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第27話 魔王、出動。…逃げ場は、ない。

 (人手不足じゃない。管理不足だ。)


 玄関のドアが静かに閉まった。

 結衣が出勤した音だ。


 家の中は、しばらく無音だった。


「……よし」


 低い声が落ちる。


 ダイニングのテーブルの上には紙の山。

 レポート、図表、資料、手書きのスケッチ、そして見慣れない文字列。


 ソファには、疲れ果てた豊が転がっていた。

 昨夜遅くまで付き合わされた結果だ。


「本当に行くのか」


 腕を組んだキリが言う。


「当然だ」


 ノクスは淡々と答えた。


「原因が外部にあるなら、排除する」


 アイルが机に突っ伏したまま手を上げる。


「名刺、もうちょっと作る?」


 テーブルの端には、整然と並んだカード。

 どう見ても印刷物にしか見えない。だが、すべて手描きだ。


「十分だ」


 ノクスは一枚を手に取る。


 経営戦略顧問

 乃久栖のくす 真旺まお


「……肩書き、これでいいの?」


「問題ない」


「堂々としてれば本物に見えるからね〜」


 アイルがけらけら笑う。


 キリは最後の資料を閉じた。


「競合調査、完了した」


「ご苦労」


「だが」


 キリの目が鋭くなる。


「この店は内部から崩れている」


「承知している」


 ノクスは静かに言った。


「だからこそ、正面から行く」


 そのとき、ソファの上で豊が寝ぼけた声を出した。


「……んん……配達……」


 ノクスは振り向かずに言う。


「借りるぞ」


 


 数分後。


 玄関に立つのは、黒いスーツに身を包んだ男だった。


 豊の服だ。

 だが、同じ布地がまるで別物に見えた。


 肩幅に合わせてぴんと張った生地。

 重力に従って真っ直ぐ落ちる裾。


 纏う人間が変わると、服はここまで変わる。


「……どうだ」


 キリが小さく呟く。


「威圧感が増したな」


 アイルは満面の笑みだった。


「完璧!」


 ノクスはネクタイを整える。

 鏡を一瞥する。


 その目に、かつての指揮官の色が戻っていた。


「では——」


 静かにドアを開ける。


 



 静かな応接スペースだった。


 向かいに座る店長は、目の前の男を訝しげに見ていた。


 黒のスーツ。無駄のない姿勢。

 何より、その目だ。


 値踏みするでも睨むでもない。

 ただ静かに観察している目。


 それだけで、妙に落ち着かない。


 男は静かに名刺を差し出した。


「――乃久栖 真旺と申します」


 受け取った名刺を読む。


 稲宮米店 経営戦略顧問。


「……顧問?」


「現在、稲宮米店の経営コンサルタントを担当しております」


 声は低く、落ち着いている。

 だが、妙に逆らえない響きがあった。


「本日は、貴店の運営についていくつかご提案があり参りました」


 一拍。


「双方にとって、利益のある話になると考えております」


 店長は椅子に深く腰を下ろし直した。


「……具体的には?」


 乃久栖はゆっくりと指を組んだ。


「率直に申し上げます」


 その瞬間。


 静かな応接室に、逃げ場のない圧が生まれた。


 空気が変わった、と店長は思った。


 温度が下がったわけでも、声が大きくなったわけでもない。

 ただ、この男が「始める」と決めた、その気配だけで。


「現状の店舗運営は、人的負担に過度に依存しています」


 店長の眉がわずかに動く。


「設備は整っている。立地も悪くない。にもかかわらず、効率が上がっていない」


 資料を数枚、整然と並べる。


 紙の置き方まで、迷いがなかった。


「原因は三つです」


 指を一本立てる。


「第一に、動線設計の不備。売場・バックヤード・レジの往復距離が長い。作業が分断され、無駄な移動が多い」


 店長の中で、何かが引っかかる。


 ずっとそういうものだと思っていた。

 だが今、「問題」として提示された。


 二本目の指が立つ。


「第二に、業務の属人化。特定の人物しかできない作業が多く、欠勤時に即座に現場が崩れる」


 視線が鋭くなる。


 分かっていた。

 分かっていて、放置していた。


 三本目。


「第三に、人事管理の未整備」


 沈黙。


 さっきまでとは質の違う、重い沈黙。


「……人事?」


「はい」


 即答だった。


「勤怠管理、業務分担、指示系統。いずれも明文化されていない」


 店長の指が、机の上でわずかに動く。


「結果として、現場の判断が感情や経験に依存している」


 逃げ道を塞ぐ。


「それは管理ではありません。ただの“場当たり”です」


 店長が息を詰める。


 言い返せない。

 ——すべて事実だったからだ。


「……しかし、人手が足りなくてですね」


「人手不足は原因ではありません」


 断言だった。


「管理不足が、人手不足を生むのです」


 沈黙。


「例えば」


 資料を一枚めくる。


「雇用契約書は、定期的に見直されていますか?」


 店長の肩が跳ねた。


「……え?」


「勤務条件、業務範囲、責任区分。変更があった場合の再締結」


 ゆっくりと重ねる。


「更新されていますか?」


 沈黙。


「……いえ、その……」


 乃久栖は一瞬だけ目を細めた。


「――そもそも、契約書は存在しますか?」


 店長の額に汗が浮かぶ。


 言葉が出ない。


 それが答えだった。


 乃久栖は、責めるでもなく頷いた。


「想定通りです」


「想定……?」


「多くの小規模事業者が同様の状態にあります」


 声は穏やかだ。


 だが、逃げ道はない。


「曖昧な契約は、曖昧な責任を生みます。曖昧な責任は、現場の衝突を生みます」


 一拍。


「そして最終的に、経営者の負担となる」


 静かに言い切る。


「今、苦しんでいるのは現場ではなく、あなたでしょう」


 店長の呼吸が止まった。


 誰にも言われたことがない言葉だった。


 責められているのに——

 責められている感じがしない。


 見えていなかったものを、ただ置かれた。


 そんな感覚だった。


 乃久栖の声が、わずかに低くなる。


「困った従業員がいる場合も同様です。契約内容の見直しと再締結によって、状況が改善する可能性は高い」


 一拍。


「もちろん——大変な作業になります」


 店長の視線が落ちる。


「現場を回しながら制度を整えるのは、非常に負担が大きい。コストの面でも、懸念があるでしょう」


 乃久栖は、さらに一枚、別の資料を卓上に滑らせた。


「ですが、現在この国には『働き方改革推進支援助成金』や、IT導入を支援する補助金が複数存在します」


 店長が目を見開く。


「これらを活用すれば、就業規則の改訂に必要な専門家への報酬や、動線改善のためのシステム導入費用の大半を、国からの補填で賄うことが可能です」


 指先が一点を叩く。


「申請のロジック構築は、すべてこちらで行います。あなたは、私の提示する書類に判を押すだけでいい」


 店長の喉が鳴る。


 自分の身銭を切らずに、現状を変えられる。


 そして——


 低く、穏やかに。


「……あなたのご苦労は、十分承知しております」


 店長の肩が震えた。


「限られた人員で店を維持し、問題が起これば矢面に立ち、誰にも相談できない」


 視線が、真正面から突き刺さる。


 だが、その目は冷たくない。


「さぞ、大変なことでしょう」


 沈黙。


 店長は、何も言えなかった。


 今まで誰も、そこを見ていなかった。


 乃久栖は静かに資料を差し出す。


「ですが、改善は可能です」


「契約書の整備、業務の再設計、人員配置の最適化」


「段階的に行えば、現場を止めずに実施できます」


 そして——


 わずかに口元を上げた。


「私がお力をお貸しします」


 低く。


 逃げ道を与えない優しさで。


「ぜひ、やってみませんか」


 店長は、しばらく動かなかった。


 この男に任せれば終わる——ではない。


 違う。


 この男には、断れない。


 そう感じた。


 全部見えていて、全部分かっていて、

 それでも「やれる」と言っている。


 そんな人間に、初めて出会った。


 やがて。


 震える手で資料を取る。


「……お願いします」


 小さな声。


 だが確かに。


 ——陥落していた。


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