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第59話 黄金の瞳の夢

 (それは、ただの夢では終わらなかった)


 夜。


 その夜、布団に入ってからも、結衣の心臓はなかなか静まらなかった。


 腕に触れられた感覚が、まだ体の奥に残っている。


 なんだったんだろ、あれ。


 目を閉じる。


 意識が、ゆっくりと沈んでいく。


 気づいた時、結衣は見知らぬ場所に立っていた。


 音がない。

 風もない。


 ただ、どこまでも広がる暗闇と、その中に淡く浮かぶ光。


 足の下に何かがあるのか、ないのかも分からない。


 夢?


 そう思った瞬間、ぞくり、と背筋に冷たいものが走る。


「見られている」。


 はっきりと分かる感覚。


 視線、というより――存在そのものが、こちらに向いている。


「――ほう」


 低い声が、背後から落ちた。


 振り返る。


 そこにいたのは――筋骨隆々の体。

 無駄のない、圧倒的な存在感。


 背後の暗闇を背負って立っているのに、その人物だけがくっきりと際立って見えた。


 そして。


 黄金の瞳。


 ただ見られているだけなのに、心の奥まで覗き込まれているような感覚があった。


 値踏みではない。


 もっと、深いところを――測られている。


 この人。


 怖い、というより。


 なぜか、目を逸らす気にならなかった。


 その時、ふと思ったことが、そのまま口から出た。


「……なんか」


 一拍。


「見た目が、魔王みたい」


 沈黙。


 ほんの一瞬だけ、空気が止まる。


 次の瞬間、男の口元が、ゆっくりと歪んだ。


「我の正体を、一目で見破るか」


「えっ」


 結衣の目が、ぱちぱちと瞬く。


「うそ。いや、なんとなく言っただけなんだけど」


 男は、くつくつと喉の奥で笑った。


 愉快そうに。

 面白がるように。


 その笑い方は――どこか、見覚えがある気がした。


 どこだろう、と考えかけて、答えが出る前に声が続く。


「面白いな」


 黄金の瞳が、わずかに細まる。


「初めて会って、我の目を見返す者は――」


 一拍。


「お前で二人目だ」


「……もう一人は?」


 結衣が自然に聞き返す。


「女だ」


 短く、それだけ。


 だが、その一言に妙な重みがあった。


 言葉の奥に、長い時間が折り畳まれているような。


 男は、結衣をじっと見下ろしている。


 試すように。

 測るように。

 そして――楽しむように。


「なるほどな」


 ぽつりと呟く。


「確かに、あやつが目をかけるのも分かる」


「……あやつ?」


「知らぬか」


 わずかに首を傾げる。


「我が血を引く者だ」


 一瞬、ノクスの顔が浮かんだ。


「……ノクスのこと?」


 男は、否定も肯定もせず。


 ただ、薄く笑った。


「さてな」


 その曖昧さが、逆に答えのようだった。


 男は、しばらく結衣を見下ろしていた。


 その視線には重さがあったが、圧迫感とは少し違う。


 大きなものが、小さなものを興味深く観察している――そういう目だった。


 やがて、ふっと息を吐くように笑う。


「……やはり、妙だな」


「なにが?」


 結衣は素直に聞き返す。


「我の血を引く者は、本来――もっと単純だ」


 男は、わずかに肩をすくめた。


「力を求める。支配を求める。己の優位を疑わぬ」


 淡々とした口調。


 だが、その言葉には確かな重みがあった。


 長い時間をかけて積み上げられた、観察の結果のような。


「だが、あやつは違う」


 一拍。


「弱い」


 はっきりと言い切る。


 結衣の眉が、ぴくりと動いた。


「……弱いって」


「力の話ではない」


 すぐに返される。


「迷う。躊躇う。選びきれぬ」


 黄金の瞳が、わずかに細まる。


「我の血を引く者が、そうであることは――本来、ありえぬ」


 一拍。


 その言葉の重さが、空気に溶けるように広がった。


「だからこそ、気になる」


 悪意ではなく、純粋な疑問として。


 長い時間を生きてきた者が、初めて見る例外に出会った時の、そういう目だった。


「そしてお前だ」


 視線が、まっすぐ結衣を捉える。


「我を前にして、恐れぬ」


「……そんなに珍しいの?」


「珍しい」


 即答。


「だが――」


 ほんのわずか、口元が歪む。


 試すでも、値踏みするでもない。


 もっと静かな、確認するような笑いだった。


「あやつが、お前に目をかける理由は――なんとなく、分かった気がするな」


 結衣は少しだけ考える。


 それって。


 言葉にはならない。


 けれど、なんとなく分かる気がした。


 迷うこと。

 躊躇うこと。

 それでも、誰かのために選ぶこと。


 ――ノクスが、結衣の前でしてきたことが、そのまま浮かんだ。


「我の目を見返す」


 男が続ける。


「普通の人間は、目を逸らす」


「そうなの?」


「本能が理解するからな」


 何を、とは言わない。


 だが、理解してはいけない何かだということだけは、伝わる。


 結衣は少しだけ肩をすくめた。


「……別に、怖くなかったし」


 その言葉に、男の目がわずかに見開かれる。


 次の瞬間、くつくつ、と喉の奥で笑った。


「いい」


 はっきりと。


「やはり、お前は面白い」


 そして、ほんの少しだけ、声の温度が変わる。


 笑いではなく、もっと静かな何かへ。


「お前の血筋は、本当に退屈せん」


 一拍。


 視線が、わずかに遠くを見た。


「……壊れぬ限りは、な」


 その言葉の意味を、結衣は完全には理解できなかった。


 けれど、胸の奥に、小さな棘のように刺さる。


 抜こうとするほど、奥へ入っていく感じ。


「ねえ、それって――」


 問いかけようとした瞬間、男の姿が、ゆらりと揺らいだ。


「続きは、まただ」


 軽く言う。


「そう何度も、ここに来られては困る」


「え、ちょっと待って」


「十分だ」


 最後に、もう一度だけ。


 黄金の瞳が、結衣を射抜く。


 ――今は、な。


 その瞬間、視界が白く弾けた。


 目を開けた瞬間、視界いっぱいに黒があった。


「結衣、平気か!?」


 低く、切羽詰まった声。


 距離が近い。


 というか――近すぎる。


「……え?」


 思考が追いつかない。


 ぼやけた視界の中で、ゆっくりと焦点が合っていく。


 黒い髪。

 赤い瞳。


 ――ノクスの顔面ドアップ。


「ちょ、ちょっと待って」


 反射的に上体を起こす。


「近い近い近い!!」


 その動きに合わせて、視界の端にさらに二人。


 金と銀。


 覗き込むように、こちらを見ている。


 なにこれ。


 寝起きの頭に、この状況は情報量が多すぎる。


 美形が三人、至近距離、全員真顔。


「え、何? なんかあったの?」


 ようやく言葉が出る。


「……ってか、なんで勝手に部屋入ってきてるの?」


 一瞬、三人の間に妙な間が落ちた。


「うなされていた!」


 キリが、ぴしっと言い切る。


 妙に食い気味だった。


「……うなされて?」


「……ああ、そうだ」


 ノクスが低く続ける。


「かなり、な」


「そうそう、すごかったよー」


 アイルが軽く笑う。


「なんかこう、うーって感じで」


 どんな説明それ。


 結衣はじっと三人を見た。


 なんか、おかしい。


 言葉は普通だ。


 でも、空気が違う。


 三人とも、「うなされていた」以上のことを知っているような顔をしている。


 目が、少しだけ余計なものを隠している。


「……ほんとに?」


 ぽつりと聞く。


 一瞬、また沈黙。


「本当だ」


 ノクスが、はっきりと言い切る。


 その声に迷いはない。


 だが――どこか、わずかに硬い。


 キリが無言で頷く。


 アイルも、にこっと笑ったまま何も言わない。


 なんか、隠してる。


 そう思った瞬間、胸の奥に妙な違和感が残っていることに気づいた。


 夢の感覚。

 あの視線。

 あの言葉。


「壊れぬ限りは、な」。


 無意識に、自分の腕を見る。


 何もない。


「……結衣」


 ノクスの声。


 さっきよりも、少しだけ落ち着いている。


「本当に、問題はないか」


 まっすぐな視線。


 いつもの観察眼とは少し違う。


 何かを――恐れているような、そんな目だった。


「うーん……」


 手を握ったり、開いたりする。


「……たぶん、大丈夫」


 そう答えると、三人の間にほんのわずかに緊張が緩んだ。


 キリは、無言のまま結衣から目を離さない。


 何かを測るように。


 ノクスはただ静かに、結衣を見ていた。


 その目の奥にあるのは、安心ではない――警戒だ。


「……無理はするな」


 低く、短く言う。


「少しでも異常を感じたら、すぐに言え」


「え、うん……?」


 いつもより、少しだけ強い言い方だった。


 結衣は軽く頷く。


 けれど。


 三人が揃ってここにいること。

 ノクスの目の奥にある緊張。

 夢の中の男が残していった言葉。


 全部がばらばらのまま、胸の奥に沈んでいく。


 答えは出ない。


 出ないまま、朝の光だけが静かに部屋の中へ広がっていった。

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