第11話 本物の刃
翌朝、案内された場所は、これまでの訓練場とは違っていた。
石造りの、窓のない部屋。壁際には棚が並び、そこに小さな刃物や道具が整然と並べられていた。木剣を並べていた棚とは、明らかに違う種類の道具だった。
空気もどこか違った。これまでの訓練場には、汗と土の匂いがあった。ここには、金属と、微かに薬品のような匂いが混じっていた。
「今日から、お前たちは実技課程に入る」
前に立ったのは、これまで見たことのない教官だった。年齢は分からない。声にも表情にも、感情の起伏がまるで感じられなかった。
「まず、刃物の扱いに慣れてもらう」
棚から取り出されたのは、短い刃を持つナイフだった。木剣とは重さも、握った感触も、まるで違った。冷たく、硬く、そして明確に、人を傷つけるためだけに作られている感触があった。
生まれて初めて手にする、人を傷つけるためだけの道具だった。畑仕事で使う鎌や鉈とは、明らかに違う。振るう目的が、最初からひとつしかない道具だった。
「握ってみろ」
言われるまま柄を握った瞬間、手のひらに汗がにじんだ。これが何のための道具か、考えたくなかった。考えれば、握っていられなくなりそうだった。
村を焼いた兵士たちも、こういう刃を持っていたのだろうか。あの日、僕を捕らえた縄の感触と、今手の中にある冷たい柄の感触が、頭の中でうっすらと重なった。
隣でリナが同じようにナイフを構えていた。彼女の手つきには、迷いがなかった。
「慣れてるのか」
小声で聞くと、リナは前を向いたまま答えた。
「初めて。でも、震えたところで何も変わらないから、震えないようにしてるだけ」
震えていないように見えても、本当は違うのかもしれない。そう思うと、少しだけ気が楽になった。
「あんたも、震えてないふりくらいはできる?」
「多分、無理」
「なら、せめて手だけは止めて。刃先がぶれると、自分の指を切る」
実用的な忠告だった。優しさとは少し違うのだろうけれど、僕にはそれで十分ありがたかった。
「基本の型を教える。見て、真似ろ」
教官の動きは、無駄がなく、速かった。刃を握る角度、体の向き、踏み込みの位置。一つ一つの説明は短く、繰り返しはなかった。一度で覚えられなければ、置いていかれるだけだった。
途中、教官が一人の子供を呼び出し、型を実演させた。何度やり直させても、刃の角度がぶれる。教官は表情を変えないまま、その子供の手からナイフを取り上げた。
「今日は見学だけでいい。手首が出来上がってから、また持て」
叱っているのではなく、判定しているだけの声だった。その子供は、それ以上何も言われないまま、壁際に下がらされた。誰も、その意味を尋ねなかった。
型の練習が始まると、すぐに手首が痛み始めた。慣れない重心の置き方に、何度もバランスを崩した。
何百回と同じ動きを繰り返すうちに、腕の感覚が徐々に麻痺していった。痛みを感じなくなったわけではなく、痛みを感じている暇がなくなっただけだった。
「そこ、力が入りすぎてる」
リナが小さく声をかけてくれた。組手のときと同じ助言だった。ここでも、彼女のほうが飲み込みが早かった。
「あんたは、力任せにやろうとしすぎ」
「分かってるけど、うまくいかない」
「分かってるだけじゃ――」
「変わらない、だろ。前にも言われた」
リナは何も言わず、ただ少しだけ口の端を動かした。笑ったのか、呆れたのか、判断がつかなかった。
休憩の合間、少し離れた場所でアルトが型の練習をしているのが見えた。彼の動きにも、いつもの余裕はなかった。真剣な、というより、張り詰めた顔をしていた。
見慣れた自信に満ちた横顔とは、少し違って見えた。刃物というものが、彼にとっても特別な意味を持つのかもしれないと、僕は初めて思った。
「アルトでも、緊張するのか」
僕がつぶやくと、リナが小さく答えた。
「本物の刃だもの。誰だって、最初は」
その言葉に、僕は少しだけ救われた気がした。
午後、教官が型の合間に、初めて具体的な言葉を口にした。
「この課程を終える頃には、お前たちは任務に出せる水準になる」
任務。その言葉の意味を、僕はまだ正確には知らなかった。それでも、握っているナイフの重さと結びつけると、想像したくない答えにたどり着きそうになった。
「任務って、何をするんですか」
誰かが尋ねた。教官はその子供のほうを一瞥しただけで、答えなかった。質問すること自体が、間違いだったのかもしれない。誰もそれ以上は聞かなかった。
「不合格者、脱落者の扱いは、これまでと変わらない」
同じ言葉が、これまでより重く響いた。木剣の課程で消えていった顔ぶれを思い出すと、この先どれだけの人数が、同じように姿を消していくのか、想像したくもなかった。
型の練習は、その後も夕方近くまで続いた。休みなく同じ動きを繰り返すうちに、僕は次第に、何のためにこれをやっているのかを考えるのをやめていた。考えることをやめたほうが、体は正確に動いた。それが少し怖かった。
夕方、鍛錬が終わって寝台に戻る途中、マティのことを思い出した。あの子は、こんな刃物に触れずに済むのだろうか。それとも、いずれ同じ場所に立たされるのだろうか。考えたくなかったけれど、考えずにはいられなかった。
途中、リナが黙って隣を歩いていた。何かを言いたそうにしていたけれど、結局、何も言わなかった。僕も、聞くのが怖くて、何も聞けなかった。
夜、寝台に横になりながら、僕は今日握ったナイフの重さを、まだ手のひらに感じていた。父さんと母さんは、僕がこんな道具を握っていることを、想像すらしていないだろう。想像していないでいてほしい、とさえ思った。
壁際に下がらされたあの子供の顔を、僕はまだ覚えていた。明日、あの子はまたここに戻ってこられるのだろうか。それとも――そこから先を考えるのは、やめておいた。
灰巣という名前を知った翌日から、僕らの日々は、確かに違うものへと変わり始めていた。刃物の重さも、教官の言葉の重さも、これまでとは比べものにならなかった。




