第12話 普通も、けっこう忙しい
朝。
校門をくぐったところで、ユウトは気づいた。
「あ」
隣を歩いていたメグミが振り返る。
「どうしたの?」
「弁当忘れた」
「また?」
「またって言うな」
「先月もやったじゃん」
「よく覚えてるな」
メグミは呆れたように笑った。
「サッちゃん、せっかく作ってくれたのに」
「そこなんだよな……」
朝比奈邸の食卓には、きちんと弁当が置いてあった。
サッちゃんが「本日の昼食ですっ!」と満面の笑顔で渡そうとしていたところまでは覚えている。
その直後、KAINから提出物の期限を告げられ、慌てて鞄を確認し――。
そのまま出てきた。
「怒るかな」
「サッちゃんが?」
「うん」
メグミは少し考えた。
「怒るより、届けに来そう」
ユウトは足を止めた。
「……ありそう」
その時。
「相沢!」
校舎の方から男子生徒が走ってきた。
「悪い、生徒会室の鍵って今ある?」
「あるよ。何号室?」
「第二会議室」
「じゃあ職員室に返す前に貸すね。使用簿だけ書いて」
「助かる!」
メグミは鞄から小さな鍵束を取り出し、一本を渡した。
男子生徒が走り去る。
ユウトが横目で見る。
「朝から忙しいな、生徒会長」
「まだ一件目だよ」
「一件目って言うなよ。怖いから」
その直後だった。
「あ、会長!」
今度は女子生徒がやってくる。
「昨日出した掲示物なんですけど、場所変えてもいいですか?」
「階段横?」
「はい」
「そこ避難経路だから駄目。図書室前なら空いてるよ」
「ありがとうございます!」
さらに。
「メグミ先輩、落とし物ってどこに――」
「職員室前の箱。財布とか貴重品なら先生に直接渡してね」
「はい!」
三人目が去った。
ユウトはメグミを見る。
「……朝から何人来るんだよ」
「さあ?」
「さあって」
メグミは普通に歩き始めた。
「いつものことだし」
本人だけが、まったく気にしていなかった。
◆
昼休み。
教室の扉が開いた。
「朝比奈ユウトさん、来客」
嫌な予感がした。
ユウトが廊下を見る。
そこにいた。
長い金髪。
黒と白のメイド服。
そして両手で大事そうに持たれた弁当箱。
「ご主人様!」
「やっぱり来た!」
サッちゃんがまっすぐユウトのところまで歩いてくる。
「昼食をお忘れですっ!」
「ごめん」
「朝比奈邸を出発されてから三分二十七秒後に発見しました!」
「もっと早く言ってよ」
「追跡を開始しましたが、登校時間への影響を考慮して一度中止しました!」
「判断が成長してる!」
以前なら学校まで全力疾走してきたかもしれない。
サッちゃんは弁当箱を差し出した。
「本日の昼食です」
「ありがとう。本当に助かった」
「はいっ!」
嬉しそうだ。
そこへ廊下の向こうから、メグミが歩いてきた。
ただし一人ではない。
一年生らしい女子生徒が二人、横についている。
「だから申請書は今日じゃなくても大丈夫。先生の確認だけ先にもらっておいて」
「はい!」
「ありがとうございます、会長!」
二人が頭を下げて去る。
サッちゃんがその姿を目で追った。
「メグミ様」
「サッちゃん? どうしたの?」
「ご主人様へ昼食を届けに参りましたっ!」
「あ、本当に来たんだ」
「やっぱりって何?」
ユウトが言うと、メグミは笑った。
「朝に予想してたから」
サッちゃんが首を傾げる。
「メグミ様は先ほどから何を?」
「生徒会の仕事」
「生徒会」
サッちゃんの目が鋭くなる。
「学校内指揮組織ですねっ!」
「そんな大げさなものじゃないよ」
「多数の生徒から報告を受け、判断を下していました!」
「見てたの?」
「はいっ!」
サッちゃんは感心したようにメグミを見る。
「メグミ様は指揮能力が非常に高いですっ!」
メグミは困ったように笑った。
「普通だよ、これくらい」
「普通ではありませんっ!」
「サッちゃんに言われると説得力あるな」
ユウトが言った。
「どういう意味ですかっ?」
「そのままの意味」
◆
放課後。
ユウトが昇降口へ向かっていると、廊下の端でメグミを見つけた。
段ボール箱を二つ抱えている。
「何してるの?」
「生徒会室に運ぶところ」
「持つよ」
「大丈夫。そんな重くないし」
「二つ持って言うな」
ユウトが上の箱を取る。
その時、背後から元気な声が飛んできた。
「メグミ様!」
「うわっ」
振り返る。
サッちゃんだった。
「なんでまだいるの?」
「ご主人様のお帰りを校門付近で待機していましたっ!」
「家で待ってていいんだよ?」
「その選択肢も検討しました!」
「検討した結果がこれなんだ」
サッちゃんの視線が、メグミの持つ箱に移る。
「搬送任務ですねっ!」
「ただの荷物運びだよ」
「わたしが運びます!」
サッちゃんは箱へ手を伸ばした。
しかし、その前にメグミが半歩下がる。
「一個だけお願いしていい?」
サッちゃんの手が止まった。
「一個?」
「うん。全部持ってもらったら、わたし何もしなくなっちゃうから」
サッちゃんは少し考える。
「ですが、わたしなら全て同時に搬送可能です」
「知ってる」
「では――」
「でも、お願いしたいのは一個だけ」
メグミは笑った。
サッちゃんは箱を見る。
メグミを見る。
そして両手を伸ばした。
「……了解しましたっ!」
一箱だけ受け取る。
三人で生徒会室へ向かった。
◆
生徒会室へ着いた時だった。
中から女生徒が顔を出した。
「会長、よかった! 明日の資料なんですけど、まだ半分しか――」
「今日は無理」
メグミが即答した。
女生徒が固まる。
サッちゃんも固まった。
「え?」
「今日中に全部やったら間違えると思う。明日の朝、一緒に確認しよ。急ぎの分だけ今見せて」
「……はい」
「先生への提出は何時?」
「十時です」
「じゃあ間に合うよ」
女生徒の顔から力が抜けた。
「ありがとうございます」
必要な書類だけ渡し、彼女は部屋へ戻っていった。
サッちゃんはメグミを見ていた。
「断ったのですか?」
「うん」
「助けを求められていたのに?」
「全部引き受けたら、たぶん両方駄目になるから」
メグミは机に箱を置く。
「できることはやる。でも、できないことまで『できます』って言うのは助けることにならないでしょ?」
サッちゃんが黙った。
ユウトも、なんとなく聞いていた。
メグミはそんな二人を見て苦笑する。
「そんな真剣な顔しないでよ」
「いや」
ユウトは笑う。
「メグミって、こういうのちゃんとしてるよな」
「何それ」
「褒めてる」
「全然聞こえない」
サッちゃんはまだ考えていた。
「メグミ様」
「ん?」
「以前、わたしは『守るだけでは足りない』と教わりました」
「教えたっていうほどじゃないけどね」
「今日も学習しましたっ!」
サッちゃんが胸を張る。
「助けることと、全て代わりに行うことは同じではありません!」
メグミが笑った。
「うん。たぶんそんな感じ」
「記録しますっ!」
「そこはやっぱり記録するんだ」
ユウトが突っ込んだ。
◆
生徒会室を出る頃には、空が少し赤くなっていた。
三人で校門へ向かう。
「しかし、メグミ様は多忙です」
サッちゃんが言った。
「そう?」
「本日確認しただけでも、鍵の管理、掲示許可、落とし物案内、後輩への指示、荷物搬送、書類確認――」
「数えてたの?」
「はいっ!」
「やめてよ、恥ずかしい」
ユウトが笑う。
「普通じゃないだろ、それ」
「普通だよ」
メグミは少しだけ肩を回した。
「普通も、けっこう忙しいんだよ」
サッちゃんが目を瞬く。
そして、妙に感心した顔になった。
「なるほど……」
「何?」
「普通は、高難度ですっ!」
「そこまでじゃないから」
三人で笑った。
校門の前で、メグミが立ち止まる。
「じゃ、わたしこっちだから」
「また明日」
「うん。またね」
「メグミ様!」
サッちゃんが呼び止める。
メグミが振り返った。
「今日はありがとうございましたっ!」
「何が?」
「普通についてです!」
「……どういたしまして?」
よくわからないまま、メグミは笑って手を振った。
その背中が遠ざかっていく。
ユウトとサッちゃんは並んで帰り道へ向かった。
「ご主人様」
「何?」
「わたしは、まだ全部やろうとしすぎるでしょうか」
ユウトは少し考えた。
「たまに」
「たまに」
「かなり」
「増えましたっ!」
ユウトは笑った。
「でも、前よりは変わったよ」
サッちゃんがこちらを見る。
「そうでしょうか」
「うん。今日だって箱、一個だけ持っただろ」
サッちゃんは少し考えてから、嬉しそうに頷いた。
「はいっ!」
歩き始める。
少し前を行ったサッちゃんが、不意に振り返った。
「ご主人様!」
「何?」
「今日は、荷物を持ちますか?」
ユウトは鞄を見る。
「いや、別に重くないけど」
「了解しましたっ!」
それだけ言って、サッちゃんはまた前を向いた。
ユウトは少し遅れて、その意味に気づく。
以前なら、聞かずに持っていった。
今は、聞いた。
「……ちゃんと変わってるじゃん」
聞こえないくらいの声で言う。
夕暮れの道を、二人で歩いた。




