↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰巣の子  作者: 鳴沢京子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
9/19

第9話 あんちゃんと一緒がいい



朝の点呼のあと、僕はリナに小声で切り出した。


「マティを探しに行きたい」


「勝手に動いたら、脱走とみなされる」


「分かってる。でも、正式な用事があれば別だろ」


リナは少し考えるように黙り込んだ。断られる、と半分覚悟していた。


リナは少しの間、黙って僕を見ていた。


「炊事場の運搬係、今日は人手が足りないって、さっき聞いた」


「なんでそんなこと知ってるんだ」


「聞き耳を立てるのが得意なだけ」


事もなげに言われて、僕は何も返せなかった。彼女がどれだけのことを普段から拾い集めているのか、僕には想像もつかなかった。


「一人で無茶するより、それらしい理由がある方がいい。あんたは、隠すのが下手そうだから」


図星だった。何も言い返せず、僕はただ頷いた。


運搬係に志願すると、あっさり通った。人手不足は本当らしい。荷を運ぶ台車を押しながら、僕らは炊事場から各棟へと食事を配って回った。


初めて歩く区画には、見慣れない建物がいくつも並んでいた。訓練場でも寝室棟でもない、用途の分からない建物ばかりだった。表札も看板もなく、扉の前に兵士が立っているところだけが、そこに何かがあることを示していた。


「別枠」の棟は、思ったより小さな建物だった。窓の外から中を覗くと、マティより幼い子供たちが、床に座って何かの遊びのようなことをしていた。世話係らしい大人が一人、その様子を見守っている。


遊びといっても、はしゃぐ声はほとんど聞こえなかった。積み木のようなものを黙々と積んでいる子、壁に寄りかかって座ったまま動かない子。楽しんでいるというより、時間をやり過ごしているだけのように見えた。


マティを見つけたのは、隅で膝を抱えて座っているところだった。他の子供たちの輪には入らず、一人でいるようだった。


服は僕らと同じ灰色ではなく、もう少し柔らかそうな生地だった。それでも、表情には見覚えのある翳りがあった。村を出てから、みんなが少しずつ抱えるようになった翳りだった。


「マティ」


小声で呼ぶと、顔を上げたマティの目に、みるみる涙が浮かんだ。


「あんちゃん!」


駆け寄ろうとするマティを、世話係の大人が「静かに」とだけ制した。それでも、咎める様子はなかった。


「元気にしてた?」


「ここ、つまんない。みんな小さい子ばっかりで、話す人いない」


「そうか」


「ごはんも、あんちゃんと食べたやつと違う。もっと、やわらかいやつ」


「それは、良かったじゃないか」


「よくない。あんちゃんと一緒がいい」


飾らない言葉が、まっすぐに胸へ突き刺さった。良い環境かどうかより、一緒にいられるかどうかが、マティにとってはすべてなのだと分かった。


「あんちゃんのとこ、行きたい」


「まだ、無理みたいだ。でも――」


言いかけて、僕は続きが見つからなかった。無責任な約束はしたくなかったし、かといって、何も言わずに離れるのも辛かった。


「大きくなったら、こっちに来られるって、大人が言ってた」


マティの言葉に、僕は少し驚いた。


「そう言われたのか」


「うん。もう少し大きくなったら、って」


具体的にいつなのか、何のためなのか、マティには分からないようだった。僕にも分からなかった。それでも、いつかまた一緒になれるという言葉が、今の僕にはわずかな支えになった。


「あんちゃん、また来る?」


「来る。約束はできないけど、必ず、また会いに来る」


「約束できないのに、必ずって、へん」


マティらしい指摘に、僕はつい笑ってしまった。


「本当だな。でも、そう言いたい気分なんだ」


「じゃあ、あんちゃんの、その気分だけ信じとく」


五歳児らしい理屈だったけれど、僕にはそれで十分だった。信じてもらえるだけの何かを、これから少しずつでも返していきたいと思った。


台車を押すリナが、少し離れた場所からこちらを見ていた。急かすでもなく、ただ待っていてくれた。


「行かないと。また来るから」


「うん。ばいばい、あんちゃん」


手を振るマティを残して、僕らはその場を離れた。何度も振り返りたくなるのを、僕はどうにか堪えた。振り返れば、また離れがたくなる気がした。


「満足した?」


「うん。顔見れただけで、全然違う」


「そう」


それだけ言うと、リナはそれ以上何も聞かなかった。台車を押しながら、僕は隣を歩くリナに、初めて少しだけ礼を言いたい気持ちになった。


「今日は、ありがとう」


「別に、私にも運搬の仕事があっただけ」


そっけない返事だったけれど、僕を手伝う理由をわざわざ作ってくれたことには、気づいていた。


午後の鍛錬で、僕はアルトと組む相手に指名され、模擬戦を行うことになった。木剣を構えた瞬間から、間合いの違いがはっきり分かった。踏み込むたびに、こちらの動きを読み切られているような感覚があった。


結果は、話にならないほどの差だった。何度打ちかかっても、届く前に弾かれ、最後は地面に組み伏せられて終わった。周りで見ていた何人かが、小さくどよめいた。恥ずかしさよりも先に、悔しさが込み上げてきた。


「弱すぎる」


「分かってるよ」


「分かってるだけじゃ、変わらない」


言葉には、突き放すような響きと、わずかな苛立ちが混ざっていた。彼なりに、何かを期待しているのかもしれないと、負けた悔しさの中でふと思った。


差し伸べられるはずのない手を、アルトはそれでも一瞬だけ差し出しかけて、結局引っ込めた。代わりに背を向けて、次の相手のところへ歩いていった。何を考えているのか、僕にはまだ読み取れなかった。


父さんと母さんの顔を、また少し思い出そうとした。すぐには浮かばなかった自分に気づいて、僕は慌てて記憶をたどり直した。忘れかけているわけじゃない。ただ、この場所での毎日が、少しずつ、それ以外のことを考える隙間を埋めていってるだけだ。そう自分に言い聞かせた。


夜、体中の痛みに顔をしかめながら寝台に横たわると、リナが隣の寝台から小さく言った。


「今日、マティに会えてよかったね」


「うん」


「それとアルトに負けたのは、当然。あいつは別格だから、気にするだけ無駄」


慰めなのか、事実を告げているだけなのか、判断がつかなかった。それでも、今日一日の疲れの中に、少しだけ温かいものが混じっている気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。