第29話 真夜中の暗殺者
ザレックさんから紹介された宿に向かい、問題なく宿泊手続きを済ませたわたしは夕飯を済ませ、自室にいた。
太陽はすっかり沈み、真っ暗な空に浮かぶ月明かりがカーテン越しに射し込む。
「ふわぁ~、今日も疲れたぁ。でも、宿のご飯美味しくて良かったね」
「まあまあじゃったな」
もふもふフェンリルのモッフィは、枕元に体を丸めながら、つっけんどんに答えた。
ふふふ、この素直じゃないモッフィの態度にも慣れてきたよ。
「それじゃ、もう寝よっか」
わたしはもぞもぞとベッドに体を埋めた。
そして、常時かけっぱなしだったサングラスを外し、異空間に収納する。
『神のサングラス』はわたしのスキルなので、自由に出し入れが可能なのだ。
就寝時は意識がないから魔眼が暴発する心配はないし、何より寝るときにサングラスなんかかけてたら邪魔すぎるから、いつも外している。
グラサンを外したらより分かるけど、わたしの目蓋はもう半分以上閉じてきている。
猛烈な睡魔が襲ってきていて、今にも意識を失ってしまいそうだ。
「モッフィ、おやすみ~」
「うむ」
ベッドの横にある台の上に設置されたランプを消し、ぼふんと枕に頭を沈める。
色々な疲れがまどろみのように押し寄せてきて、わたしは落下するような睡魔に身を任せた。
■ ■ ■
アイリが就寝して、幾ばくかの時が経つ。
すると――アイリの部屋の天井の一部が、スゥーっと開けられた。
「…………」
まるで忍者が敵の家に忍び込むように、天井裏に潜んでいた何者かが、探るように顔を覗かせる。
アイリが爆睡しているのを確認してから、天井裏から部屋の床に着地。
プロの身のこなしで、物音一つ立てることなく、アイリの宿泊部屋に侵入を果たした。
「…………」
暗い紺色の忍び装束に身を包み、鼻から口を黒い布で覆っている。
夜の暗さも相まって、侵入者の身元を割るのは不可能だ。
「…………私は、こんな子供を……」
少女――ナデシコは、誰にも聞こえない声量で呟く。
ナデシコに下された命令は、幼女の暗殺。
その冷徹な命令を胸に、ナデシコはアイリの寝顔を眺める。
気持ち良さそうに、ヨダレを垂らしながら爆睡している幼女。
着飾れば気品あるご令嬢のように美しく彩ることができるだろう可憐さと儚げさを感じる幼女だったが、今は泥酔したおっさん冒険者のようなだらしない格好で爆睡していた。
「…………やはり、私には…………う、ぐッ……!!」
少女に躊躇いの感情が芽生えたと同時、首もとの紋様が怪しく煌めいた。
それと同時、少女が首を押さえて苦悶の声を漏らす。
(私に、自由な意思など許されない……! ボルザルドに、逆らうこと、なんて……ッ!!)
震える手で、腰元のクナイを抜いた。
この『クナイ』という武器は、捨て子のナデシコの故郷で使われている特殊な武器の一つだ。
だが、どうしてもクナイの切っ先を幼女に向けることができない。
彼女の心が、その行いを拒絶していた。
が、その瞬間。
「……ァ、うぐぁッ……!」
ナデシコの首もとがさらに怪しく光る。
早く殺れ、と主人の意思を反映するようにギラギラと煌めく。
ジワリ……と肉を焼かれるような苦痛。
「…………この『奴隷印』がある限り……私、は……っ!!」
ナデシコは、覚束ない足取りでアイリの枕元まで歩みを進める。
すぴーすぴー、とヨダレを垂らしながら夢の世界に旅立っているアイリの寝顔を見下ろし――彼女は覚悟を決めるように両手でクナイを握った。
カタカタ、と手が震える。
ギラギラ、と『奴隷印』から激痛が送られてくる。
ナデシコは良心と苦痛の狭間に悶え苦しむ。
これ以上『奴隷印』に逆らえば、声を押し殺すことも難しくなるくらいの苦痛が与えられそうだ。
「…………ぐっ、……が、……はぁ、はぁ……っ!!」
アイリが眠るベッドの枕元に立つナデシコ。
ターゲットである幼女は爆睡しているため、一向にナデシコの存在に気づく様子はない。
酷く無防備な状態。
今なら、いつでも殺すことができる。
ナデシコは苦痛に顔を歪めながら、震える手でゆっくりとクナイを回した。
不規則に乱れる呼吸。
そして、ついにその切っ先がアイリの体に向いた――その瞬間。
「そこまでじゃ」
バチチッと光が弾ける。
刹那、ナデシコが握るクナイが弾け飛んだ。
モッフィの聖魔法で、クナイの刃を根本から消し飛ばしたのだ。
「――ッ!!」
ナデシコは反射的に飛び退く。
思わず手にしていたクナイを落とし、刃を失ったクナイが床に落下する音が響いた。
同時に、モッフィがアイリの枕元ですっくと立ち上がる。
そして、豪快に叫んだ。
「――――喝っ!!」
「ぐはぁ!!」
モッフィが聖魔法をナデシコに放つ。
ナデシコの体は目に見えない光の衝撃波を受け、ドゴォオオン!! と壁に体を叩きつけられた。
「わひゃあっ!? な、なになに!? なにごと!!?」
ナデシコが壁に激突した轟音を聞き、アイリが朦朧とした意識のまま飛び起きる。
しかし、まだまともに目は開けれておらず、ぐるぐると錯乱しているような感じだった。
アイリが現状を認識できるかは分からないが、モッフィは端的に説明をした。
「侵入者じゃ。いや、お主の行動を見るに『暗殺者』と呼んだ方が良いかのう!」
「く……ッ!」
物々しい声色で宣言するモッフィに、暗殺者は奥歯を噛み締めた。
全身を壁に打ち付け、ガンガンと体中が痛む。
(け、気取られた……!? 私の殺気が!? このオオカミ……大きさを変えたり物凄いスピードで走ったりと、色々な能力がある珍種だとは思っていたけど、まさか暗殺前に私の存在を見破るとは……!)
ナデシコはアイリとモッフィの行動を観察し、情報を集めていた。
しかし、まさか隠密行動に秀でいると自負していた自分の存在を看破されるとは、予想外だった。
モッフィは攻撃的な眼光を突き刺す。
「昨日から我らの後を尾けておったのはお主じゃな。アイリの暗殺を企てるとは、良い度胸をしておるのう!」
「…………、」
もうこうなってはダメだ。
撤退するしかない。
この場でオオカミを倒して無理やりアイリの命を奪うという方法もあるが――
(私が追跡していた限りでは、オオカミの戦闘能力がどれくらいあるかいまいち図れなかった。でも、少なくとも今こうして私を追い込むほどの戦闘力があるのは、疑いようのない事実……!)
ナデシコは息を整え、モッフィを見る。
(情報不足の相手と下手に事を構えるのは得策じゃない。それに、目標のアイリという幼女も中級魔法使い程度の魔法を扱える。さすがに二対一は、分が悪い……!)
ナデシコは、高速で思考を回転させる。
暗殺に失敗し、今にも捕らえられかねない状況であるが、彼女の心は意外なほどに落ち着いていた。
「……この場は、退く」
「させると思うか?」
モッフィが床に降り立った。
子犬くらいの大きさしかないものの、その気迫は凶悪な魔物が放つ殺気そのもの。
ナデシコは身を屈め、予備のクナイを構えた。
「……見逃すなら、無駄な血は流れない」
「安心せい。血を流すのはお主だけじゃ」
ナデシコの威嚇に、モッフィは毛ほども怯まない。
(このオオカミ……話し合いは通用しない、か。どうあっても私を倒すつもりらしい。この窮地、どう切り抜ければ……)
ナデシコは思考を巡らせ、そしてはたと気付く。
切り抜ける……?
ここで、本当に……?
切り抜けてしまって、良いのか――?
「…………、」
ナデシコは、自分の真意に気付き、息を呑んだ。
(私は、敵に見つかったこの窮地を……切り抜けたくないと思っている……? どこか、ホッとしている――?)
いっそのこと、ここで捕まった方が楽になれるのではないか。
少なくとも、最悪の主人の命令で幼子の命を奪うくらいなら、よっぽど――――
「覚悟は決まったかのう? 死なぬ程度にダメージを負うが良い!」
「――――っ!」
モッフィがさらなる聖魔法を放ってくる。
が、ナデシコは反射的に体が動き、その魔法を回避した。
個人の思考を超えた、生存本能が成せる技だった。
部屋の床をゴロゴロと転がり、ナデシコは瞳を尖らせる。
「……ごめんなさい。本当に……」
ナデシコは極限まで身を低く屈め、一直線にベッドの脇へ駆けた。
「むッ!」
モッフィの反応が一瞬遅れた。
その理由は、暗殺者の射線上に寝ぼけたアイリがいるという、絶妙な立ち回りだったからだ。
(アイリを盾にすれば、オオカミの攻撃は一瞬止まる)
ナデシコの読み通りだった。
「はえ……? な、なんか騒がしいけど、い、いっひゃい何がぁ~……?」
アイリは呂律も回らないくらい寝ぼけ、かくりかくりと船を漕いでいた。
そんなアイリの真横を、ナデシコが俊敏に通り過ぎる。
ターゲットと交錯する状況。
あわよくばクナイを伸ばすと、アイリの頸動脈を切れる可能性もある距離感――だが。
ナデシコは、そのまま部屋の窓へタックルするように突っ込んだ。
――――バリィィイイイイイイイイン!!
ガラスが砕ける音が周囲の耳をつんざいた。
「ふひゃあ! びっくりしたぁ!?」
アイリの呑気な叫び声を背後に、ナデシコは窓ガラスを突き破って外に飛び出す。
アイリの部屋は宿の三階に位置している。
必然、その窓の先は空中だ。
しかしナデシコは身軽な動きで空中を泳いだ。
モッフィは急いで部屋の窓枠に飛び乗り、舌打ちをする。
「チッ、逃げ足の早い奴め! すまぬ、アイリ。取り逃がしてしもうた……っ!!」
「ふぇ、う、うん。オッケー、オッケー……?」
寝ぼけてよく分からないことを呟くアイリ。
空中を飛ぶナデシコは、少しだけ振り返った。
割れたガラス片がキラキラと輝く視界で、一瞬だけ間抜けなアイリの姿を視界の端に収める。
「…………ふっ」
ナデシコは小さく微笑んだ直後、霧散するように闇夜に紛れた。
暗殺には失敗したものの、ナデシコの胸の中にはとてつもない安堵感が染み渡っていくのを感じた。




