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第75話 距離がおかしい勇者

 (いつもの朝ごはんのはずだった。勇者が距離を詰めてくるまでは)



 翌朝、いつもより少しだけ早く、結衣は目を覚ました。


 台所に立つ。


 米を研ぎ、水を張る。


 炊飯器の前で、ほんの一瞬だけ手が止まった。


 大丈夫。


 自分に言い聞かせるように、小さく息を吐く。


 ボタンを押す。


 ピッ。


 何も起こらない。


「……よし」


 小さく頷いた。


 昨日のことは、ひとまず横に置く。


 今日は、朝ごはんだ。


 フライパンに火をつける。


 油の音が、静かに広がる。


 卵を割る。


 じゅ、と音がして、少しだけ安心した。


 いつも通り。


 そう思った、そのとき。


「いい匂い」


 すぐ後ろから、声がした。


「っ!?」


 思わず肩が跳ねる。


 振り向くと――すぐそこに、エレンの顔があった。


「おはよう、結衣ちゃん」


 にこり、と笑う。


 朝の光を受けて、やたらとキラキラしている。


 近い。


 距離が近い。


 というか、近すぎる。


「え、あ、おはよう……」


 思わず一歩引く。


 けれどエレンは気にした様子もなく、少しだけ身をかがめた。


「料理する姿も、様になってて可愛い」


 一拍。


「朝から得した気分」


 一瞬、言葉が詰まる。


 さらっと言っているのに。


 変にくどくないのに。


 逃げ場がない。


 顔がいいから成立してるんだろうか、とぼんやり思う。


 ノクスのときとは違う。


 もっとこう――まぶしい。


 直視しづらい感じ。


「……何してる」


 低い声。


 振り返ると、ノクスが立っていた。


 明らかに機嫌が悪い。


「随分と近いな」


「そう?」


 エレンはあっさり返す。


「普通だと思うけど」


「普通ではない」


 即答。


「……」


 その横で。


「……朝から騒がしいな」


 キリが、こめかみを押さえながら現れる。


 寝起きなのに、すでに不機嫌そうだ。


「距離感おかしいだろ」


「またそれ?」


 エレンが軽く笑う。


「合理的に考えて、近い必要ないだろ」


「合理性で人間関係語るタイプ?」


「語る」


「めんどくさ」


「……お前が言うな」


 空気が、ぴりつく。


 けれど。


「ふふ」


 アイルが、後ろで笑っていた。


「朝から元気だねぇ」


 完全に楽しんでいる。


 棚の上に手を伸ばす。


 いつも使っている小さめのボウル。


 あと少しで届く、はずなのに。


「……ん」


 指先が、ぎりぎり届かない。


 少しだけ背伸びをする。


 その瞬間。


「危ないよ」


 すぐ後ろから声がした。


 振り向くよりも早く、すっと腕が伸びた。


 結衣の肩のすぐ横を通って、上の棚へ。


 覆い被さるような形で、ボウルを取る。


 近い。


 距離が、一気に詰まった。


 肩のすぐ後ろに気配がある。


 わずかに触れそうな距離で、腕が横を通っている。


 思わず、息が止まる。


「はい」


 何事もなかったみたいに、差し出される。


「……あ、ありがとう」


 受け取る。


 そのとき、ほんの少しだけ指が触れた。


 温かかった。


「どういたしまして」


 にこり、と笑う。


 朝の光を受けて、やっぱり無駄にキラキラしている。


 さっきよりも、近かった。


 心臓が少しだけ速い。


 その空気を。


「……必要ない」


 低い声が、切り裂いた。


 ノクスだった。


 いつの間にか、すぐ後ろに立っている。


「届かないようには見えなかったが」


「いや、見えてたよ?」


 エレンが軽く返す。


「でも、危ないかもしれないし」


「問題ない」


 即答。


 その横で。


「……はぁ」


 キリが露骨にため息をつく。


「だから言っただろ、距離感がおかしいって」


「またそれ?」


「またそれだ」


 ぴり、と空気が張る。


 けれど。


「いいじゃん別に。手伝っただけだし」


「手伝いの範疇を逸脱している」


「細かいなぁ」


「細かくない」


 即答。


 結衣は、ボウルを持ったまま固まっていた。


 ただ取ってもらっただけなのに。


 でも確かに――ちょっと近かった。


 思い出して、少しだけ顔が熱くなる。


 その変化を見逃さなかったのは――


「……ふーん」


 キリだった。


 じっと、結衣を見ている。


「な、なに」


「別に」


 視線を外す。


 けれど、その一言が妙に含みを持っていた。


 ノクスの視線も、わずかに険しい。


「……結衣」


「なに?」


「次からは、私が取る」


「え、なんで!?」


「必要だからだ」


「いや意味わかんない」


「分からなくていい」


「よくないでしょ」


 即座に返す。


 そのやり取りの横で。


「ふふ」


 アイルが楽しそうに笑っていた。


 完全に観戦モード。


 なんとか作業に戻る。


 けれど。


「味見、していい?」


 すぐ後ろから、また声。


「え、あ、うん……?」


 反射的に頷いてしまう。


 小皿に少しだけよそって、差し出す。


 そのまま渡そうとした――瞬間。


「――待て」


 ぴたり、と手が止まる。


 ノクスだった。


「熱い。落とす可能性がある」


「いや、それくらい大丈夫――」


「私が確認する」


「なんで!?」


 即座にツッコむ。


 その横から。


「いや、普通に本人が食べればよくないか?」


 キリが冷静に言う。


「合理的に考えて」


 ぴり、と空気が張る。


 その間にも。


「冷めちゃうよ?」


 エレンが、当たり前みたいに言う。


 ひょい、と結衣の手から小皿を取った。


「あ」


 そのまま一口。


「……うん、美味しい」


 にこり、と笑う。


「優しい味」


 一瞬、言葉が出なかった。


 なんでそんな自然なの。


 やってること、割と距離近いのに。


 でも、嫌じゃない。


 むしろ――ちょっと嬉しいって思ってるのがやばい。


「……勝手に食べるな」


 低い声。


 ノクスだった。


「許可はもらったけど?」


「私の許可は出していない」


「結衣ちゃんの許可はもらったよ」


「……」


 言い返せずに、わずかに言葉が詰まる。


「だから距離感がおかしいって言ってるんだよ」


 キリがぼそっと言う。


「……朝から面倒くさいな」


「お前が言うな」


 また始まる。


 フライパンを握りながら、結衣は思った。


 なんで朝からこんな展開になってるの。


 なんで私、こんなにキラキラしている人たちに囲まれてるの。


 視界に入るのは、黒髪の魔王。


 銀髪のエルフ。


 金髪のエルフ。


 そして――王子様みたいな勇者。


 情報量が多い!!


「……できたよ」


 なんとか絞り出す。


「ご飯、できたから」


 テーブルに、料理が並ぶ。


 湯気の立つご飯、卵焼き、簡単なおかず。


 いつもの朝、のはずなのに。


「じゃあ――」


 エレンが、自然な動きで椅子を引く。


 結衣の隣。


 迷いなく、そこに座ろうとする。


「――待て」


 がた、と音がした。


 ノクスが先に動いていた。


「そこは私だ」


「は?」


 エレンが眉を上げる。


「別に席決まってないでしょ」


「決まっている」


「決まってないよね?」


「決まっている」


「どっち?」


 間に挟まれた結衣が困る。


 さらに。


「合理的に言えば、その席に固執する意味が分からない」


 キリが口を挟む。


「食事効率に差はない」


「……お前は少し黙れ」


「なんで毎回俺なんだよ」


 三方向から圧が来る。


 やめて!!


 心の中で叫ぶ。


 そのとき。


 ひょい、と。


 アイルが、軽やかに動いた。


 すっと、結衣の隣に座る。


「ここ、空いてたよね?」


 一拍。


 全員が固まった。


「え」


 結衣も固まる。


 にこり、と笑うアイル。


「早く食べようよ。冷めちゃうし」


 沈黙。


「……はぁ」


 キリが、深いため息をついた。


「もういい、どこでもいい」


 ノクスは何も言わない。


 ただ、わずかに不機嫌そうに席に着く。


 顎の角度が、心なしか普段より高い気がした。


 エレンは。


「ふふ」


 楽しそうに笑っていた。


「面白いね、ここ」


「面白くないからね!?」


 結衣が即座に返す。


 なんとか、全員が席に着いた。


「いただきます」


 声を揃える。


 湯気が静かに立ち上る。


 一瞬だけ、普通の朝みたいな空気が流れた。


 けれど。


 ノクスはエレンの方を見ていないが、なんとなく向こうを意識していることは分かる。


 キリは箸の持ち方が妙に丁寧だった。


 エレンは相変わらず自然体で、それが一番落ち着かない。


 なんなの、この朝。


 湯気の向こうで、結衣はそっとため息をついた。

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