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4

真夜中。

昼間の柔らかな陽射しは消え、部屋は深い闇に包まれていた。

シンとレンは、静かに立ち上がる。

数時間の休息だけで、レンの呼吸はすっかり落ち着いていた。シンの身体にも、最低限動けるだけの力が戻っている。

スラムで生きる二人にとって、闇は恐れるものではない。

むしろ、唯一平等にすべてを覆い隠してくれる味方だった。

「……行くぞ」

「ああ」

短い言葉を交わし、二人は扉へ向かう。

足音ひとつ立てず、気配を殺しながら進む。

シンがドアノブへ手を伸ばし、レンが周囲の物音へ神経を研ぎ澄ませる。

カチリ。

小さな音とともに、扉はわずかに開いた。

鍵はかかっていない。

あの青年の言葉は、本当だった。

(……甘いな)

シンは目を細める。

レンも無言のまま頷いた。

二人は闇へ溶け込むように、静かに廊下へ出る。

建物の中は、驚くほど静かだった。

いくつかの部屋が並び、暖かな灯りだけが薄暗い廊下を照らしている。

見張りの気配はない。

それが逆に、不気味だった。

「……慎重にな」

「ああ」

壁際を進みながら、出口を探す。

その時だった。

――ドンッ!!

重い衝撃音が、建物の奥から響いた。

まるで誰かが壁へ叩きつけられたような音。

二人の身体が硬直する。

言葉を交わす必要はない。

すぐ近くの物陰へ身を潜め、音のした方へ視線を向ける。

少しだけ開いた扉の向こう。

そこには、数人の男たちが倒れていた。

大柄な体格。

統一された装備。

スラムでも滅多に見ない、明らかに訓練を積んだ者たちだった。

武器を握ったまま、苦悶の声を漏らしている。

そして、その中心に立っていたのは――。

「あ……」

レンが小さく息を呑む。

そこにいたのは、あの青年だった。

昼間と同じ、眠たげな顔。

フードは外れているが、その雰囲気は何も変わらない。

「……だからさぁ」

青年が、困ったように頭を掻く。

「夜中にドカドカ入ってこられたら、あの子たちが起きちゃうでしょぉ?」

声は穏やかだった。

昼間と何一つ変わらない。

けれど、その場に立つ男だけが、異質だった。

空気そのものが違う。

静かな拒絶。

決して怒鳴りもしない。

威圧もしない。

それなのに、誰一人として逆らえる気配がなかった。

「ば、化け物……!」

倒れた男の一人が震える声を上げる。

残された力を振り絞り、ナイフを突き出した。

鋭く、迷いのない一撃。

素人の二人が見ても分かる。

危険な動きだった。

だが――。

青年は動かなかった。

正確には、動く必要がなかった。

パシッ。

飛んできた虫でも払うような気軽さで、その手首を掴む。

「あはは。危ないなぁ」

次の瞬間。

ゴキリ。

鈍い音が響いた。

男の顔が苦痛に歪む。

悲鳴を上げる暇もない。

青年は、その巨体を軽々と持ち上げる。

そして――。

ドンッ!!

コンクリートの壁へ叩きつけた。

男はそのまま動かなくなる。

静寂だけが残った。

あまりにも、一瞬だった。

数人の武装した男たちを相手にしながら、青年は息ひとつ乱していない。

武器すら使っていない。

ただ、当たり前のように片付けただけだった。

「よし、おしまい」

青年は服についた埃を払う。

先ほどまでの冷たい空気も、いつの間にか消えていた。

「せっかく作ったスープ、冷めちゃったかなぁ」

困ったように笑う。

「あとで温め直さなきゃ」

そのまま、何事もなかったかのように歩き出す。

物陰に隠れていたシンとレンは、息をすることさえ忘れていた。

互いの腕を強く掴む。

指先が冷たくなっている。

(……何なんだ、あいつ)

シンの思考が止まる。

優しい大人。

油断させて利用する人間。

そんな理解の枠組みが、音を立てて崩れていく。

(違う)

レンも同じ結論へ辿り着いていた。

(俺たちとは、生きてる場所が違う)

あの路地裏で、自分たちは必死に拒絶した。

手を払い、罵声を浴びせた。

けれど。

もし、あの時。

青年が本気で怒っていたなら。

今ここに、自分たちはいなかった。

圧倒的な力。

それを振りかざすこともなく、ただ穏やかに接してくる不気味さ。

理解できない。

理解できないからこそ、恐ろしい。

青年が廊下へ出てくる気配を感じる。

二人は即座に身を翻し、自分たちの部屋へ戻った。

音を立てず扉を閉める。

そして、部屋の隅へ腰を下ろした。

逃げる計画は、白紙になった。

あの青年がいる限り、無理に外へ出ることは、自殺と変わらない。

シンとレンは背中を預け合う。

互いの鼓動だけを確かめながら、長い沈黙の中で同じことを考えていた。

――あの男は、いったい何者なのか。

そして、なぜ。

そんな力を持ちながら、自分たちを生かしているのか。

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