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第60話 その名を知らない

 

(魔王はまだ知らない。それが何という感情なのかを)


「……見たな」


 ノクスが低く言う。


「ああ」


 キリが即答する。


「一瞬だったが、確認した。明確に“透過”していた」


 アイルが軽く息を吐く。


「うん、あれは普通じゃないね」


 少しだけ間が落ちた。


 ノクスは腕を組んだまま、視線を落とす。


「結衣と豊は、どちらも魔力を持っている」


 確認するように言う。


「……ああ」


 キリが頷く。


「しかも“微弱”ではない。あの量は、本来なら異常だ」


 一拍。


「ただ、この世界には魔力を行使する術がない。だから発現していないだけだ」


 淡々とした説明。


 だが、その目はわずかに鋭い。


「うん。あれ、抑えられてるだけだよね」


 アイルが指先で空をなぞる。


「水が器に収まってるみたいな感じ。外に出てないだけで、中はパンパン」


 キリが小さく頷く。


「豊も同様だ。だが――」


 言葉を切る。


 ノクスの視線が、わずかに上がる。


「今回、変だったのは結衣だけだ」


「そうそう」


 アイルが指を立てる。


「豊は普通だったのに、結衣ちゃんだけ“引っ張られてた”」


 その一言で、空気が引き締まった。


 ノクスの瞳が、わずかに細くなる。


「……そうだ」


 短く認める。


 豊には何も起きていない。


 同じ“魔力持ち”であるにも関わらず。


「つまり」


 キリが続ける。


「元々の資質の問題ではない」


 一拍。


「“きっかけ”があった」


 ノクスの思考が、そこに収束する。


 ――昨日。結衣の腕に触れた時の、あの違和感。


 通常の再生とは異なる、妙な引っかかり。


 そして――今朝の、あの現象。


 まさか。


 内心で、わずかに眉を寄せる。


 昨日の干渉が、引き金になったのか。


 魔力の流れに触れた。

 干渉した。


 その結果――「何かに認識された」。


 あるいは、「繋がった」。


「……偶発ではないな」


 低く言う。


「条件が揃った結果だ」


「条件?」


 アイルが聞き返す。


「結衣の資質。私の干渉」


 一拍置いて。


「そして――外部の存在」


 キリが、わずかに息を止める。


「……引かれたのか」


「ああ」


 ノクスは目を開く。


「意図的かどうかは分からん。だが、確実に“接続された”」


 その言葉に、三人の認識が揃う。


 重い、短い沈黙。


「……やばくない?」


 アイルが小さく呟く。


 珍しく、軽さがない。


「かなり、な」


 ノクスが即答する。


 そして、窓の外へ視線を向けた。


 何に、繋がった。


 答えは、出ない。


 だが――確実に、何かが始まっている。


「監視を強化する。単独行動は避けろ」


「了解」


「はーい」


 返事が重なる。


 ノクスは最後に、ひとりごとのように呟いた。


「……二度と、同じ状態にはさせん」


 結衣の部屋を出たあと、三人の会話が途切れ、短い沈黙が落ちた。


 アイルとキリが視線を交わす。


 だが、ノクスは動かない。


 腕を組んだまま、廊下の一点を見ている。


 あの瞬間。


 思考が、そこに引き戻される。


 扉を開けた直後。視界に入った光景。


 ――結衣の体が、透けていた。


 布団の模様が、その向こうに見えていた。


 あり得ない現象だ。


 本来ならば、即座に原因を分析し、対処を組み立てるべき事象。


 それだけのことだ。


 だが。


 その前に。


 別の何かが、先に来ていた。


 胸の奥を、強く掴まれるような感覚。


 思考が、一瞬だけ止まった。


 判断が、遅れた。


 長年の戦場経験が、音を立てて機能しなくなった、その一瞬。


 そんなことは――


 初めてだ。


 ノクスは、わずかに眉を寄せた。


 あれは何だ。


 焦りか。

 違う。

 苛立ちか。

 それも違う。


 もっと直接的で、もっと原始的な――


 失う。


 その言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、わずかに呼吸が乱れる。


 誰を。

 何を。


 問い返すまでもない。


 あのまま、目を覚まさなければ。

 あの状態が、進行していれば。

 ――結衣は、戻らなかった可能性がある。


 その想像を。


 脳が、明確に拒絶した。


 まるで――受け入れることを、最初から許していないかのように。


 馬鹿な。


 即座に、思考で押し潰す。


 あり得ない。


 冷静に考えれば、ただの一事象だ。


 原因不明の干渉。

 対処すべき対象。


 それだけの話だ。


 だが。


 あの瞬間、確かに――思った。


 奪われる、と。


 ノクスは、ゆっくりと息を吐いた。


 自分の内側を、確認するように。


 脈は正常。

 思考も回っている。

 異常は――ない。


 はずだ。


 恐怖。


 その言葉が、浮かぶ。


 一拍。


 そして。


 私が?


 わずかに、目を細める。


 あり得ない。


 戦場で、幾度も死線を越えてきた。


 己が消える可能性など、いくらでもあった。


 そのどれに対しても、同じ感情は抱かなかった。


 だが今回は、違う。


 自分ではない。


「他者」に対して。


 それも――


 なぜだ。


 答えは、出ない。


 そしてここで――ノクスが気づいていないことを、廊下の少し後ろで、アイルだけが気づいていた。


 魔族領を幾度も安定させてきた、歴代でも指折りの知性派。


 その魔王が、感情を分析している間中、その手が――扉の前で、ずっと止まっていることを。


 結衣の部屋の扉の前で。


 離れようとしていないことを。


 アイルは何も言わなかった。


 ただ、静かにそれを見ていた。


 魔族領を幾度も安定させてきた、歴代でも指折りの知性派。


 その魔王が、自分の感情の名前を知らないでいる。


 それが――不思議と、悪くない光景に見えた。


「……いずれにせよ」


 ノクスが低く呟く。


 声は、いつもの通りだ。


「原因は排除する」


 それだけでいい。


 それ以上の理由は、不要だ。


 ――不要なはずだ。


 そうノクスが結論づけた瞬間に、アイルはそっと視線を逸らした。

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