12話 ドミナ・トレッタ
全くもって理不尽な力じゃと思う。
吾輩は半径一キロ程度ならば他のフレイムの居場所がわかる。気を張り巡らし、全神経を感知に使えばニキロはいける。
だが、それでもなお榊原楓という女は異質だった。
吾輩の感知の外。
そこから向けられた視線に違和感を覚え、さらには飛来するライフル弾を斬り落とす。
言葉にしてしまえばたったそれだけのことだ。
しかし、それがどれほど異常なことかを理解できる者は少ないだろう。
そもそも感知できぬ場所から狙われた時点で普通の人間は死ぬ。
自分が狙われていることすら知らぬまま頭を撃ち抜かれ、何が起きたかも分からぬまま人生を終えるのだ。
にもかかわらず、この女は狙撃を察知した。
しかも、それを大したことではないと言わんばかりの顔で。
なぜこんな輩がこの戦いに参加しているのかは知らんが、これは吾輩にとって僥倖だった。
プレイヤーの戦闘力いかんではフレイムは弱体化か上方修正かされるが、よっぽどのことがない限りすべてのフレイムは弱体化する。そんな縛りがある中でも、この榊原楓というプレイヤーの力を考えれば十分すぎるほどお釣りが出る。
しかし、ここで一つ疑問が残る。
弱体化は何もフレイムだけに限った話ではない。プレイヤーにもこのルールは適用される。
ナイトのプレイヤーともなれば相応の弱体化は避けられない。
だというのに、楓の力はそれを一切感じさせない。
……こやつが味方でよかった。
「……それにしても何で気付いたんじゃ?」
マンション街を駆け抜けながら問いかける。
楓は速度を緩めることなく前だけを見ていた。
「見られていたら誰だって違和感感じるでしょ?それと同じよ」
あっさりとした返答だった。
「同じ訳あるか……」
思わず呆れてしまった。
数メートル先からの視線なら分かる。
背後に誰かが立てば気配も感じる。
だが、ルークがいたのは遥か彼方のビルの屋上だ。
数キロ先から向けられた視線に気付くなど、感覚というよりも怪異の類である。
しかし本人は本気で当然だと思っているらしい。
我が主人ながら恐ろしい。
「もうすぐじゃな……」
走り出して五分ほど。
吾輩の感知に敵フレイムの反応が引っ掛かった。
富士マンション。
楓が言っていた場所で間違いない。
だが妙だった。
反応の位置が低い。建物の中ではあるが、一階や二階ではない。
地面よりもさらに下方に存在している。
「楓! おそらく敵は地下におるぞ!」
「地下……!」
一瞬だけ考え込んだ楓の目が鋭く細められる。
「地下駐車場か!」
そう言うや否や速度を上げた。
「逃がさない! 私が先行するわ!」
その瞬間だった。
地下から重低音が響く。
大型エンジン特有の腹に響く振動がコンクリートを伝い、足元にまで届いてくる。
おそらくバイクに乗って逃げるつもりか。
そう考えた時には、楓は既に地下駐車場へ続くスロープへ飛び込んでいた。
吾輩も後を追う。
そして――。
「いらっしゃーい」
場違いなほど軽い声が響いた。
地下駐車場出口付近には大型バイクに跨る二人の姿があった。
予想通りの光景だったが、問題はその手に握られている得物である。
長く太い筒状の兵器。戦場でしか見ぬ代物。
「ロケットランチャーだと!?」
思わず叫ぶ。
しかし驚く暇すら与えられなかった。
ルークが躊躇なく引き金を引いたからだ。
轟音と共にロケット弾が発射される。
地下駐車場という閉鎖空間では最悪の攻撃だった。
着弾すれば爆風は逃げ場を失い、より凶悪な威力となって周囲を薙ぎ払う。
だが楓は慌てなかった。
飛来するロケット弾ではなく周囲へ視線を走らせると、入口脇に立て掛けられていた工事用の大型看板へ足を向けた。
そして次の瞬間には、その看板を蹴り飛ばし、ロケット弾の軌道を塞いだ。
耳を劈く轟音。
灼熱を孕んだ爆風。
飛び散る無数の鉄片とコンクリート片。
地下駐車場全体が震えたかと思うほどの衝撃だった。
しかし楓はその爆発が起こることすら織り込み済みだったかのように、既に次の行動へ移っていた。
刀を地面へ叩き込み、コンクリートを大きく斬り裂いていた。
「清正ァ!」
「応!」
楓の意図を汲み取り、吾輩は切り出された巨大なコンクリート塊を持ち上げる。
重い……!が、持てぬ重さではない。
「ぬぅぅぅッ!!」
盾のように掲げた瞬間、爆発によって生じた破片の雨が襲い掛かった。
拳銃弾に匹敵する速度で金属片などが飛来してきて、激しい衝撃が腕を伝う。
数秒後、爆風が収まり、白い粉塵が地下駐車場を覆い尽くした。
視界はほとんど利かない。
しかし、その中からエンジン音だけが近付いてくる。
そして、躊躇なく楓が飛び出した。
「はぁぁぁッ!!」
裂帛の気合いと共に刀が閃く。
粉塵の向こうから飛び出してきた大型バイクが見事に真っ二つに断たれた。
だが、そのバイクには誰も乗っておらず、斬られたのは無人のバイクだけだった。
「楓!奴ら壁を伝っておるぞ!!」
見上げた先。
そこには信じ難い光景があった。
大型バイクが壁面を走っている。
敵の奇行に楓は驚く様子もなく、床を強く蹴りつけると壁面へ向かって一直線に跳躍した。
だが先にルークの左手が動く。
握られていたマシンガンの銃口が火を吹いた。
連続する銃声が地下駐車場に反響する。
楓は空中で身体を捻りながら回避するが、それでも数発は髪を掠め、服を裂いていく。
「逃がさん!」
銃口は楓に向けられている今、この距離なら吾輩が即距離を潰して斬った方が早い。
そう確信し、吾輩は飛びかかった。
マシンガンを撃っている以上、防御は間に合わない。
だが――。
「逃げ切るんだよ!」
ルークが笑ったその瞬間に気づいた。
左脇の下。
マシンガンの陰から小型拳銃が現れる。
「――このドミナ・トレッタの名にかけてな!!」
距離は二メートルもない。
銃口の向きだけで狙いは吾輩の心臓だということはわかった。銃声が鳴り響く前に身を捩り避けようとするが、完全ではない。
弾丸は左肩を抉り取り、鮮血が宙へ散った。
「清正ッ!!?」
楓の叫びが響く。
しかし、それでも刀は止まらない。
片腕が使い物にならなくなろうとも、ここで斬り伏せれば勝利は確定される。
「舐めるなよ……銃使い!!」
振り抜かれた刃がルークたちを襲う。
だが精度を欠いた一撃は首を捉えきれず、プレイヤーのヘルメットを掠めるだけに終わった。
ルークたちが着地した瞬間、先ほどの斬撃で入った亀裂が広がり、ヘルメットが砕け散った。
中から現れた少年は、それでも笑っていた。
「あぶなー! あと十センチで死んでた!」
「ふふっ。死にかけて笑ってるなんて本当にイカれてるよ」
「そうかもな」
少年は笑いながら予備のサングラスを取り出して掛け直した。
まるで死線の上に立っている自覚などないかのように。
そして楓と視線を交わし、前後を抑え、逃げられないようにする。
「トレッタ!お前、世界を旅するんだろ?」
その言葉を聞いた瞬間、ルークの瞳が僅かに揺れる。
敵のプレイヤーはアクセルを踏み込み、吾輩らは刀に込める力をさらに強め、身構える。
そしてルークが懐から何かを取り出し上空へ投げ出した。
――瞬間、眩い光が視界を埋め尽くす。
+ + +
+ + +
エレベーターが静かに下降していく。
電子音だけが狭い箱の中に響いていた。
地下へ向かう数十秒。
それだけの短い時間であるはずなのに、妙な沈黙が流れている。
あたしは最後の装備に不備がないか確認しながら無言を貫いている。プレイヤーの颯馬も思うことがあるのか両手で持つヘルメットを眺めていた。
「……なぁ」
やがて颯馬が口を開いた。
「なんだい?」
「お前さ、何でそんなに人間になりたいんだ?」
その問いに少しだけ考える。
理由はたくさんある。
ありすぎるほどある。
だから逆に言葉にするのが難しかった。
「世界を見たいんだよ」
「世界?」
「ああ」
自然と顔が上を向く。
目の前には無機質なエレベーターの扉しかない。
それでも頭の中には様々な景色が浮かんでいた。
「海を見たい」
あたしたちフレイムは外の世界を見たことがない。
「砂漠も見たい」
だが、クイーンによって作られ、書き込まれた頭の中では世界の知識は大いにある。
「雪山も見たいし、大きな街も見たい」
言葉が止まらない。
自分でも驚くほどだった。
「あんたら人間も本でしか知らない景色がいっぱいあるだろう?それを直接見たいと思うだろう?あたしはその気持ちが人一倍強いんだと思う」
知っているを見てみたい。
どこまでも見ることができるこの目でも、この世界では見ることができない。
人間になって、外の世界の理を直接見てみたいんだ。
「だから見たいんだよ。世界中を」
言いながら少し恥ずかしくなる。
だが本音だった。
心の底からそう思っている。
「人間になれたら旅をするんだ」
そう言うと、隣から小さな吹き出す音が聞こえた。
「ふっ……!」
「何だい?」
思わず睨んでしまう。
すると颯馬は肩を震わせながら笑っていた。
「いや悪い」
「全然悪そうじゃないね」
「だってさ」
颯馬は笑いを堪えながらこちらを見る。
「その見た目でそんなこと言われると思わなかったんだよ」
「見た目?」
「お前、今は二十代くらいなのに理想はまるで子どもだ」
思わず頬が膨らむ。
颯馬の言う通り、この体のモデルは二十代の女だ。子ども染みていると言われても致し方ない。
「別にいいだろう」
「いや、馬鹿にしてるわけじゃないぞ……?」
「はん……、どうだかねぇ」
つい不貞腐れてしまうが仕方ないだろう。
「……それにしても旅か」
颯馬は小声で呟き、何かを考えているかと思うと、軽く拳で肩を叩いてきた。
「旅。いいじゃないか……」
思わず目を瞬かせる。
否定されると思っていた。
馬鹿にされると思っていた。
だが、彼は笑いながらも否定しなかった。
それどころか応援しているようにすら見えた。
「なら旅には必要だな」
「何がだい?」
「名前」
あたしは首を傾げる。
「別にいらないだろ」
「いる」
即答だった。
「人間になるんだろ?」
「なるさ」
「世界を旅するんだろ?」
「ああ」
「だったら名前は必要だ」
颯馬は当然のように言った。
「名無しの旅人なんて締まらないじゃん」
そう言われると少しだけ納得してしまう。
確かにそうかもしれない。
だけど、今まで考えたこともなかった。
そもそもあたしらフレイムは名前を持たない。必要なかったからだ。
だから、いきなり名前が必要と言われてもピンとこない。
「じゃあ考えてくれ」
「そうだなぁ……」
そう言いながら颯馬は腕を組む。
数秒。
十秒。
二十秒。
やがてエレベーターが地下へ到着する直前、閃いたかのように顔を上げた。
「決めた」
「早いな」
「お前も絶対気にいるぞ」
どこか楽しそうだ。さっきまで閉じこもっていた少年と同一人物とは思えないほどに……。そう思ったが口には出さない。
颯馬が満足そうに笑うのでそんな事言うのは無粋だしな。
そして、扉が開く直前。
まるで何かの儀式のように言った。
「お前の名前はドミナ・トレッタだ」
その瞬間、なぜだろう。
胸の奥が少しだけ熱くなった。
初めてだった。
誰かに名前を貰うのは。
初めてだった。
自分だけの呼び名を与えられるのは。
「ドミナ……トレッタ」
小さく口の中で繰り返す。
不思議と嫌ではなかった。
むしろ、心地良かった。
「どうだ?」
颯馬が笑う。
だからあたしも笑った。
「悪くないね」
「だろ?」
「でも変な名前だ」
「うるせえ」
エレベーターの扉が開く。
その先には戦場が待っている。
それでも、その時だけは少しだけ嬉しかった。
あたしはもうただのルークじゃない。
――あたしはドミナ・トレッタなのだから。




