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6話

「マルヴァス様、失礼いたします」


秘書のアマンダはいつになく背筋を伸ばし、鉄のように頑丈なアイアントレント製の扉を開け、アルディス魔道学園の頂点に君臨する男の執務室に、深く一礼して入室した。


学園長、マルヴァス・ヴァンドラー。


ハイバッハ帝国の魔道界における重鎮であり、かつて皇帝とともに国家繁栄の立役者ともなった、陛下への忠義に厚い金級魔道士だ。


その鋭い眼光と全身から滲み出る圧倒的な魔力のプレッシャーは、銅級魔道士であるアマンダでさえ、一歩足を踏み入れるだけで胃がキリキリと痛むほどの威厳に満ちている。


「おお、アマンダか。講義の方は終わったのかね?」


机に並ぶ膨大な魔導書から顔を上げ、マルヴァスが穏やかに、しかし重みのある声で応じた。


「はい、先ほど終わりました。……マルヴァス様の代理という大役、果たして私に務まったかどうか……」


「ははは、それは気負いすぎだ。立場上、私が気軽に動くと周囲の貴族がうるさくてね。アズマ殿の初講義、どうしても内容が気になっていたのだ。代わりに視聴してきてくれて助かったよ」


マルヴァスからの直々の信頼の言葉に、アマンダは胸を熱くしながらも、表情を引き締めた。


「それで、どうだった? アズマ殿の講義は」


その問いに、アマンダは一瞬言葉を詰まらせた。思い出すだけで、まだ頭の芯が痺れるような、あの常識外れの演説。


「それが……信じられない話の連続でございまして……どこまでが本当の話なのか、私の浅薄な知識では判断がつきませんでした。マルヴァス様のご期待に沿えず、申し訳ございません」


深く頭を下げるアマンダを見て、マルヴァスは興味深そうに目を細めた。


「ふむ……君がそこまで困惑する内容だったか……私が渡しておいた録音の魔道具は無事に使えたかい?」


「はい、こちらに」


アマンダは懐から、手のひらサイズの精巧な魔道具を取り出し、学園長へと恭しく捧げた。


「それにしても、さすがはマルヴァス様です。このような魔道具を個人で所有されているなんて……これはもしや、クレイドルが新しく発明したという最先端の魔道具ではありませんか?」


「おや、知っていたのかね。まぁ、私の立場なら、この手の商品が向こうから転がり込んでくるのだよ。しばらく待てば他の貴族にも普及するだろうが……アマンダ、君が欲しければ、私からクレイドルの代表であるコーネリアス殿に口添えしてやってもいいぞ?」


「い、いえ! 滅相もありません! 私などにはまだ過ぎたるものです!」


恐縮するアマンダを見て、マルヴァスは楽しそうに髭を撫でると、慣れた手付きで魔道具に指先から一筋の魔力を流し込んだ。


カチリ、と小さな音が響き、学園長室の静寂の中にアズマの低く、よく通る声が再生され始めた。


――私のことなんて、ここにいる学生のほとんどが知らないだろう。

――アポカリプスの首魁、キラーケス。

――神穢の焔山、死寂の大砂漠、黒寂の樹海、天哭の絶海。

――そして、最後の決戦の地は、大禍の原初。


アズマの声が、かつての壮絶な死線を次々と、政治家特有の圧倒的な説得力で語り紡いでいく。


やがてアズマの「諦めずに努力すれば夢は叶う」という、放心した聴衆への熱い締めくくりが流れ、音声は止んだ。


「……マルヴァス様?」


再生が終わってから数十秒。

完全に沈黙し、彫像のように固まってしまったマルヴァスに、アマンダは恐る恐る声をかけた。


「……はっ!?」


ハッと我に返ったマルヴァスは、自らの失態を誤魔化すように、わざとらしく大きな咳払いをした。


帝国魔道を背負う1人の男の額には、信じられないことに薄っすらと冷や汗が浮かんでいる。


「なるほど……これは、確かに常軌を逸しておるな……」


マルヴァスは乾いた笑いを漏らした。


「……やはり、アズマ講師の話は誇大妄想か何かなのでしょうか? いくらなんでも世界四大禁忌領域や大禍の原初で戦ったなど……」


「いや、そうとは言っておらんよ」


マルヴァスは立ち上がり、窓の外の景色を見つめながら、小声でブツブツと呟き始めた。


(……コーネリアスは彼の実力を知っていたのか?二人ともクレイドルで働いているはず。いや、しかし……)


アマンダは、普段なら絶対に見せない学園長の動揺した背中を、不思議そうに見つめていた。


(マルヴァス様がここまで考え込まれるなんて……アズマ講師は一体、どれほどの存在なの?)


「あの、マルヴァス様はアズマ講師についてはどのようなご認識なのですか? 本日の講義には、副学園長のバサラ様をはじめ、多くの教授陣が参加しておりましたが……」


「ああ、そうだな……アマンダ、君が彼のことをあまり知らないのも当然だ。なぜなら彼の功績は、国家最高機関である魔導評議会にて、もうかれこれ10年近く審議中のままだからな」


「ええ!? 10年もですか? なぜそんな長く……」


「考えてもみろ。大禍の原初でキラーケスを仕留めた、とだけ報告されて、国としておいそれと認められるわけがなかろう。それにあの場所の調査は危険すぎる。だからはっきりとした証拠が出せないのだよ」


「確かに……では、国は彼の話を嘘だと?」


「最初は我々もそう思い、話を誇張しすぎているとして退けた。だがな、アマンダ。あのアポカリプスのキラーケスといえば、長年世界中で凶悪な事件を起こし続けていた怪物だ。そんな奴が、アズマ殿の討伐報告があった日を境に、ただの一度も世界に姿を現さなくなった。……これが何を意味するか、君なら分かるだろう?」


アマンダの背筋に、ゾク、と冷たい戦慄が走った。


「はっきりとした証拠がなくても……奴が消えたという事実そのものが、真実を証明している……」


「その通りだ。残念ながら今でもアポカリプスの残党が悪さをしているが、それでもキラーケスがいた時とは被害の大きさが全然違う。私の考えでは、アズマ殿の話は少なくとも7割……いや、今日の講義を聞く限り、8割が真実だと考えている」


「そ、そこまでですか……!」


想像以上の高評価に驚くアマンダ。


そんなアマンダの反応を知ってか知らずか、マルヴァスは突然笑い始めた。


「はは、ははは! わははははは!」


静まり返った執務室に、学園長の大きな笑い声が響き渡る。


アマンダは目を丸くした。

いったい今の話のどこに笑う要素があったのか。

全く分からない。

しかし、これほど愉快そうに笑うマルヴァスを見るのは久しぶり。

畏怖の念を抱きつつも、アマンダは静かにその笑みが収まるのを待った。


「ふぅ、いやーすまない、アマンダ。少し興奮してしまった」


「いえ……何やら、良いことがあったようですね」


「ああ、大収穫だ。少し前に陛下からある仕事を頼まれていてね。まさか、こんなすぐ近くに答えがあったとは……アズマ・シュトラウス。今後あの男がこの国の希望となるのか?」


「……?アズマ講師に、何か重大な任務を?」


「うーむ、しかしそれではコーネリアスと意見が被ってしまうのか?……いや、陛下からは別に同じ者でもダメだとは言われていない。どう動くべきか、これは実に悩ましいな……」


マルヴァスはアマンダの質問には答えず、嬉しそうに、アズマをどう政治的に巻き込むかの策を練り始めた。


アマンダは、これ以上は自分が立ち入るべきではない話だと察し、「私はこれで失礼します」と一礼して、静かに退室した。


扉が閉まった後も、ハイバッハ帝国最高峰の魔道士は、まだ見ぬアズマの底知れなさにゾクゾクとした歓喜を感じながら、楽しそうに独り言を呟き続けるのだった。


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