また少し固まる。
それからサッちゃんは、玄関で背筋を伸ばした。
「いってらっしゃいませっ、ご主人様!」
声が大きい。
でも、悪くはなかった。
「行ってきます」
ユウトは靴を履き、ドアを開けた。
朝の光が差し込む。
昨日までなら、ただ一人で出ていくだけだった玄関。
今日は、後ろに誰かがいる。
「サッちゃん」
「はいっ!」
「朝飯、うまかった」
サッちゃんの顔が、ぱっと明るくなった。
「明日もお作りしますっ!」
「補給任務じゃないやつで頼む」
「朝食ですっ!」
「よし」
ユウトは少し笑って、外へ出た。
広すぎる屋敷の朝は、昨日より少しだけにぎやかだった。
一人で食べる朝食より、二人で食べる朝食の方がいい。
そんな当たり前のことを、ユウトもサッちゃんも、まだ覚え始めたばかりだった。




