第17話 間に合わない
数日が過ぎ、藁の的を使った実技は、少しずつ形を変えていった。
「今日から、的は動く。反応速度も評価に含む」
教官の一言で、訓練場の的が、縄と滑車を使って左右に揺れ始めた。動く標的に、正確な一撃を入れる。ただでさえ、僕には難しかった課題が、さらに難易度を増していた。
縄が軋む音とともに、的は不規則な速さで揺れた。同じ動きは、二度と繰り返されない。目で追うだけでは、間に合わなかった。
「時間内に仕留められなければ、不合格とみなす」
時間、という言葉に、僕は思わずリナと顔を見合わせた。ここでの「不合格」の意味を、僕らはもう、嫌というほど知っていた。
僕の番が来ると、動く的に、何度も刃先が届かなかった。焦れば焦るほど、動きが硬くなる。
一度目は、大きく空振った。二度目は、辛うじて的の端をかすめただけだった。周りで見ている視線が、余計に焦りを煽った。
「駄目だ、もう一度」
やり直しの声が、何度も飛んだ。ようやく赤い印を捉えられたときには、額に汗がにじんでいた。
「今のが、合格の最低ライン」
教官の言葉に、僕はかろうじて安堵した。
ぎりぎりだったのだと分かって、安堵と同時に、次はこの程度では通用しないかもしれないという不安が押し寄せてきた。的が動くたびに難易度は上がっていくはずだった。
隣で番を待っていたダンの顔は、青ざめていた。
「大丈夫か」
「……分からない」
短く答えると、ダンは的の前に立った。動き出した的に対して、彼の踏み込みは、明らかに一拍遅れていた。
「駄目だ、もう一度」
一度目、二度目。同じ指摘が繰り返される。三度目、ようやく刃先が的をかすめたが、赤い印には届かなかった。
「今日のところは、ここまで」
教官の声に、ダンは肩を落とした。合格したのかどうか、その場では告げられなかった。
告げられないまま次の生徒が呼ばれる、という扱いそのものが、答えのように思えた。誰も、はっきりと不合格だと言われたわけではない。それでも、告げられない沈黙のほうが、時に何よりも重い意味を持つのだと、僕はこの日初めて知った。
休憩の間、ダンは自分の手のひらを、ずっと見つめていた。
「震えが、止まらない」
「疲れてるだけだろ」
「かもな」
強がっているのが分かった。それ以上、何を言えばいいのか、僕には分からなかった。
「私が、少し見てあげる」
不意にリナが言った。ダンも僕も、驚いて彼女を見た。
「リナが?」
「距離の詰め方、多分、癖がある。見てれば分かる」
意外な申し出だった。これまで、リナが自分から誰かに何かを教えようとする姿は、見たことがなかった。
「ダン、もう一回、動いてみて」
言われた通り、ダンが的に向かって踏み込む。リナはその動きを、じっと観察していた。
「分かった。踏み込む前に、一瞬、的の動きを目で追いすぎてる。追った分だけ、反応が遅れる」
「どうすればいい」
「動きを追うんじゃなくて、揺れの端と端、二点だけ見て、間を予測する」
具体的な助言に、ダンは少し驚いた顔をした。
「なんで、そんなことまで分かるんだ」
「……昔、似たようなことを、教わったことがあるから」
それだけ言うと、リナはそれ以上、何も語らなかった。踏み込みすぎた質問だと分かっていたので、誰もそれ以上は聞かなかった。
言われた通りに動くと、ダンの踏み込みは、少しだけ早くなった。まだ完璧ではなかったけれど、確かな変化だった。
離れた的の列では、アルトが動く的にも危なげなく対応していた。ただ、彼の踏み込みの後、一瞬だけ、僕はその目に何かをためらうような色を見た気がした。気のせいかもしれなかった。それでも、以前の彼なら、あんな一瞬の迷いすら見せなかったはずだった。
「ましになった、気がする」
「気がするだけでも、今よりはいい」
エマが横から茶々を入れる。
「リナ、先生に向いてるんじゃない」
「向いてない。ただ、教えないと、こっちが困るから」
そっけない答えだったけれど、その困る、という言葉には、僕には分かる響きがあった。ダンのことを、彼女なりに気にかけているのだと思った。
夕方、教官が最後に告げた。
「近日中に、この課程の総合評価を行う。結果次第で、次の配属が決まる」
配属、という言葉に、僕らは顔を見合わせた。これまでの「合格」「不合格」とは違う、もっと大きな区切りが近づいているらしかった。
「配属って、任務に出るってことだよな」
ダンが誰にともなくつぶやいた。
「多分」
「総合評価で落ちたら、配属もされないってことか」
誰も、その問いには答えなかった。答えられなかった、というほうが正しかった。
寝台に戻る道すがら、ダンがぽつりと言った。
「総合評価、間に合うかな、俺」
「間に合わせるしかない」
「そうだな」
力ない笑みだったけれど、そこには、まだ諦めていない光があった。
夜、寝台に横になりながら、僕はリナの言葉を思い返していた。昔、似たようなことを教わった。彼女がどこで、誰から、それを学んだのか、僕はまだ何も知らない。
それでも、今日、彼女がダンに手を貸したことは、確かなことだった。誰かのために動くリナを見たのは、初めてかもしれなかった。それが、僕にとって少し嬉しいことなのだと気づいて、自分でも意外だった。
マティのこと、父さんと母さんのこと。考えることは尽きなかったけれど、今はただ、ダンが次の評価を無事に越えられることを、僕は祈るような気持ちで願っていた。総合評価という言葉の重さが、いつまでも胸の奥に引っかかっていた。




