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第85話 勇者の正体



 (勇者の秘密がバレました)


 農作業用の重機や、乾燥設備。


 普段はなかなか目にしない機械の数々を、角度を変えながら撮っていく。


「これ、結構迫力あるね」


 アイルが楽しそうに声を上げる。


 レンズ越しに見える光景に、純粋な興奮が滲んでいた。


「構図としては悪くない」


 キリが冷静に分析する。


「もう少し寄れるか?」


「うん、行けると思う」


 結衣が位置を調整する。


 そんなやり取りを繰り返しながら。


 気づけば――一時間近く、外に出ていた。


 容赦のない日差し。


 逃げ場のない湿気。


 立っているだけで、体力が削られていく。


 地面からの照り返しが、足元から熱を送り込んでくるようだった。


「……はぁ」


 結衣は、軽く息を吐いた。


 額から流れる汗を、腕で拭う。


 シャツは背中に張り付き、動くたびに不快感がまとわりついてくる。


「さすがに、きついね……」


 ぽつりと漏れる。


 その横で。


「まぁ、こんなもんだろ」


 豊があっけらかんと笑う。


 顔色ひとつ変えていない。


 汗こそかいているが、表情には余裕がある。


 毎日配達で体を動かしている人間の、当たり前の強さだった。


「え、全然平気なの?」


「慣れてるからな」


 軽く肩をすくめる。


 そのさらに横で。


 ノクスは、変わらず腕を組んで立っていた。


 呼吸も乱れていない。


 汗すら、ほとんどかいていない。


「ノクス、暑くないの?」


 結衣が思わず聞く。


「問題ない」


 即答だった。


「竜種は、環境変化への耐性が高い」


 さらりと言う。


「……いいなぁ、それ」


 結衣が思わず本音を漏らす。


「羨ましい限りだよねぇ」


 アイルも苦笑する。


 その中で。


 エレンだけが、少し離れた場所にいた。


 一見、普通に立っているように見える。


 けれど、よく見れば――肩で息をしている。


 それを隠すように、軽く顔を背けていた。


 額から落ちる汗を、袖で拭う。


 その動作が、さっきより少しだけ遅い。


(……やばいな)


 足に、力が入らない。


 じわじわと、地面が遠くなるような感覚がある。


 視界が、じわりと滲む。


(まだ、いける)


 そう思って、一歩踏み出す。


 地面の感覚が、遠い。


 音が、少しだけ遅れて聞こえる。


 それでも。


 倒れるわけにはいかない。


 こんな場所で、こんな状態を見せるわけにはいかない。


 歯を、ほんの少しだけ噛み締める。


「よし!」


 豊が、手を叩いた。


「一旦戻るぞー!」


 その声に、全員が反応する。


「やっと休める……」


 結衣が小さく息をつく。


 体の力が、少しだけ抜けた。


 車の方へと、歩き出す。


 その中で。


 エレンも、遅れずに動こうとして――


「……っ」


 ぐらり、と。


 視界が、大きく揺れた。


 一歩。


 踏み出したはずの足が、地面を捉えない。


 アスファルトが、遠くなる。


(……あ)


 そのまま。


 力が、抜ける。


「――エレン!?」


 結衣の声が、少し遅れて届いた。


 次の瞬間。


 体が、前に崩れ落ちる。


 急いで車を走らせ、近くのコンビニに駆け込む。


 駐車場に停めると、結衣はすぐに店内へ飛び込んだ。


 冷たい飲み物と氷を掴み、急いで戻る。


 バンの後部。


 いつもは米袋を積む荷台に、エレンが横になっていた。


 顔が、真っ赤だ。


「氷、買ってきた!」


「……ありがと」


 かすれた声。


 いつもの軽さが、すっかり消えている。


 そばで見ていた豊が、氷を受け取る。


「ほら、じっとしてろ」


 首元に当てる。


「ごめ……ちょっと、ふらついただけだって」


 やんわりと拒否しようとする。


 けれど。


 その手は、力が入らないらしく。


 豊の手に、そっと添えられるだけだった。


「無理すんなって」


 豊は困ったように頭をかきながら、小さく息をつく。


 その声には、叱責も心配も混ざっていた。


 どちらかというと、後者の方が強い。


 それから。


「よし」


 一度頷いて、結衣を見る。


「結衣、代わってやって」


「うん」


 場所を譲る。


 結衣は氷を受け取り、そっとエレンの首元に当てた。


 ひんやりとした感触に、エレンの肩からわずかに力が抜けるのが分かった。


 小さく、息が漏れる。


 その間に。


 豊は、窓用のカバーを取り出した。


 米袋に直射日光が当たらないように、普段から持ち歩いているものだ。


 それを、ひとつひとつ窓に取り付けていく。


 外からは、中の様子が見えない。


 簡易的な、遮蔽。


 荷台の中が、少しだけ薄暗くなった。


 すべて取り付け終えると。


 豊は、バンの扉を開けて外に出た。


「結衣」


 振り返る。


「しばらく頼むよ」


 軽く笑う。


「俺たちはちょっとその辺にいるからさ」


 一拍。


「ついてやってくれ」


「……うん」


「着替えとかも、一応持ってきてるんだろ?」


「うん、持ってきてる」


「なら安心だな」


 ぽん、と軽く手を叩く。


「頼んだぞ」


 そのまま、外へ降りていった。


 扉が閉まる。


 外の音が、少し遠くなる。


 豊の足音が、小さくなっていく。


(……やっぱり)


 結衣は、閉じられた扉を見つめたまま、思う。


(お兄ちゃん、気づいてるよね)


 あの距離の取り方。


 あの言い方。


 二人きりにする、という選択。


 豊は、何も言わなかった。


 けれど――きっと、最初から。


 ゆっくりと視線を戻す。


 荷台の上。


 横になったままのエレン。


 呼吸は、まだ少し荒い。


 けれど、意識はしっかりしている。


 目が、薄く開いたままこちらを見ていた。


(……どこから聞けばいいんだろう)


 氷が、手の中でじわりと溶けていく。


 それを感じながら、結衣はゆっくりと考えた。


 農場での仕草。


 袖越しに見えた、布の違和感。


 傷、と言ったときの、あの間。


 長袖を手放さない理由。


 熱中症になりかけても、脱ごうとしなかったこと。


 全部が、繋がっている気がした。


「……あのさ」


 結衣が、小さく声をかける。


「もし、違ってたら……」


 言葉が、少しだけ詰まる。


「すごく失礼になっちゃうんだけど」


 視線を落とす。


 手の中の氷が、また少し溶けた。


(……でも)


 ここで、聞かないと。


 きっと、このままになる。


 エレンは、うまい。


 笑顔で、言葉で、距離で――全部をうまく包んでしまう。


 そのまま流れていったら、もう聞けなくなる気がした。


 一度、息を吸う。


 覚悟を決めるように。


 顔を上げて。


「エレンって……」


 まっすぐに、目を見る。


「……女の子、だよね?」


 静かに、問いかけた。


 その瞬間。


 空気が、ぴたりと止まる。


 エレンの視線が、ゆっくりとこちらを向いた。


 ほんのわずかに。


 目が、見開かれる。


 いつも飄々としている顔が――一瞬だけ、素になった。


「……」


 沈黙。


 短いはずなのに、妙に長く感じる。


 外では、どこかで鳥が鳴いている。


 それ以外は、何も聞こえない。


 やがて。


 エレンが、小さく息を吐いた。


「……いつから?」


 ぽつり、と。


 低い声で、聞き返す。


 いつもの軽さが、そこにはなかった。

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