第19話 命令
翌朝、朝食もそこそこに、僕らは中庭へ集められた。
「これより、総合評価の結果を発表する」
教官の声に、周囲の空気が一気に張り詰めた。名前が、一人ずつ読み上げられていく。合格した者は、そのまま、列の外へと移動していく。
名前が読まれるたびに、安堵の息と、押し殺した嗚咽が、交互に聞こえてきた。この短い時間が、これからの生死を分けるのだと思うと、僕は自分の名前が呼ばれるまで、指先の震えを抑えられなかった。
僕の名前が呼ばれた。
「ノエル、合格。配属は追って通知する」
安堵する間もなく、次の名前が気になった。リナ、アルト、エマ。三人とも、それぞれ合格の言葉とともに列を離れていった。
ダンの名前が、なかなか呼ばれなかった。
最後の数人になったところで、ようやく彼の名前が読まれた。
「ダン」
一拍、間があった。
「不合格」
短い一言だった。それ以上の説明は、何もなかった。
ダンは、その場に立ち尽くしていた。表情が、驚くほど動かなかった。まるで、もう驚くだけの余力さえ残っていないようだった。
「不合格者は、この後、別途指示に従うこと」
教官の言葉が、事務的に響いた。それだけを言い残して、教官はさっさと次の作業へと移っていった。
周りにいた何人かが、ダンから目をそらすように、視線を落とした。誰も、彼に声をかけようとしなかった。関わらないほうがいい、という空気が、そこにはっきりとあった。
「待ってください」
気づいたら、僕は声を上げていた。
「ダンは、あと少しだったはずです。もう一度、機会を――」
「評価は覆らない」
にべもない答えだった。取り付く島もない、というのはこういうことを言うのだと、僕は初めて実感した。
「何か、僕にできることは」
「ない」
一言で切り捨てられた。それ以上、何を言っても無駄だと分かっていながら、僕は口を閉じられなかった。
「ノエル、いい」
ダンが、静かに僕の腕を掴んだ。
「もう、いいんだ」
その声には、諦めというより、僕を巻き込みたくないという意志が滲んでいた。
「よくない。だって――」
「よくなくても、ここでは決まったことは変わらない。それは、お前が一番よく知ってるだろ」
痛いところを突かれて、僕は言葉を失った。ここでの決定が覆らないことを、僕らは、これまで何度も見てきていた。
リナが、黙って僕の隣に立った。何か言葉をかけるでもなく、ただそこにいてくれた。エマは、涙をこらえるように唇を噛み、ダンから少し離れた場所で俯いていた。誰も、うまく言葉を見つけられずにいた。
「弟に、伝えられなかったな」
ダンが、独り言のようにつぶやいた。
「まだ、決まったわけじゃ――」
「決まったよ、ノエル。分かるだろ、この場所で」
静かな声だった。怒りも絶望も通り越した、諦めに近い静けさだった。それが、かえって僕の胸を締めつけた。
その日の午後、僕は教官に呼び出された。理由も告げられないまま、小さな部屋に連れて行かれる。
「お前に、任務がある」
教官は、感情のない声で告げた。
「今回の課程で不合格となった者の処分に、合格者の中から立ち会わせる。実務としての意味合いがある」
処分。その言葉の意味を、僕はすぐには理解できなかった。理解したくなかった、というほうが正しいのかもしれない。
「立ち会うだけ、ですか」
「対象は、お前が最も接触の多かった者を選定した。感情に流されず任務を遂行できるかどうか、それ自体が評価対象になる」
頭の中が、真っ白になった。最も接触の多かった者。それが誰を指しているのか、聞くまでもなかった。
「なぜ、そんな選び方を」
かろうじて絞り出した問いに、教官は表情を変えずに答えた。
「任務では、対象に情が移ることも起こり得る。それでも遂行できるかを、事前に見ておく必要がある」
理屈としては、筋が通っているのかもしれなかった。それでも、その筋の通し方自体が、僕にはどうしようもなく残酷に思えた。
「まさか」
「ダンだ」
その名前を、教官の口から聞いた瞬間、僕は自分の足元が崩れていくような感覚に襲われた。
「僕に、ダンを――」
「そうだ」
短い肯定だけが、部屋の中に落ちた。
「拒否は」
「拒否すれば、お前の評価も見直される」
その言葉の意味を、理解するのに、少し時間がかかった。拒めば、次は自分がここに立たされる。そういう意味だった。
「明日の朝、詳細を伝える」
それだけ言うと、教官は部屋を出るよう促した。僕は、その場からしばらく動けなかった。
部屋を出たあとも、足が思うように動かなかった。廊下の壁に手をついて、しばらくの間、呼吸を整えることしかできなかった。
夕方、寝台に戻っても、ダンにもリナにも、僕はまだ何も話せなかった。話せば、それが現実になってしまう気がした。
リナが、僕の様子がおかしいことに、すぐに気づいたようだった。
「何か、言われた?」
「……まだ、言えない」
「言えないなら、今は聞かない」
それだけ言うと、リナはそれ以上追及しなかった。ただ、彼女の視線が、いつもより長く僕に向けられていることには、気づいていた。
夜、天井を見上げながら、僕は今日聞いた言葉を、何度も頭の中で繰り返した。明日、僕は何をしなければならないのか。考えたくなかったけれど、考えないわけにはいかなかった。
拒否すれば、次は自分がここに立たされる。その言葉が、ずっと頭の中で反響していた。断れば済む話ではないのだと、分かっていながら、断れない自分を認めることが、何よりも苦しかった。
弟のために、と言っていたダンの声を思い出した。僕にも、マティがいる。もし同じことが、いつか自分の身に起きたら――そこから先を考えることが、僕にはできなかった。
マティのこと、父さんと母さんのこと。いつもならそこに向かうはずの思考が、今夜はどうしても、ダンの顔から離れなかった。眠れないまま、僕は夜が明けるのを、ただ待ち続けた。




