11話
「副学園長!膨大な魔力を持った魔物が、こちらに急速接近しています!」
緊急事態を察知し、当試験の責任者であるバサラの元へと集まった魔道士が、切迫した声を上げた。
「ああ、分かってるッ!」
ドゴォン、と地響きが鳴り響く。巨木を紙切れのようにへし折り、周囲の植物をその身から放つ禍々しい魔力で吹き飛ばしながら現れたのは――本来であれば深層にしか生息していないはずの大型魔獣、グラトニーベアだった。
しかも、その姿は通常個体とは明らかに異なっていた。全身の強靭な毛並みの隙間から見える皮膚には、不気味な紫色の血管がドクドクと脈打っている。さらには眼球も理性を完全に失ったかのように、悍ましいほど真っ赤に血走っていた。
「グルゥゥゥアァァァァァァァッッッ!!!」
大気を裂き、空間そのものを震わせるような咆哮。
魔力を内包したその音圧に、同行していた手練れの魔道士たちが気圧され、思わず一歩後退りする。
「なぜ中層にこんな魔物が……!?それに、この魔物の状態は何かがおかしい!」
「おいおい、こりゃ他の試験官じゃ太刀打ちできないぞ!」
周囲の魔道士たちの危機感が高まる。
「皆聞け!この化物を間違っても生徒たちのところへ行かせるな!ここで絶対に止める!」
「はいっ!」
「陣形を組め!前衛は私が張る!後衛は即座に拘束魔法を詠唱しろ!」
バサラの的確な指示が飛ぶと同時に、狂暴化した魔獣が地を蹴った。
その巨体からは想像もつかないほどの神速。足元に禍々しい魔力が集まったかと思うと、一直線にバサラへと突撃してくる。
「っ!?この魔物……今、身体強化を使ったのか!?」
バサラは唇を歪めると、深紅の魔道剣を構え、自身の魔力を一気に爆発させた。
激突は一瞬。
魔獣の放った、大樹をも容易く切断するであろう漆黒の爪と、バサラが強烈に振り抜いた紅蓮の刃が真っ向からぶつかり合う。
キィィィンッ!!!
鼓膜を破壊せんばかりの金属音が響き渡り、凄まじい衝撃波が同心円状に広がった。周囲の巨木が十数本、同時に薙ぎ倒される。並の戦士であれば一撃で肉塊に変えられる威力。
しかし、バサラはその突撃を、長年鍛え上げた体幹と魔力で、一歩も退かずに受け止めてみせた。
「ぐっ……重い……!」
想定を遥かに超える魔獣の怪力。彼女は即座にこれを「自分一人で抑えるべき敵」だと判断し、鋭い声を飛ばす。
「他の奴らは手を出すな!近づかず、私のサポートに徹してくれ!」
「了解!」
下手に他の魔道士が中途半端な攻撃魔法を当ててヘイトを買えば、戦況が乱れて逆に厄介なことになる。
そう直感したバサラは、瞬時に作戦を切り替えた。
この場にいる者は試験官の中でもバサラが直接選んだ魔道士たち。
だが、そうは言っても銅級は銅級。
銀級であるバサラとは隔絶した実力差がある。
彼女の柔軟で最善の判断。
だが、そんな時に限って不幸は重なるものだ。
アズマのやらかしによって引き起こされた古代の結界魔法により、突如として激しい地鳴りが巻き起こり、付近の魔力濃度が一気に変質していく。
「一体今度はなんだ!?」
バサラは魔物から視線を外すことなく、大気を震わせる震動に顔をしかめながら大声を上げた。
だが、当然のことながら、その問いに答えられる者はその場に誰もいない。
「ユートビー!状況を確認しろ!」
バサラの指示を受け、後衛で拘束魔法を準備していた魔道士の一人、ユートビーが即座に動く。
普通なら慌てふためく異常事態だが、バサラは苛烈な戦場を生業としてきた猛者であり、その周囲を固める者たちも、学園のベテラン魔道士たちだ。
突発的な状況への対応力は群を抜いていた。
各自が最大限できることを適切に行う中、状況を把握したユートビーが悲鳴混じりの声を返した。
「バサラ様!この森に強力な魔術的結界が形成されつつあります!未知の系統の魔法です!」
「未知の結界だと!?」
しかし、そんな周辺の天変地異など、グラトニーベアには関係がなかった。
目の前の女魔剣士を噛み砕くことだけに執着し、執拗な猛攻を繰り出す。
「ぐっ……力が強いからって調子に乗るなよ、魔物風情が!」
激しい打ち合いの中で、若干手が痺れてきたことにバサラは舌打ちする。
「危険がないなら結界の調査は後回しだ!今は目の前のこの大熊に集中するぞ!」
彼女は手に持つ真紅の魔道剣にさらに魔力を込め、グラトニーベアの首筋を狙って苛烈に斬りかかる。
そこへ、ようやく他のベテラン魔道士たちの魔法の準備が完了した。
「大地縛鎖!!」
学園の魔道士たちが一斉に呪文を解き放つ。
地中から無数の岩で作られた太い鎖が飛び出し、魔獣の四肢へと激しく絡みついた。
狂暴化したグラトニーベアが暴れるたびにバキバキと鎖に亀裂が入るが、魔道士たちも歯を食いしばり、魔力の出力を最大まで引き上げて動きを抑え込む。
「よし、よくやった!」
バサラはこの絶好の機会を逃さない。スキルを発動させ、光を帯びた刃で魔獣の強固な皮膚を次々と切り裂いていった。
経験豊富な魔道士たちによる見事な連携。
魔物もタフではあるが、少しずつ、だが着実にその生命力を削り取られていく。
◇◇◇◇◇
バサラたちが死闘を繰り広げている場所から、少し離れた中層の奥地。
そこでもまた、別の死闘が繰り広げられていた。
アルディス魔法学園3年首席――エリーゼ。
そして、同じく3年次席――シモン。
「……もう追いついてきたの?」
誰よりも早く討伐数を稼いでいたエリーゼは、自身の弱みを見せないよう、後ろから追いついてきたシモンに冷静に話しかける。
だが、シモンはフンと鼻で笑う。
「俺が来てなかったら、お前は死んでたんじゃないか?」
「私はまだ平気よ……!」
プライドの高い彼女はシモンにそう言い返すが、眼前に君臨するトロールの圧倒的な怪力と耐久力を前に、すでに体力を著しく削られていた。
彼女が手にするのは、自身の身長ほどもある、洗練された高級な魔杖。
「ハァ……ハァ……これでも、喰らいなさい!」
息を切らしながらもエリーゼが風魔法を唱え、鋭い大気の刃がトロールの肉体を切り裂く。
しかし、その魔法で大量に血を流すはずのトロールは、異様にその傷が塞がるのが早く、血がすぐに止まってしまう。
もっと高火力の攻撃で息の根を止めなければ勝てないと分かってはいるが、今のエリーゼには、そこまでの魔法を何度も放つ力はなかった。
「おいおい、やっぱり限界じゃねえか。俺がやる!」
シモンもまた、これまでの連戦での疲労を感じながら大剣を振るう。
「私は下がらないわよ……っ!」
二人がかりで攻撃を畳み掛け、なんとか持ちこたえてはいるものの、エリーゼの体力はすでに限界に近づいていた。
じわじわと、だが確実に状況は悪化していく。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
その時、突如として大地が激しく揺れ動いた。
アズマの発動させた古代の結界魔法の影響が、この場所にも及んだのだ。
「えっ、何なの……!?」
「はあ!?何だよこれ……!……おわっ!」
トロールはそんな揺れなど意に介さずシモンを攻撃する。
「危ねえ……!エリーゼ!今は揺れよりトロールだ!」
「それもそうね……!」
「今からあの技を使う!」
「あの技……?」
シモンは右手に持つ大剣に魔力を強引に流し込み、ブレード部分を一時的に高魔力、高熱のオーラを纏った状態にする。
「魔流過剰!!」
「行くぜ!おおおおおお!!」
シモンが雄叫びを上げてトロールに突進し、威力が最大限上昇した必殺の大剣を叩き込む。
「っ……その技、ついに出来るようになったのね」
エリーゼはその威力に少し驚きつつも、自分もこの一撃にすべてを賭けて勝負に出た。
「はあああ――ッ!!」
二人の最大火力の魔法と斬撃が、トロールの巨体を直撃する。
「グアアアアアアッッッ!!」
トロールは苦悶の叫びを上げ、激しく血を噴き出しながら……
しかし、その魔物は倒れることなく、猛烈な勢いで駆け出した。
「ちっ、仕留めきれなかったか……!うっ……!」
大技を使った反動で大剣から強烈な魔力の逆流がシモンの元に起こっていた。
そのせいで、彼の両腕の皮膚が焼けて武器を握るのも辛くなっている。
「ちょっと待って!あいつが走っていった先……嘘、浅層に向かう方向よ!?」
「はあ!?なんでそっちに逃げるんだよ!?」
シモンも慌てて声を上げるが、先ほど放った大技の反動と疲労のせいで、思うように身体が動かない。
二人は必死に後を追いかけるものの、限界を迎えた足は鉛のように重く、どうしてもスピードが出せずに距離を離されてしまう。
「まずいわ……っ、あっちには他の生徒たちが……このままじゃ大変なことに……!」
焦燥感に駆られながら、満身創痍のエリーゼたちは、必死にトロールの背中を追いかけるしかなかった。




