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第56話 覚悟を決めろ

 (全てを守ることは、できない。——だから、選べ)


 夜。


 食卓の上に、いくつもの紙が広げられていた。


 帳簿。

 米の仕入れ価格の一覧。

 得意先ごとの月間使用量。


 そして――

 手書きで書き込まれた、簡単な収支の計算。


 結衣はペンを握ったまま、じっと数字を見つめていた。


 一ヶ月後。

 二ヶ月後。

 三ヶ月後。


 横に並ぶ数字を、何度もなぞる。


 さらに先。

 新米が出る、おおよその時期まで。


 そこまで見越して、線を引く。


 もし、今年ちゃんと取れたとしても。


 豊と話した内容を、頭の中でなぞる。


 今仕入れている米は、もう高い。

 安くはならない。


 たとえブレンドしたとしても、原価は下がらない。


 それに――


 ペン先が止まる。


 今年、ちゃんと取れる保証なんて、どこにもない。


 静かな部屋に、紙をめくる音だけが響いた。


 新米が出たとして。


 値段を下げれば――赤字になる。


 けれど。


 今のままでは、客は離れるかもしれない。


 どうすればいいの。


 ペンを持つ手に、じわりと力が入る。


 物価は上がり続けている。

 仕入れも上がる。


 それでも売値だけ据え置くなんて――


 もう、無理だ。


 小さく、息を吐いた。




「ほう」


 低い声が、背後から落ちた。


 振り返ると、ノクスが立っていた。


 いつの間にか起きていたらしく、視線はすでにテーブルの上に向けられている。


 紙の束を一枚手に取り、軽く目を通す。


「ここまでできるようになったか」


 淡々とした声。


「最初の頃とは、別人だな」


 結衣は少しだけ笑った。


「……ノクスのおかげだよ」


 けれど、その笑顔には力がなかった。


 目の端が、少し疲れている。


 ノクスはその顔を一瞬だけ見て、紙を戻した。


「悩んでいるのか」


「……うん」


 少しだけ視線を落とす。


「このままじゃダメ、なんだけど……」


 言葉が、続かない。




 ノクスは椅子を引き、向かいに座った。


 並べられた数字を、もう一度見る。


 一拍。


 そして、静かに口を開いた。


「では問おう」


 結衣が顔を上げる。


「お前は今、何を守ろうとしている」


「え……?」


「顧客か。価格か。それとも、店か」


 言葉が、胸に刺さった。


 すぐに答えられない。


 どれも――


 その言葉が喉まで来て、引っ込んだ。


 ノクスは続ける。


「すべてを守ることはできん」


「資源が有限である以上、必ず“切る”必要がある」


 結衣の指先が、わずかに震えた。


「……でも」


「客が離れるかもしれない、か」


 先回りされる。


 結衣は小さく頷いた。


 ノクスは目を細める。


「では逆に問う」


 静かに、言い切る。


「今のままで、残ると思うか?」


 ――言葉が詰まる。


「安く売ることで救えるのは、“今この瞬間”だけだ」


「だが、その代償として店が潰れれば――」


 一拍。


「全員を失う」




 部屋が、静かになる。


 窓の外では、虫の声だけが続いていた。




 ノクスの声が、わずかに低くなった。


「戦場でな」


 その一言に、空気が変わる。


「全員を救おうとした将は――」


 わずかに間を置く。


「全員を死なせる」


 結衣の指先が、ぴくりと止まった。


「守る対象を絞れぬ者は、結果として何も守れん」


「それは戦でも、経営でも同じだ」


 静かに。


 だが、断定的に言い切る。


「……っ」


「感情で手を広げれば、判断が遅れる」


「遅れは、そのまま損失になる」




 結衣は、無意識にペンを握り直した。


 握った指先が白くなるくらい、力が入る。


 でも――


 ノクスの言葉は、正しい。


 頭では、分かっている。


 分かっているのに。


 心が、ついていかない。




 ノクスはそこで一度、言葉を切った。


「だが」


 視線が、まっすぐ結衣を捉える。


「お前はすでに、“選ばねばならない場所”まで来ている」


 逃げ場はない。


 そう言われているようだった。


「……怖いか」


 小さく問われる。


 その声には、責める色はなかった。


 ただ、確認するように。




 結衣は、少しだけ息を吸った。


 そして――


「……うん」


 正直に、答えた。


 ⸻


 ノクスは、ほんのわずかに口元を緩める。


「それでいい」


 短く言い切る。


「恐怖があるうちは、判断を誤らん」


 静かに。


 だが、確信を持って。




「覚悟を決めろ」




 その一言が、部屋に落ちた。


 結衣はしばらく、その言葉の重さを受け止めるように、動けなかった。


 やがて――


 ゆっくりと、ペンを紙の上に置いた。


 逃げない。


 そう、決めるために。


ここから第3章に入ります。


今回のテーマは「米不足」。

実際に起きている状況をベースにしながら、物語として描いています。


少しシリアスな入りになりましたが、

この状況の中でどう考えて、どう選んで、どう前に進んでいくのか。

結衣たちの“踏ん張りどころ”を見届けてもらえたら嬉しいです。


きっと、しんどい選択も出てきます。

でもその中で、それでも前に進もうとする姿を、応援していただけたらと思います。


そして、いつもブックマークやリアクション、本当にありがとうございます。

ひとつひとつが、とても励みになっています。


引き続き、よろしくお願いします。


ちゃんと甘い展開も用意しているのでご安心ください☺️

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