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第11話 サッちゃんの買い物は物資調達



土曜日の午前十時。


ユウトが冷蔵庫を開けると、中は妙にすっきりしていた。


牛乳は残りわずか。卵は二個。野菜室には半分になったキャベツと、少しくたびれたニンジン。


「……何もないな」


背後から、さっと影が伸びた。


「はいっ!」


「近い近い」


振り返ると、サッちゃんがユウトの肩越しに冷蔵庫をのぞき込んでいた。


「食料備蓄率、三十八パーセントまで低下しています!」


「そんな数字で管理してるの?」


「当然ですっ!」


サッちゃんは胸を張った。


「牛乳、卵、食パン、野菜類、調味料の一部に補充が必要です。よって本日、物資調達任務を提案しますっ!」


「買い物な」


「はいっ! 物資調達です!」


「買い物」


サッちゃんの口が止まる。


「……買い物ですっ!」


言い直した。


ユウトは冷蔵庫を閉める。


「じゃあ、行くか」


「了解しましたっ!」


サッちゃんは廊下へ飛び出し、十秒ほどで戻ってきた。


肩には大きなバッグ。腰には小型ポーチ。いつもの指抜きグローブまでしっかり装着している。


「準備完了です!」


「スーパー行くだけだよな?」


「財布、買い物袋、タオル、携帯救急用品、予備バッテリー、筆記具を携行しています!」


「徒歩十分のスーパーに?」


「何が起きるかわかりませんっ!」


「何も起きないでほしいな」


ユウトは財布だけをポケットへ入れた。


二人を比べると、自分の方が妙に無防備に見えてくる。


          ◆


朝比奈邸からスーパーまでは、本当に徒歩十分だった。


天気もいい。


サッちゃんはユウトの半歩横を、妙にきびきびと歩いている。


「ご主人様。到着後は青果、鮮魚、精肉、乳製品、日用品の順に回れば、最短距離で必要物資を確保できます」


「そんな急がなくていいよ」


「ですが、移動効率が」


「今日は休みだし。ゆっくり見ればいいだろ」


サッちゃんの歩調が止まりかけた。


「……ゆっくり、ですか?」


「うん」


「買い物を?」


「普通はそうじゃない?」


サッちゃんは前を向いたまま考える。


「物資調達では、必要品を迅速かつ確実に――」


「買い物」


「……はい」


ユウトは笑った。


「欲しいものがあったら、それも見ればいいから」


サッちゃんがこちらを見る。


「わたしの、ですか?」


「サッちゃんも食べるだろ」


「ご主人様に必要なものを購入するのでは?」


「俺だけの飯じゃないんだから」


返事はなかった。


ただ、その後のサッちゃんの歩調は、さっきより少しだけゆっくりになった。


          ◆


スーパーへ入るなり、サッちゃんは買い物かごを一つ確保した。


「予備は必要でしょうか?」


「いらない」


「損傷時は?」


「普通、買い物かごは壊れない」


「なるほど」


何に納得したのかわからない。


野菜売り場では、キャベツを二玉持ち上げて見比べ始めた。


「こちらの方が二十八グラムほど重いです」


「手でわかるの?」


「はいっ!」


「その能力、そこで使うんだ……」


結局、重い方がかごへ入った。


ニンジン、ジャガイモ、タマネギと順番に選んでいく。


その並びを見て、ユウトは気づいた。


「これ、カレー作れそうだな」


「カレーですか?」


「嫌い?」


「いいえっ!」


「じゃあ今日、カレーにする?」


サッちゃんはすぐに頷きかけた。


「ご主人様がお望みなら――」


「俺じゃなくて」


ユウトはカレールーの棚を見る。


「サッちゃんは何食べたい?」


「わたし?」


サッちゃんの視線が止まった。


戦闘なら即座に判断するくせに、こういう質問には弱い。


「別に正解ないよ」


「ですが、ご主人様の好みを優先することが――」


「今日は一緒に食うんだろ?」


「はい」


「じゃあ、二人が食べたいものでいいじゃん」


サッちゃんは棚をじっと見つめた。


甘口。


中辛。


辛口。


視線が何度か行き来したあと、一本の指が辛口を示す。


「……少し辛いものが、いいです」


「辛口?」


「はいっ!」


今度の返事は速かった。


「じゃあ辛口にしよう」


ユウトが箱をかごへ入れる。


サッちゃんはそれを見たまま、口元を緩めた。


「今日の夕食は、辛口カレーですっ!」


「決まりだな」


「はい!」


ただのカレールーなのに、ずいぶん嬉しそうだった。


          ◆


必要なものは順調にかごへ入っていった。


牛乳、卵、食パン、洗剤。


そして、お菓子売り場へ差しかかった時だった。


サッちゃんの足が止まる。


ユウトも止まった。


「どうした?」


「いえ」


そう答えながら、視線は棚から動かない。


プリンだった。


「食べたい?」


「任務上の必要性はありません」


「質問を変える」


ユウトは棚を見る。


「サッちゃん、プリン好き?」


サッちゃんの返事は、ほんの一拍遅れた。


「……好きです」


「じゃあ買えばいいじゃん」


「ですが、予定外です」


「スーパーの買い物なんて、予定外くらいあるよ」


ユウトは二個入りのプリンを手に取り、そのままかごへ入れた。


サッちゃんがプリンを見る。


「二個?」


「俺も食うから」


「……一緒に?」


「同じ家に帰るんだから、そうなるだろ」


「はい」


それだけ答えて、サッちゃんは前を向いた。


けれど、数歩進んだところで、もう一度かごの中を確認していた。


ユウトは何も言わなかった。


          ◆


会計へ向かう途中だった。


品出し中の店員が、大きな台車を押して横の通路から出てくる。


もちろん、避ける時間はいくらでもあった。


サッちゃんなら、なおさらだ。


それでも。


「サッちゃん」


ユウトの身体が先に動いた。


腕を取って、自分の方へ引く。


「――っ」


サッちゃんの身体がすぐそばまで寄った。


次の瞬間、台車が二人の横を通過していく。


「すみません!」


店員が頭を下げ、そのまま進んでいった。


「大丈夫?」


ユウトが尋ねる。


返事がない。


サッちゃんは、自分の腕を見ていた。


そこでユウトも気づく。


まだ掴んだままだった。


「あ、ごめん」


手を離す。


「サッちゃんなら普通に避けられたよな」


「はい」


「だよな」


急に恥ずかしくなってきた。


「なんか、身体が勝手に動いた」


サッちゃんは掴まれていたところへ、そっと指を添えた。


「……ありがとうございます」


「いや、何もしてないけど」


「ご主人様が、わたしを守ろうとしてくださいました」


「守るってほどじゃないよ」


サッちゃんは首を横へ振る。


そして真っすぐユウトを見る。


「嬉しかったです」


今度はユウトが返事に困った。


「……そっか」


「はい」


周囲の音が、妙に遠く感じる。


「すみません、通っていいですか?」


後ろから声がした。


「あっ、すみません!」


二人同時に通路を空けた。


そのまま並んで歩き出す。


さっきまでより、少しだけ互いを意識しながら。


          ◆


会計を済ませ、買ったものを袋へ詰める。


サッちゃんは当然のように二つの袋を両方持とうとした。


「一個よこして」


「ですが、この程度の重量なら問題ありませんっ!」


「重さの問題じゃないよ」


ユウトは片方を取った。


「二人で買ったんだから、二人で持てばいいだろ」


サッちゃんが手元の袋を見る。


それから、ユウトが持つ袋を見る。


「……二人で」


「何?」


「いえ」


スーパーを出る。


来た時と同じ道。


でも帰りは、それぞれの手に買い物袋があった。


しばらく歩いてから、サッちゃんが口を開く。


「ご主人様」


「ん?」


「本日の物資調達任務ですが――」


そこで言葉が止まった。


ユウトが横を見る。


サッちゃんもこちらを見る。


「あ」


自分で気づいたらしい。


一度、言い直す。


「……今日の買い物」


「うん」


「楽しかったです」


ユウトは目を瞬いた。


それから笑う。


「俺も」


サッちゃんは買い物袋を持ち直した。


長い金髪の間から見える耳が、少し赤い。


「また……」


「ん?」


「また二人で買い物へ行ってもよいでしょうか」


「もちろん」


考える前に答えていた。


サッちゃんの顔がぱっと明るくなる。


「了解しましたっ!」


「そこはまだ任務っぽいな」


「……はい」


二人で笑った。


そのまま歩く。


いつの間にか、歩幅まで同じになっていた。


朝比奈邸までは、あと数分。


袋の中には夕食の材料と、二人分のプリン。


今日のそれを。


サッちゃんはもう「物資調達」とは呼ばなかった。

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