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第73話 正義の裏側

 (勇者は、正義が嘘だと知っている)


 


「……勇者、か」


 低く落ちたその一言で、空気がわずかに変わった。

 さっきまでの軽さが、すっと引いていく。


「へぇ」


 エレクトが、わずかに口角を上げる。


「やっぱり、分かるんだ」


「分からん方がおかしい」


 ノクスは一歩も動かない。


「人間が用意した“対瘴気戦力”など、嫌でも目につく」


「……言い方」


 結衣が思わず口を挟む。


「もうちょっとこう、他にないの?」


「事実を述べただけだ」


 即答だった。


 そのまま、視線は一切逸らさない。


「勇者とは」


 淡々と続ける。


「瘴気を直接浄化できる体質を持つ、人間の中の例外的な存在だ。術式の効果も跳ね上げる」


「瘴気……?」


 聞き慣れない単語に、結衣が眉をひそめる。


「魔素が劣化したものだ」


 ノクスは簡潔に言う。


「世界には大きく分けて、二種類の魔素がある」



「純粋な魔素と、不純物の混じった魔素だ」


「不純物……?」


「魔核を通して行使された魔術の残滓、あるいは魔物が放つもの」


 淡々と続く。


「それが蓄積し、劣化したものが瘴気になる」


「……それって、どうなるの」


 結衣が少しだけ身を乗り出す。


「動物が長期間瘴気に曝されれば、魔物化する」


「え……」


 結衣の表情が、強張る。


「じゃあ、人間は……?」


 ほんのわずか、間が空いた。


「耐えられん」


 短く、言い切られる。


「人間には魔核がない。瘴気を取り込めば、浄化できなければ細胞が崩壊する」


「……死ぬ」


 空気が、落ちる。


 言葉が、そのまま沈んだ。


 結衣は、思わず言葉を失った。


 重い。

 あまりにも、シンプルで。逃げ場がない。


 ――その沈黙を破ったのは。


「いやいやいや」


 エレクトだった。


「ちょっと待て」


 正座のまま、顔を上げる。


「今の説明、だいぶ偏ってない?」


「どこがだ」


「“人間はただ死にます”って聞こえたんだけど」


「概ねその通りだ」


「いや雑すぎるでしょ!」


 思わず声が上がる。


「浄化できる手段があるから、まだどうにかなってるんだろ」


 一拍。


「それが、僕たちだ」


 空気が、わずかに揺れる。


「教会の術式も、勇者の力も」


 真っ直ぐに言う。


「瘴気を祓うためにある」


「……“祓う”か」


 ノクスが低く呟く。


「便利な言葉だな」


「何が言いたい」


「浄化などと呼んでいるが」


「やっていることは、ただの変換だ」


 エレクトの眉が動く。


「不純物を取り除き、扱いやすくしているだけ。それを“浄化の恵み”などと呼ぶのは――」


 ほんのわずか、口角が歪む。


「随分と都合がいい」


「……っ」


 空気が、また張りつめる。


 けれど今度は、剣ではなく――言葉だった。


「……変換、ね」


 エレクトが、わずかに目を細める。


「変換って?」


 結衣の言葉に、ノクスはほんのわずかに視線を動かした。


「世界樹だ」


「……世界樹?」


「大気中に拡散した魔素を取り込み、濾過し、再び放出する」


 淡々と続ける。


「その過程で、不純物――瘴気が取り除かれる」


「……空気清浄機みたいなもの?」


「近い」


 あっさりと肯定される。


(よかった、分かる)


 結衣は内心で小さく頷いた。


「つまり」


 キリが静かに言葉を継ぐ。


「自然環境そのものが、巨大なフィルターになっている」


「そうだ」


「でも」


 結衣が、ふと首を傾げる。


「それなら、なんでわざわざ術式なんて使うの? 世界樹があるなら、それでいいんじゃないの?」


 エレクトが、少しだけ肩をすくめた。


「“間に合わない”んだよ」


「え?」


「瘴気ってのは、溜まる場所には溜まる」


「戦が頻発したり、魔術を大量に消費すれば、世界樹の浄化が追いつかなくなる」


 視線が、わずかに落ちる。


「そこまで浄化が届く前に、人がやられる」


「……」


 結衣の喉が、わずかに詰まる。


「だから、人間は――」


 エレクトは、腰元から小さな器具を取り出した。


 金属製で、表面に細かい紋様が刻まれている。


「これを使う」


「それが……術式の媒体?」


「正確には、術式を刻まれた器具だね」


 一拍。


「純粋な魔素だけを通すフィルター。これを介せば、人間でも安全に魔素を扱える」


「……外付けの魔核か」


 キリが、ぽつりと呟く。


「まぁ、そんなところ」


 エレクトが笑う。


「これがないと、俺たちは何もできない」


 さらりと言う。


 けれど、その言葉の重さは軽くない。


「……なるほどね」


 結衣は、小さく息を吐いた。


(道具に頼ってるんだ。魔族とは、違う形で)


「非効率だな」


 ノクスが、ぼそりと呟く。


「だろ?」


 エレクトが苦笑する。


「でも、それしかできないんだよ」


「人間は」


 その言い方に、ほんのわずかだけ温度が混じる。


「……例外もいるがな」


 ノクスが、静かに言った。


 視線が、アイルとキリに向く。


 一瞬だけ。


「僕たちはまた別の話だよ」


 アイルが、にこりと笑って流した。


 ⸻


 エレクトは、少しだけ視線を落とした。


「……ただ」


 声が、わずかに変わる。


「最近は、別の手段を使う人間が増えてる」


「別の手段?」


「魔物の核を使った術式だ」


 空気が、少しだけ変わった。


 ノクスの目が、わずかに細くなる。


「魔物の核には、不純物の混じった魔素が凝縮されている」


 エレクトは淡々と続ける。


「それを使えば、人間でも簡単に強力な魔術が使える」


「……でも」


 結衣が、嫌な予感を覚えながら聞く。


「それって、瘴気が――」


「増える」


 エレクトが、静かに言い切る。


「使えば使うほど、体に蓄積していく。最初は気づかない。でも――」


 一拍。


「身体に障害が出たり、原因不明の病気になったりする人間が、近年急激に増えている」


「……それって」


 結衣の声が、わずかに固まる。


「分かってて使わせてるの?」


 エレクトは、すぐには答えなかった。


「……教会は」


 ぽつりと言う。


「それを“魔族の瘴気が増えているせい”だと民衆に説明している」


 静かな一言だった。


 だが、その重さは別格だった。


「――魔王がいるから、瘴気が減らない」


 エレクトの声が、少しだけ低くなる。


「そう言えば、民衆は怒りの矛先を持てる。教会への不満も、政治への疑問も、全部そこに向かう」


「……」


 結衣は、言葉を失った。


「本当のことを言えば?」


 ノクスが、静かに続けた。


「魔王は瘴気の発生源ではない。魔族領では、むしろ瘴気の管理は厳密だ」


「……知ってる」


 エレクトが、わずかに目を伏せた。


「教会の上層部は、ほとんどが分かってると思う」


「分かって、やってるのか」


「……政治ってのは、そういうもんだろ」


 投げやりな言い方。


 でも、その奥に――消えない怒りがある。


「だから腐ってる」


 エレクトは、小さく吐き捨てた。


「分かってて、利用してる」


 沈黙が落ちた。


 結衣は、頭の中で整理しようとした。


 でも、うまくいかない。


 あまりにも大きくて。

 あまりにも醜くて。

 どこから手をつければいいか分からない。


「……面白いな」


 ぽつりと、エレクトが呟いた。


 視線が、結衣に向く。


「君は、全部“同じもの”として見てる」


「え?」


「だから混乱してる」


「でも本当は、全然違う。立ってる場所が、違うから」


「……」


 結衣は、言葉を返せなかった。


 ただ。


 その言葉だけが、妙に残った。

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