感情の残滓(デブリス)
櫂の死から数週間。ルカの日常は、完璧な最適化へと戻ったはずだった。しかし、彼の制服のポケットにある古びた詩集は、グリッドの監視を逃れたブラックホールのように、微かな、しかし確実な「重力」を持ち続けていた。
ルカは、都市の最下層にある廃棄区画「ロスト・データ・センター」の調査を命じられる。そこは、効率化の過程で切り捨てられた旧時代の物理資料が、深い塵に埋もれている場所だった。
薄暗い保管庫の中で、ルカは奇妙な光景を目にする。
瓦礫の山の上に、一人の幼い少女が座り、鼻歌を歌っていたのだ。この管理都市において、グリッドに接続されていない子供が存在すること自体が、あり得ないエラーだった。
少女の名は、セピア。
彼女はルカを見つけると、怯えるどころか、無邪気な笑顔で駆け寄ってきた。
「こんにちは、お兄ちゃん。セピアの『お友達』になってくれる?」
ルカにとって、「お友達」とは、互いのリソースを補完し合う互助関係を指す古代語だ。しかし、この少女には提供できるリソースなど何もない。
「お友達? 私と貴女の間に、どのようなシナジー(相乗効果)を期待しているのですか?」
ルカの問いに、セピアは首を傾げた。「シナジー? うーん、わかんない! でもね、お友達は、一緒にいると、ここが『ポカポカ』する人のことだよ」
セピアは、自分の胸をトントンと叩いた。
ルカは、その仕草に、死んだ櫂の言葉を重ねた。心臓のノイズ。グリッドが決して許容しない、非効率なエネルギー代謝。
ルカは、セピアを都市管理当局へ報告義務があった。
しかし、彼のバイオフィードバック装置は、なぜか作動しなかった。ポケットの詩集が、微かに熱を帯びたような気がした。
「……調査の間だけです。貴女を、ここに留めておきます」
それが、ルカにとって人生で初めての、グリッドの命令に対する「非効率な嘘」だった。




