10話
ハイバッハ帝国が誇る最高学府の選定試験。
その舞台となるフィルゼンの森は、中層に足を踏み入れた瞬間に空気が一変する。
生い茂る巨木は陽光を拒み、満ちる魔力の濃度は浅層の比ではない。
「ハァ、ハァ……! くそ、次から次へと……!」
上質な魔道衣を泥で汚しながら、ノエルはこの試験のためにと、父が用意してくれた特注の魔道剣を勢いよく振り抜く。
刃から放たれた鋭い風の刃が、群れで襲いかかってきたフォレストウルフの喉笛を正確に切り裂く。
ノエルに斬られたその魔物は、短い悲鳴を上げて絶命した。
「さすがノエル! 良い手際だ!」
有名な商会の跡取りである中衛のダリオが、感嘆の声を上げながら回復薬を差し出してくる。いつも戦闘に役立つアイテムや装備を安く融通してくれる、気の良い奴だ。
「この調子なら、私たちのチームも上位をキープしたまま合格できそうね!」
お気に入りの魔杖を手に、後方から絶妙なタイミングで魔法支援を放ってくれたヘレーネも、追従混じりの笑みを浮かべた。
「ダリオ、ヘレーネ、ありがとう。二人のサポートがちょうど良いタイミングだったから助かったよ」
「それはお互い様! ノエルが完璧に前衛で敵の注意を引きつけてくれるから、私もやりやすかったよ」
「ノエル、もう近くに魔物はいないぞ。少し休憩しないか?」
そう言って周囲の索敵を終えたキーラが、学園標準の魔道剣を鞘に収める。
この3人が、ノエルをリーダーとしたチームの頼れる仲間たちだった。彼らは完璧な守備陣形を敷き、過酷な中層に適応しつつある。
「うん、そうしよう。休めるときに休まないと身体が持たない」
ノエルは乱れた呼吸を整えながら、暗い森の奥を見つめた。
「それにしてもよー、エリーゼたち、想像以上に強すぎないか? あいつらあっという間に先に行っちまったぞ。まるで中層の魔物を狩るのが当たり前みたいにさ」
ダリオの視線の先――中層の奥からは、時折、大地を震わせるような大きな爆発音が響いてきている。
学年首席のエリーゼ含む最上位の生徒たち。
彼女たちは試験開始と同時に、目にも留らぬ速さで中層へと消えていった。
今も凄まじいペースで魔物を狩り続けているのだろう。
(才能では負けていないはずなのに……)
ノエルは父から、自分には特別な才能があると聞かされている。
だが、最上位の生徒たちの圧倒的な実力には追いつけない。いや、どんどん引き離されている。
そのせいで彼の胸の内は底暗い焦燥感によってじりじりと灼かれていた。
◇◇◇◇◇
――フィルゼンの森の深層にて
誰も立ち入らないはずの闇の中に、漆黒の外套に身を包んだ男が佇んでいた。
彼の前では、森の奥に潜んでいたであろう巨大な魔獣が、全身の血管を不気味な紫色に沸き立たせて悶絶している。
「この獣を、哀れな帝国の魔道士にあてがってみるか」
男がボソボソと小さな声で呟くと同時に、完全に狂暴化した魔獣が地を裂くような咆咆を上げた。
「……さて、そろそろ私も移動して、アルベール子爵との約束を守るとしよう。息子の名前は、確かノエルだったか? ……彼の合格と引き換えに、レチリア家当主をこちらに引き込めるのなら安いものだ……」
不気味な男は薄い笑みを浮かべると、陽炎のようにその気配を消失させた。
◇◇◇◇◇
――フィルゼンの森の深層と最深域の境界付近。
アズマは学園から立ち合いをお願いされたため、それなら久しぶりに行ってみるかと、どこか散歩気分で森の中を歩いていた。
自分の家門が管轄するシュトラウス領にあるこの場所は、アズマの若かりし頃、血反吐を吐きながら修行に明け暮れた思い出の地である。
「懐かしいなー」と、のんきに構えるアズマ。
学生の保護自体はバサラたち学園の魔道士たちに丸投げしており、当の本人は、深層奥深くに潜む「とある魔物」が貴族に高値で売れることを思い出し、捕獲作業に邁進していた。
「これで3匹目か。順調だな」
生徒たちが魔物との戦いで悪戦苦闘しているというのに、どこ吹く風。
本来なら、生きたまま捕まえるには冒険者ならA級以上、魔道士なら銀級以上のパーティでなければ不可能な難易度だ。
アズマが捕まえているファルクルーグという魔鳥は、それくらい隠蔽能力が高く、なにより速い。
アズマは捕らえた魔物を大きな袋に押し込み、4匹目を探そうと歩き出した。
その時、ふと足元に違和感を覚えて視線を落とす。すぐ下の土に、古い石碑が埋もれているのが分かった。
「ん? なぜこんなところに古代魔法の痕跡が……。こんな物があるなんて知らなかったぞ?」
興味を惹かれたアズマは、自然とその石碑の上部に触れ、なんとなく自分の魔力を流し込んでみた。
何か起こりそうなワクワク感に駆られ、軽い気持ちで、ポチッとスイッチを押すように。
すると次の瞬間――ズゴゴゴゴ……!! と激しい地鳴りが周囲に響き渡った。
「え!? ええ……!? う、嘘だろ……?」
アズマの気軽すぎる一押しが引き金となり、封印されていた古代の結界魔法が起動。最悪のタイミングで、その影響がフィルゼンの森全域へと広がっていく。
幾重にも重なる特殊な魔力の壁が、森の各領域を魔術的に分断し始めてしまった。
予想外の大事に一瞬だけ放心状態になるアズマだが、慌てて魔力を広げて状況確認を行う。
「これはまずい……。この魔法、しばらく消えそうにないな。さすがに生徒たちに悪影響を与えていないか、様子を見に行った方がいいか……くそ……」
お小遣い稼ぎの魔鳥狩りを諦めたその時、アズマは森の深層を高速で移動している「謎の存在」たちに気付いた。
今の今まで探知を掻い潜っていたその気配に、アズマは少しだけ警戒度を上げる。
「気配が2つ……。1つは多分魔物だが、もう1つは人間か? 今日は学園関係者以外立ち入り禁止になっているはずだが……他に誰か深層にいたのか?」
アズマは注意深く、かつ慎重に、森の中に潜むその奇妙な気配の後を追った。
しばらく移動していると、その気配は、副学園長がいる方向と、試験に臨んでいる生徒たちのいる方向の二手に分かれたように感じられた。
(……まさかテロではないだろうな? ……う~ん、でもなんとなく違うような……)
それはアズマの勘でしかない。
だが、数々の死線を潜り抜けてきた彼の危機察知の勘は、恐ろしいほど正確に本質を捉えていた。
ただし、捉えた情報をどう解釈するか、つまり真実を見抜く力に関しては別の話である。
周辺の状況を確認し、生徒たちのすぐ近くまで到着したアズマは、謎の気配の正体にピンときていた。
(なるほどな、分かったぞ!)
アズマは一人で何度か頷く。
(あの人、多分、凄腕の『暗部』の人だろう!)
この試験は生徒たちにとって危険と隣り合わせ。気を抜けばあっさりと死ぬ場所だ。
そのために副学園長たちが現地にいるわけだが、彼女が直接試験を執り行っているとはいえ、もしかしたら彼女ですら手を焼くような突発的な問題が起きる可能性もある。まさに今のように。
(おそらく、その万が一のリスクまで計算に入れた学園長が、裏の備えとして、バサラ殿よりさらに上の強者を極秘で手配していたに違いない)
アズマの脳内で、テロリストの怪しい気配は「学園長が遣わした頼れる味方」へと完璧に変換されていた。
(さすがは学園長だ。私は完全に理解したぞ)
自分が古代の結界を起動し、事態を最悪のタイミングでややこしくした元凶であることは棚に上げ、アズマは今日この森の中で起きたことに関して、自分より事情に詳しい者はいないと深く確信していた。




