15.5話 最強のフレイムと最弱のプレイヤー
先ほどまでの喧噪と、肌を灼くような熱量は嘘のように消え去った。早く駆けるその足取りの中で、私の意識は自然と、先ほどまで繰り広げていた交戦の記憶へと向いていた。
脳裏に浮かぶのは二つの影。同じクラスに属する侍のナイト。そして、そのプレイヤーである少女の剣士。
(……正直なところ、侍の方は期待外れだったな)
小さく息を吐きながら、心の中で切り捨てる。
いくら私が戦う力を持たないプレイヤーの分までステータスを上乗せされ、強化されているとはいえ、あの侍との間にはあまりにも決定的な力の差がありすぎた。
絶対的な出力の差、と言ってもいい。もし次に一対一で対峙する機会があるならば、今度は大して時間をかけることもなく、容易く屠ることができるだろう。
好敵手と呼ぶには、いささか退屈な相手だった。だが、私の思考を真に占領していたのは、その侍のプレイヤーであるはずの少女だった。
彼女の放つ気配、そして剣筋。それらはフレイムである侍のナイトを優に超えていた。私以外で果たして彼女に打ち勝てる者がこの世界にいるのだろうか。そんな疑問が頭をよぎるほど、彼女の存在感は異質だった。
足を止めず、さらに思考を深める。
私の能力が底上げされているのとは対照的に、彼女の能力は大きく制限されている。
ナイト――フレイムの中でも上位の戦闘力を持つ侍とパートナーになった代償だろう。
肌で感じた限りでは、彼女の本来の力は半分どころか、それ以下にまで抑え込まれている可能性すらある。
だというのに、彼女は強かった。いや、強かったという表現は、少し的外れかもしれない。……否、何か違うな。
(上手かった、のだ)
そう、彼女の強さの本質は、出力の高さではなく、洗練された技術と圧倒的な戦闘センスにあった。ステータスに圧倒的な差がある私を相手に、彼女は一歩も引くことなく、互角に立ち回ってみせたのだ。それを可能にしていたのは、狂おしいほどの修羅場を潜り抜けてきたであろう膨大な経験値に他ならない。
この世界に現界したばかりの、まだ戦いの歴史が浅い私と彼女とでは、積み上げてきた時間が違いすぎる。文字通り、雲泥の差だった。
「……面白いな。あの少女は、一体何者だ」
好敵手の存在に私の胸の奥で小さな火が灯るのを感じる。彼女と戦い打ち勝つことで私はさらに強くなれると確信した。
そうして深い考察を巡らせているうちに、いつの間にか目的地へと辿り着いていた。
見上げるのは、このエリアでも一際高くそびえ立つ、地域最高峰の高級タワーマンション。その最上階が、私の目指す場所――我がプレイヤーの住まう部屋だ。
エレベーターを降り、重厚な扉の前に立つ。このマンションの最上階は、ワンフロア全てが一軒の邸宅として設計されている。だが、この部屋のオーナーはこの世界にはいない。
――リビングのドアを開けると、鼓膜を刺すような高い鳴き声が飛び込んできた。
ベッドの上で、小さな赤子が全身を真っ赤にしておぎゃあおぎゃあと喚き散らしている。前回の授乳からそろそろ三時間が経つ。おそらく、お腹を空かせて泣いているのだろう。
私はため息をひとつ突き、ミルクの準備に取りかかった。
お湯が沸騰するまでの僅かな合間に、ずっしりと重い甲冑を手際よく脱ぎ捨てる。哺乳瓶に粉ミルクを入れ、沸いた湯と湯冷ましを絶妙な配分で混ぜ合わせていく。ここ最近、毎日のように何度も繰り返している作業だ。戦場での剣戟よりも、今やこちらの方がよほど手慣れたものになっていた。
火傷をしないよう温度を確かめてから、私は泣き叫ぶ赤子を壊れ物を扱うように丁寧に抱き上げる。暴れる小さな口元に、出来上がったミルクの乳首をそっと添えた。途端に、静寂が訪れる。赤子は小さな喉を鳴らし、ごくごくと必死にミルクを飲み始めた。その無心な様子を見下ろしながら、私は苦笑交じりに呟く。
「全く……、私は母親じゃないんだぞ」
もちろん、赤子が答えるはずもない。ただひたすらに、私の腕の中で温かなミルクを貪っている。その愛おしいとも言える姿を見て、自分の口元が自然と優しい弧を描いていることに、私はまだ気づいていなかった。




