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第62話 想像以上の私


 (鏡の中にいたのは、少しだけ見慣れない自分だった)


 休日。


 駅前のショッピングモールは、人で溢れていた。


 明るい照明。

 行き交う人の流れ。

 ガラス越しに並ぶ色とりどりの服。


 その中を、結衣は歩いていた。


 ――囲まれて。


 前、ノクス。

 左、キリ。

 右、アイル。


 完全に、包囲されていた。


「……ねぇ」


 小声で言う。


「これ、普通に歩けないんだけど」


「問題ない」


 ノクスが即答する。


「あるよ!?」


「人の流れは一定だ。衝突のリスクは低い」


「そういう問題じゃない!!」


 アイルがくすっと笑う。


「でもさ、この方が安心じゃない?」


「安心とかの話じゃなくてね!?」


 キリが前方を見たまま言う。


「周囲の視線が多い。警戒しておくべきだ」


(それはあなたたちのせいなんだよ!!)


 心の中で叫ぶ。


 実際、周囲の視線は明らかに集まっていた。


「あの人たち、やばくない?」

「え、モデル?」

「ていうか外国人? めっちゃかっこよくない?」


 ひそひそ声が、すぐ近くから聞こえる。


 その視線は――全部、ノクスたちに向いていた。


(……やっぱり)


 分かっていた。

 分かっていたけど、実際にこうして並ぶと、余計に分かる。


 自分だけ、浮いている。


 いや――自分以外が、浮きすぎている。


 横を歩くノクスの横顔を、結衣はちらりと盗み見た。


 人混みの中でも、その存在感は少しも揺らがない。


 ただそこにいるだけで、周囲の空気が変わる。


(……なんで私、こんな人たちと歩いてるんだろ)


「結衣」


 ノクスが振り返る。


「どうした」


「……なんでもない」


 即答した。


 言えるわけがない。


 周りの女性たちがノクスたちに釘付けになっていることも。

 その中に自分がいることの居た堪れなさも。


 全部、言えるわけがない。


 その時。


「いらっしゃいませー」


 明るい声。


 服屋の前だった。


「こちら新作入ってきてまして――」


 店員が近づいてくる。


 だが、視線は完全にノクスに向いていた。


「よろしければ、こちらとか……」


 差し出された服が向かうのは、結衣ではなくノクスに向かって。


(あ、これ私にじゃないやつだ)


 一瞬で分かる。


 ノクスは一瞥しただけだった。


「不要だ」


 即答。


「えっ」


 店員が固まる。


 そのまま、視線が結衣に移る。


「あ、えっと……彼女さんに、とてもお似合いだと思って……」


「……」


 結衣は、少しだけ戸惑った。


 けれど。


「……いいです。私にはちょっと……」


 小さく笑って、断ろうとした。


 その瞬間。


「結衣」


 ノクスが言った。


「それを着てみろ」


「え?」


「似合うかどうかは、着てから判断するものだ」


 当然のように言い切る。


「いや、でも――」


「結衣ちゃん、絶対似合うよ」


 アイルが笑う。


「さっきから見てるけど、こういうの好きでしょ?」


「え、いや……」


「着てみろ」


 キリも短く言った。


 逃げ道が、ない。


「……じゃあ、一回だけ」


 観念して、服を受け取る。


 試着室。


 カーテンを閉めて、一人になる。


 静かになる。


 外の喧騒が、布一枚の向こうに遠ざかる。


 結衣はゆっくりと息を吐いた。


 服を広げる。


 柔らかい生地。

 軽い色。


(……こんなの、久しぶり)


 いつもは、動きやすさ優先。

 汚れてもいい服。

 配達しやすい服。


 そればかりだった。


 大学を辞めてから、そういうものから少しずつ遠ざかっていた気がする。


 そっと、袖を通す。


 鏡を見る。


 そこにいたのは――


(……あれ)


 少しだけ、見慣れない自分だった。


 悪くない。


 むしろ――


(……ちょっと、いいかも)


 胸の奥が、ほんの少しだけ軽くなる。


 けれど。


 同時に、別の感情も浮かぶ。


 値上げ。

 電話。

 断ったお客さんの顔。


 全部が、頭をよぎる。


(こんなの、着てる場合じゃ――)


「結衣」


 外から、ノクスの声。


「まだか」


「い、今出る!」


 慌ててカーテンを開ける。


 一瞬。


 空気が止まった。


 アイルが、ぱちっと目を瞬かせる。


「……やっぱり」


 小さく笑う。


「似合う」


 キリが、わずかに目を細めた。


「……問題ない」


(それ褒めてるの?)


 そして、ノクス。


 何も言わなかった。


 ただ、じっと見ている。


 視線が、逸れない。


「……なに」


 思わず言う。


 ノクスは、少しだけ間を置いて。


「想定以上だ」


 それだけ言った。


 低く。

 はっきりと。


 その一言が、胸の奥のどこかに、すとんと落ちる。


 結衣の顔が、じわっと熱くなる。


 頬だけじゃない。

 耳の先まで。


「……そ、そう」


 視線を逸らす。


 鏡の前じゃないのに、自分の顔が見えるような気がした。


 その時。


 店員が興奮気味に言った。


「すごくお似合いです! そのまま着ていかれます?」


「えっ、いや……」


 結衣が迷う。


 その隙に。


「それも貰おう」


 ノクスが言った。


「え!?」


「他にも必要だ」


 当然のように続ける。


「予算は問題ない」


「問題あるよ!!」


 結衣が即座に突っ込む。


 だが。


「結衣ちゃん、いいじゃん」


 アイルが笑う。


「たまには自分に使っても」


 キリも頷く。


「必要な投資だ」


「なんの!?」


 結衣は頭を抱えた。


 けれど。


 さっき鏡で見た自分が、まだ頭の隅に残っていた。


 想定以上だ、という声も。


 胸の奥にあった重さが、ほんの少しだけ軽くなっていることに――気づかないふりをするのが、少しだけ難しかった。


 その後も。


 買い物は、止まらなかった。


「これもいいな」

「結衣ちゃん、こっちも似合いそう」

「試着しろ」


「もういいってば!!」


 気づけば、紙袋が一つ、また一つと増えていく。


 結衣の両手にも、すでにいくつかの袋が下がっていた。


 腕が痛い。


 それ以上に、頭が痛い。


(ちょっと待って)


(これ、絶対おかしい)


 金額のことを考えた瞬間、背筋がぞわっとする。


「ねぇ、ちょっと」


 思わず足を止める。


「もういいって。こんなにいらないし」


 三人が同時に振り返る。


「十分か」


「あ、そういう意味じゃなくて!」


 結衣は真剣に言った。


「ていうか、これ全部いくらになると思ってるの!?」


 ノクスは、ほんの一瞬だけ考えた。


「問題ない」


「いや問題あるでしょ!!」


 即ツッコミ。


 だが、ノクスはまったく動じない。


「資金は確保している」


「……は?」


 嫌な予感がした。


 とても嫌な予感。


「この世界には、非常に効率的な資産運用手段が存在する」


 淡々と説明が始まる。


「FXだ」


「……え?」


 聞き慣れない単語に、思考が止まる。


「え、なにそれ」


「為替差益を利用した投資手法だ。少額の資金でも、レバレッジをかけることで高いリターンを得られる」


「レバ……なに?」


「この世界は本当に素晴らしい」


 ノクスは、どこか感心したように言った。


「ボタン一つで取引が完結する。市場の流動性も高い。情報も即座に手に入る」


 一拍。


「これほど合理的に資産を増やせる環境は、我が世界には存在しなかった」


「ちょっと待って」


 結衣が手を上げる。


「それって……危なくない?」


「問題ない」


 即答。


「合法的に資産を増やしているだけだ」


「そういう問題じゃなくて!!」


 思わず声が大きくなる。


 通りがかった人が、ちらりとこちらを見た。


 気にしていられない。


「なんか、こう……ギャンブルっぽいっていうか……」


「リスク管理はしている。無計画な取引はしていない。損失許容範囲も設定済みだ」


「いやなんかそれっぽいこと言ってるけど!!」


 横から、アイルがくすっと笑う。


「ねぇ、それってさ」


 一拍。


「結衣ちゃんのお兄さんの名前でやってるんだよね?」


「……ああ」


「……は?」


 結衣が固まる。


「ちょっと待って」


 ゆっくり振り返る。


 一語一語、確かめるように。


「お兄ちゃんの――名前で?」


「そうだ」


 ノクスは当然のように頷く。


「本人確認も問題なく通った」


「問題しかないよ!!!!!」


 思わず叫んだ。


 モール内の数人が、また振り返る。


 もうどうでもいい。


 キリが、腕を組んだまま言う。


「だが、資金は確実に増えている」


「結果の問題じゃないの!!」


「現時点での勝率は高い」


「だからそういう話じゃないってば!!」


 結衣は頭を抱えた。


(なにこの人たち)


(なんでそんなことになってるの)


(ていうかお兄ちゃん絶対知らないでしょこれ)


 後で兄に言わなきゃいけない、と思った瞬間、また頭が痛くなった。


 その時。


 ふと、ノクスが言った。


「安心しろ」


「安心できる要素どこにあるの!?」


「結衣に負担をかけるつもりはない」


 静かに。

 真っ直ぐに。


「必要なものは、私が用意する」


 その言葉に、一瞬だけ言葉が詰まる。


 ノクスの視線は、迷いがない。


 真剣だ。


 それが分かるから――余計に、言い返せない。


(……ずるい)


 こういう言い方をされると、強く否定しづらい。


 怒っていたはずの熱が、少しだけ行き場を失う。


 けれど。


「……だからって」


 小さく言う。


「やりすぎだよ」


 ノクスは、ほんのわずかに目を細めた。


 その言葉を、ちゃんと受け取るように。


 一拍。


「……調整する」


「ほんとに?」


「ああ」


 短く頷く。


 結衣は、小さくため息をついた。


 紙袋の重さが、少しだけ違うものに感じる。


 呆れと。

 少しの安心と。

 ほんの少しだけの――嬉しさ。


 全部が混ざって、うまく言葉にならない。


(もう……これだからインテリは……!!)


 心の中で呟いて。


 結衣は、ゆっくりと歩き出した。

いつもブクマ、リアクションありがとうございます!

※良い子は決して、投資で他人名義を使わないでください。笑

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