第51話 働く手は、綺麗じゃない?
(その手は荒れている。でも、それを“かっこいい”と言う人がいた)
結衣は作業を続けながら、ちらりと視線を向けた。
新人の女の子――石田リコ。
ノクスに話しかけ、キリに触り、アイルを追いかけている。
元気で、明るくて、キラキラしている。
別に。どうでもいいはずなのに。
胸の奥が、ほんの少しだけざわつく。
その理由は、結衣にも分かっていた。
数週間前のことだ。
配達を終えて稲宮米店に戻ると、店の引き戸が開いて明るい声がした。
「こんにちはー」
振り向くと、大学生くらいの女の子が立っていた。
ふわっとしたスカートに、淡い色のカーディガン。
肩までの髪は軽く巻かれていて、いかにも大学帰りといった雰囲気だった。
「お米ありますか?」
「はい、大丈夫ですよ」
結衣が袋を用意していると、女の子は店の中をきょろきょろ見回した。
「ここ、初めて来たんですけど。父がここのお米美味しいって言ってて、買ってこいって頼まれて」
「お父さん、近くの方ですか?」
「あ、はい」
女の子はにこっと笑った。
「私、石田リコです。三丁目に住んでて、父が昔からここでお米買ってるみたいで」
「ああ……」
思い出す。
確かにいる。長く通ってくれている常連さんだ。
袋を差し出すと、少しだけ手が触れた。
白くて細い指。
綺麗な手だった。
結衣はふと、自分の手を見た。
少し荒れた指先。
冬のアカギレの跡。
配達でついた小さな傷。
腕も、前より筋肉がついている。
米袋を持つ生活になってからだ。
大違いだな、と思った。
リコは袋を受け取ると、ぱっと笑った。
「ありがとうございます。また来ますね」
軽い足取りで店を出ていく。
大学生らしい、明るい後ろ姿だった。
回想が途切れる。
まさかそのリコが、のちにスーパーの新人として現れるとは思わなかった。
もう一度、店内のリコを見る。
ノクスに話しかけ、キリに触り、アイルを追いかけている。
元気で、明るくて、キラキラしている。
別に。ほんとに、どうでもいいはずなのに。
胸の奥が、また少しだけざわついた。
* * *
昼過ぎ、改装作業はいったん休憩に入っていた。
店の裏口近くにある休憩スペースに、従業員たちがばらばらに座っている。
冷たいお茶を飲む人、壁にもたれてぼんやりしている人。
初夏の空気は少し湿っていて、作業の後の体にはやけに重たかった。
結衣も椅子に腰を下ろし、スマホを取り出す。
なんとなく、ファッションサイトを開いた。
薄いブラウス。
夏物のワンピース。
軽そうなスカート。
画面の中のモデルは、どれも涼しそうだった。
自分の腕を見る。
米袋を持つ生活で、前より筋肉がついた腕。
手のひらには小さな傷や荒れた跡が残っている。
私、女っ気ないな。
最近、洋服なんて全然買っていない。
配達しやすい服、汚れてもいい服、動きやすい服。
いつも同じような格好ばかりだ。
画面の中の服はどれも可愛いのに、自分が着ている姿はあまり想像できなかった。
そのとき。
後ろから、ふっと影が落ちた。
「結衣ちゃん」
振り向こうとした瞬間、すぐ後ろから顔が近づいた。
「わっ」
アイルだった。
結衣の背中のすぐ後ろに立って、肩越しにスマホを覗き込んでいる。
近い。距離が近い。
「服見てるの?」
「え、いや……」
結衣は慌てて画面を隠そうとする。
けれどアイルは気にした様子もなく、指先で画面を指した。
「これ、結衣ちゃんに似合いそう」
顔が、すぐ横にある。
少しだけ息がかかる距離だった。
結衣の心臓が変な音を立てた。
「そ、そんなの似合わないよ」
アイルは首を傾げる。
「なんで?」
「だって私――こういうの着る人じゃないし。毎日米袋運んでるし」
自分の手を見せる。
「手もこんなんだし」
アイルは少しだけ眉を上げた。
そして、結衣の手を軽く取る。
「……?」
結衣が固まる。
アイルは手のひらをじっと見て、それからくすっと笑った。
「これ?」
「働いてる手じゃん」
さらっと言う。
「かっこいいよ」
結衣は一瞬、言葉を失った。
傷のある手を。
荒れた指先を。
誰かにそんなふうに言われたことはなかった。
「似合うよ」
アイルは少しだけ笑う。
「結衣ちゃん、可愛いし」
一瞬、時間が止まった。
「なっ……!」
顔が一気に熱くなる。
アイルはくすっと笑って、ぽん、と結衣の頭に手を置いた。
「ほら。元気出るおまじない」
軽く撫でる。
「成功」
「子供扱いしないでよ」
思わず顔をしかめる。
「えー?」
アイルは楽しそうに笑う。
「昔はキリ、すごく喜んだのに」
「え?」
「小さい頃、よくやってあげてたんだよ」
肩をすくめる。
「キリ、意外と甘えん坊でさ。頭撫でると、すぐ機嫌直った」
少しだけ懐かしそうな顔だった。
その時、少し離れたところから低い声が飛んだ。
「……聞こえてるぞ」
キリだった。
露骨に眉間に皺を寄せている。
アイルはくすくす笑う。
「怒りっぽいところも、変わらないけどね」
結衣は思わず吹き出した。
その空気が少し和んだ瞬間、アイルがふっと距離を詰めた。
結衣の髪を一房、指で取る。
「じゃあさ」
少し声を落として言う。
「子供扱いじゃなくて」
結衣の心臓が跳ねる。
アイルは上目遣いで微笑んだ。
「一人の女性として、元気づけようか?」
結衣の顔が真っ赤になる。
「な、なに言って――」
その瞬間。
「アイル」
低い声。
振り向くと、ノクスが立っていた。
腕を組んでこちらを見ている。
赤い瞳が、わずかに細くなっていた。
何も言っていないのに、その立ち方だけで空気が変わる。
アイルは一瞬だけ止まる。
それから、にこっと笑った。
「残念」
髪をそっと離す。
指先が、ゆっくりと。
「続きはまた今度」
結衣はしばらく動けなかった。
頭を撫でられた感触が残っている。
髪を離した指先の感触も。
どちらも、まだそこにある気がした。
……この人。
絶対タラシだ。
ほぼ毎日更新予定なのですが、たまに?寝落ちして気づけばとっくに日を跨ぐ時間になってたりします。
その2、3時間後には出勤時間なので、夜に更新されていなかったら…お察しください笑




