第132話 ちょっと本当に何を言っているのか、わからない。(理解したくない)
ジェットコースターに乗る前など比べ物にならないほど、心臓が暴れまわっていた。今にも体が爆散してしまうんじゃないか、なんて。馬鹿な想像をしてしまうほどだった。
少し前に、赤いジュースで潤したはずの喉が引き絞られて、急速に乾いていく。
「『ロストタイム』って……」
どうしてその名前を、知っている?
おかしい。そんなことは、起こり得るはずがないのだ。よしんば彼女が転生者だったとしても、関係ない。そんなことは、絶対に起こらないはずなのに。
『ロストタイム』と名前をつけたそのゲームは、公開されることなく消えた作品だ。……というのも、シナリオとイラストを情熱の迸るまま書き上げ、さらにはフリーBGMから使用する楽曲を選んだところまでは良いものの、それをゲームに落とし込む段階で躓いたからだ。
スクリプトって、何やねん……!
シナリオやイラストの制作で力を使い果たしていた私には、そこからまた勉強して……という気力がわかなかった。燃え尽きていたと言っていいだろう。
その為、仲の良かった友人に、「スクリプトとか何とかしてくれん?」と冗談半分で投げたのだが、友人だって忙しい。「気が向いたらね」と言っていた彼女から、それ以降その話題が出てくることは、当然なかった。
そうして空中分解した、私の中にだけ残る幻の駄作……それこそが、『ロストタイム』という作品の正体なのである。
それなのに、だ。
渡邉心菜は今、その誰も知らないはずの作品名を平然と口にしたのである。
一体、何が起こっている? その存在を知っている人間なんて……いいや、考えられるとしたら、ひとつ。シナリオを投げた友人が彼女だというのなら、あるいは。
彼女の正体を知ろうと、顔を上げる。けれど、私より先に、渡邉心菜が口を開いていた。
「いやあ、でも。中々同志に会えることはなかったから、まさかこっちで同志に会えるなんて、感激しちゃった。こんなにどんバマリしたのに、世に出た時には既に作者先生は亡くなっちゃってたでしょ?」
……は?
世に出た時? 出ていないが?
亡くなっていた? 私が死んだ、後の話?
「だから新作が出るわけでもないし、おんなじ同人ゲームを延々と噛み締め続けてたからさ……!」
ちょっと、ちょっと、待ってくれ。まだ全然、思考が追いついていない。私を追いて、話を進めないで欲しい。
「リアルに会った蘭ちゃんは、やっぱり私の理想のヒロインのままだし、まさか親戚に転生できるなんて、運命じゃない? 絶対そう! これは神の思し召し! だから私は、前世で見ることのできなかった、陽蘭の未来を見るんだ……!」
待てって、言ってるだろ!
視界が回る。世界が、ぐわりと歪む。
おかしい。おかしいおかしいおかしいおかしい。
だって、あれは……『ロストタイム』は、公開していない作品で。だから……え? なんでこの人は、『ロストタイム』を知っているんだ?
喉が、喉が乾く。
「……作者の人が、亡くなっているのに、どうして、公開……されたの?」
震える声で尋ねると、渡邉心菜はきょとんとした後、笑って言った。
「あれ、結構有名な話だと思うんだけど、知らない? 『ロストタイム』って、作者さんの遺作なんだよ。妹さんと、ご友人さんが協力して、シナリオの状態だった作品をゲームとして完成させて、公開したの」
……は?
なん……何を言っている?
まさか、自分が死んだ後の世界について聞くことになるとは思わなかった。
というか、何をしている?
確かに私には、妹が一人いた。彼女は、私なんかとは似ても似つかない人物で、文武両道、才色兼備、温厚篤実。周囲に血の繋がりを疑われた事など、一度や二度ではないほどだった。
しかし彼女には、ひとつ明確におかしなところがあった。
そう、何故か彼女は……シスコンだったのだ。
昔はそれほど会話をすることもなかったのだが、年を重ねるに連れ、何故か懐かれていった。普通は逆だと思うのだけれど。
死ぬ少し前位の時期になると、彼女はほとんど私の全肯定botのようなものになっていた。
そんな彼女が、私の死んだ後に、私の書いたシナリオとイラストを見つけたとして……。
あ、すごい。「歴史に残すべき名作!」とか宣って、公開しそう。いや、したのか。本当に。
何てことをしてくれる?
私は思わず頭を抱えた。身内に敵がいるって、それマジ?
「妹さんが作者先生の情報をたまに発信してくれてたけど、すごい人格者だったみたいだし、もっと沢山作品をプレイしたかったなあ……」
やばい、しかも勝手に話を盛られて人格者に仕立て上げられている。何であの妹は賢いのに、私に対して盲目なんだ?
……というか、衝撃の事実が明らかになってしまったせいで、すっかり吹っ飛んでいたが。何故彼女は私が転生者、かつ『ロストタイム』を知っている前提で話をしているのだろうか。
「どうして……私も、転生者だって、わかったの……?」
「千代ちゃんが蘭ちゃんを『同担』って言った時、私ピンときたよ! ああ、『ロストタイム』をプレイした同志なんだって」
な、何故……? もしかして、エスパー?
「だって普通、いとこを推しているようなやばい人間に言う言葉じゃないでしょう、あんなこと……。しかも、芸能人相手でもないのに『同担』って言葉を使うのもおかしいしね」
あ、この人、やばい人である自覚はあったんだ……。
というか、ただの狂人じゃなかったのかよ、この人。
「それに、推しカプ聞いたら普通に答えてくれたし。知り合い同士でカプリング組むことにも、カプリングって表現を生身の人間に使うことにも、抵抗なさそうだったから。ああ、この世界が乙女ゲームだって知ってる人なんだなって」
以外と人のことをよく見ているようで、何よりだよ……。いや、それでもやっぱりエスパー寄りでは?
狂人だと思っていた人間は、意外と冷静に物事を見て、判断していたらしい。




