第86話 勇者の素顔
(放っておく方が嫌だったから、その言葉に、勇者は初めて作った笑顔をやめた)
「最初は、甲冑越しだったから」
結衣が、ゆっくりと言葉を選ぶ。
「なんとなくの違和感しかなかったんだけど……」
少しだけ、視線を落とす。
思い出すのは、最初に会ったときのこと。
あのときは、はっきりとは分からなかった。
ただ。
(……なんか、違う)
それだけが、引っかかっていた。
「前にさ」
ぽつりと続ける。
「みんなに抱きしめられたこと、あったの」
少しだけ苦笑する。
「ノクスとか、アイルとか、キリとか……」
あのとき。
驚くくらい、分かりやすかった。
骨格の違い。
体の硬さ。
がっしりとした、支えるような感覚。
華奢に見えるアイルでさえ。
抱きしめられたときに感じたのは、“異性”だった。
「でも」
顔を上げる。
エレンを見る。
「エレンは、違った」
静かに言う。
「細いのは同じなのに……なんていうか」
少しだけ迷って。
「柔らかかった、っていうか」
言葉にするのは難しい。
でも。
確かに、違っていた。
「それで、なんとなく気になってて……」
一拍。
「決定的だったのは」
少しだけ、言いにくそうにする。
「前に……ちょっとだけ、見えちゃったことがあって」
エレンの目が、わずかに細くなる。
結衣は、少しだけ慌てて付け足す。
「ご、ごめん! 見るつもりじゃなかったんだけど!」
ぶんぶんと手を振る。
「その……背中が、ちょっとだけ見えて……」
声が、小さくなる。
「傷があるって言ってたけど」
「……すごく、綺麗で」
一拍。
「何もなかった」
視線を逸らす。
「そのときに、布みたいなのが巻いてあって……」
はっきりとは言わない。
でも。
そこまでで、十分だった。
「だから」
もう一度、エレンを見る。
今度は、逃げずに。
「……もしかして、って」
静かに言う。
「思ってた」
車内に、静かな空気が落ちる。
外の音が、遠い。
エレンは、少しの間何も言わなかった。
ただ。
じっと、結衣を見ている。
やがて。
「……へぇ」
小さく、息を吐くように笑う。
「よく見てるね」
軽い口調。
でも、その奥にあるものは――
少しだけ、違っていた。
「普通、そこまで気づかないよ」
「……そうかな」
結衣は、小さく首を傾げる。
「なんか……気になっちゃって」
素直に言う。
その言葉に。
エレンは、ほんの一瞬だけ視線を逸らした。
「……そっか」
短く、呟く。
そして。
ほんの少しだけ、力を抜いたように。
「正解」
あっさりと、言った。
「バレたなら、しょうがないね」
苦笑混じりに。
どこか、観念したように。
持ってきた予備の服に着替えたエレンは、思った以上に華奢な体型だった。
けれど、ただ痩せているというのではなく。
すらりと伸びた手足は、無駄がなく整っていて。
まるで、どこかのモデルを見ているみたいだった。
気だるげに髪をかき上げる仕草。
それだけで、なぜか目を引かれる。
(……綺麗)
同性なのに。
ほんの少し、見惚れてしまう。
ペットボトルの水を口に運ぶ。
細い首が、ごくり、と上下に動く。
その仕草に。
なぜか、視線を外さなきゃいけない気がして。
結衣は、そっと目を逸らした。
「まだ、横になってて大丈夫だよ」
なるべくいつも通りの声で言う。
ついさっき。
兄からメッセージが届いたばかりだった。
――しばらく近くの本屋で時間潰してる
アイルもキリも、最近はある程度漢字も読めるようになってきた。
退屈はしないだろう。
……ノクスに至っては。
(あれ、絶対こっちが止めなかったらずっと読むよね)
そんな光景が、簡単に想像できてしまう。
少しだけ、気が緩む。
そのとき。
「……あのさ」
エレンが、気まずそうに口を開いた。
視線が、少しだけ揺れている。
「ん?」
「ひょっとして……」
一瞬、言い淀む。
「……あいつ」
「……?」
「豊も、気づいてたりする?」
結衣は、一拍だけ考えて。
小さく、頷いた。
「お兄ちゃん、変なところで鋭いから」
少しだけ苦笑する。
「たぶん、気づいてると思う」
「……やっぱりか」
エレンが、天井を見上げる。
「数字とか、勉強とかはちょっと弱いんだけどね」
結衣が続ける。
「そういうのは、妙に当たるっていうか……」
言葉を探す。
「勘がいい、っていうのかな」
「へぇ」
小さく息を吐く。
「一番厄介なタイプじゃん、それ」
少しだけ笑う。
けれど。
その笑いは、どこか本音だった。
「……否定できない」
結衣も、つられて笑った。
少しだけ、空気がやわらぐ。
そのあと。
ふと、静かになる。
さっきまでの外の熱気が、嘘みたいに遠い。
「……ねえ」
エレンが、ぽつりと呟く。
「結衣ちゃん」
「ん?」
「さっきさ」
少しだけ、視線を合わせる。
「なんで、あんな普通に聞いたの?」
「え?」
「普通さ、もうちょっと……」
言葉を探す。
「遠慮するか、見て見ぬふりするかじゃない?」
その問いに。
結衣は、少しだけ考えて。
「……うーん」
首を傾げる。
「放っておく方が、嫌だったから」
ぽつり、と答えた。
「……」
エレンが、黙る。
「無理してるの、分かってるのに」
視線を落とす。
「何も言わない方が、変な感じして」
言い終わってから。
(あれ)
自分で少しだけ照れる。
「……そっか」
エレンが、小さく呟いた。
その声は、さっきよりも少しだけ柔らかい。
「ありがと」
ふっと笑う。
今度の笑顔は。
いつもの“作った笑顔”じゃなくて。
ほんの少しだけ。
力の抜けた、本当の顔だった。
「理由、聞いたりしないんだ?」
「……言いたくなかったら、いいよ」
結衣は、静かに答える。
ノクス達の世界のことは詳しく知らない。
けれど。
本人が言いたくないなら、無理に聞く必要はないと思った。
ただ。
無理だけは、してほしくない。
それだけだった。
エレン自身が、性別を隠して生きることを選んでいる。
まだ少ししか関わっていない自分が、そこに踏み込むのは違う気がした。
「話してスッキリするなら話せばいいし、話したくなければいい」
少しだけ困ったように笑う。
「ただ、無理だけはしてほしくないかな」
そう言えば。
エレンは、くしゃりと困ったように笑った。
「結衣ちゃんは、本当に優しいね」
そっと伸ばされた手が、結衣の頭を撫でる。
「あーあ。こんな妹がいたら、絶対溺愛するのに」
「もう、エレンまで私を子ども扱いするんだから」
撫でられながら、結衣が少しだけ不満そうに頬を膨らませる。
その様子を見ながら。
エレンの脳裏に過ぎるのは――自分が生きてきた世界。
この、平和とはかけ離れた世界のことだった。




