↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
灰巣の子  作者: 鳴沢京子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
18/19

第18話 揺れる手



総合評価の朝は、いつもと同じ鐘の音で始まった。それなのに、体の強張り方が、これまでとはまるで違った。


「本日、総合評価を行う。今回は、個別評価とする」


教官の言葉に、周囲がざわついた。これまでずっと組で動いてきたのに、今日だけは、一人で臨むことになるらしい。


「気配を殺して接近し、時間内に仕留める。それを一連の動作として見る」


普段の訓練で使う、縄と滑車で揺れるだけの的とは違うらしい。歯車と仕掛けで組まれた本番用の的が、通路の奥に据えられていると聞かされ、僕は少しだけ息を呑んだ。


「失敗しても、命に関わることはない。だが、評価には確実に響く」


その一言だけで、十分すぎるほど重かった。


僕の番は、思っていたより早く来た。案内された小部屋には、薄暗い通路が続いていて、その先に、動く的が二体、順に据えられているらしいと聞かされた。


通路に入る前、一人ずつ名前を呼ばれ、順番に送り出されていく。自分の番が近づくにつれ、他の誰かが通路の奥へ消えていく背中を見送るたびに、胃の底がきりきりと締めつけられた。


一体目までの通路で、僕はできる限り気配を殺して進んだ。足音、影、呼吸。教わったことを、一つずつ思い出しながら体を運ぶ。


通路の先で待っていたのは、これまで見たことのない的だった。内部に組まれた歯車が低く唸り、関節のような継ぎ目で、腕や首がぎこちなく、しかし確かな意思を持っているかのように動く。縄で引かれるだけの練習用とは、明らかに違う不気味さがあった。一体目は、動き出す前に仕留められた。


暗がりの中では、なぜか、いつもより体が軽く感じられた。この薄暗さと静けさの中でなら、いつもより多少はましに振る舞えている気がした。


二体目は、歯車の駆動音がひときわ大きく、動きも段違いに速かった。何度か空振りかけながらも、時間ぎりぎりで、赤い印に刃先を届かせることができた。腕が痺れて、剣を握る指の感覚がほとんどなかった。


「終了。合格ラインは超えている」


淡々とした声に、僕は詰めていた息を、ようやく吐き出した。膝から力が抜けそうになるのを、なんとか堪えた。


外に出ると、リナがすでに終えて待っていた。


「どうだった」


「なんとか。二体目、ぎりぎりだった」


「そう。私は、特に問題なかった」


事もなげに言う彼女の姿に、僕は少し安心した。


アルトも、僕らより先に終えていた。いつもと変わらない顔をしていたけれど、目の下に、うっすらと隈が見えた。


「そっちは、どうだった」


僕が聞くと、アルトは短く答えた。


「終わった。それだけだ」


いつもより、言葉数が少なかった。何かを聞かれたくない、という空気が伝わってきた。ここ数日、彼が見せていた迷いのようなものが、まだ消えていないのかもしれなかった。負けず嫌いな彼が、こんな風に自分から話を切り上げる姿を、僕は初めて見た気がした。


エマも、少し遅れて姿を見せた。


「終わった……疲れた」


いつもの軽さは残っていたけれど、声には明らかな疲労が滲んでいた。


問題は、ダンだった。


いつまで経っても、彼が出てくる気配がなかった。教官の一人が、通路の奥へと入っていくのが見えた。


しばらくして、青ざめた顔のダンが、教官に連れられて出てきた。


「ダン」


声をかけると、彼は力なく笑おうとして、うまく笑えなかった。


「二体目で、止まった」


「止まった、って」


「刃を、振れなかった。的の顔が、なんか、急に本物みたいに見えて」


震える声だった。今まで見た中で、一番弱々しいダンの姿だった。


「弟の顔と、重なった気がした。一瞬だけ。それだけで、体が動かなくなった」


その言葉に、僕は何も言えなかった。優しさが、ここでは弱さとして扱われてしまう。そのことが、どうしようもなく理不尽に思えた。


「時間切れになって、そのまま……終わり」


その先の言葉を、彼は口にしなかった。誰も、それ以上聞けなかった。


「結果は、後日まとめて発表する」


教官の言葉が、やけに事務的に響いた。後日、という言葉の重さに、僕らは誰も、何も言えなかった。


夕方、四人で並んで座っていても、いつものような軽口は出てこなかった。ダンは、ずっと自分の手を見つめていた。


エマが、いつもより静かな声で口を開いた。


「今から、教官に事情を話しに行っても、意味ないよね」


「意味ない」


リナが即座に答えた。突き放すような言い方だったけれど、彼女の表情には、いつもの冷たさとは違う何かがあった。


「意味ないなら、なんでそんな顔してるんだよ」


ダンが小さく笑おうとして、うまくいかなかった。


「まだ結果は分からない。それだけは、本当」


リナの言葉は短かったけれど、慰めるためだけの言葉ではないように聞こえた。


「大丈夫だ、まだ結果は分からない」


僕がそう言うと、ダンは小さく頷いた。それでも、その目には、諦めに近い色が浮かんでいた。


「弟のためにも、絶対、駄目だとは思いたくない」


誰にともなくつぶやかれたその言葉に、僕もリナも、エマも、何も返せなかった。


夜、寝台に横になりながら、僕は今日一日を振り返った。自分が合格したことより、ダンの震える声のほうが、ずっと重く胸に残っていた。


弟の顔と、的の顔が重なった。その一言が、何度も頭の中で繰り返された。誰かを思う気持ちが、この場所では、時に致命的な隙になる。そんな理不尽を、僕はまだ受け入れられずにいた。


マティのこと、父さんと母さんのこと。いつもなら、そこに思いを馳せる時間だったけれど、今夜は、ダンの結果を待つことしか、考えられなかった。後日、という言葉が、いつまでも耳の奥に残っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。