第25話 好ましい、の意味が分からない
(その一言が、朝になっても消えてくれない)
まぶたの裏が白く滲んで、結衣はゆっくりと目を開けた。
見慣れた天井。見慣れた部屋。そして、静けさ。
いつもなら聞こえているはずの外の音が、やけに遠い。
体が布団に沈んでいる感覚が、妙に重い。
「……あれ?」
体を起こそうとして、はっとする。時計を見た。
「……っ、え?」
針は、すでに昼を回っていた。
「お昼過ぎ!?!?」
慌てて布団を跳ねのけた瞬間、扉が開く。
「目が覚めたか」
そこにいたのは、トレーを手にしたノクスだった。
「の、ノクス!? 時間!! 私!!」
「職場には連絡済みだ」
即答。結衣の動きが止まる。
「……え?」
「体調不良につき本日休む、と伝えた」
淡々とした声だった。だが、その目は妙に鋭い。
「まだ体内魔力も安定していない。無理をすれば再び悪化する」
トレーを机に置きながら続ける。
「今日は安静だ。部屋から出るな」
有無を言わせない口調だった。
「で、でも……」
「異論は認めん」
ぴしゃり。
言葉を失う結衣を一瞥すると、ノクスはそのまま部屋を出て行った。
静かに扉が閉まる。
取り残された部屋。
しばらく、ぽかん。
「……」
「……えぇぇぇ……」
布団に座ったまま、両手で顔を覆う。
休んじゃった。勝手に連絡まで。
でも――助かった。
小さく息を吐く。
そのとき、不意に昨夜のことが蘇った。
温かい腕。優しい手。背中を撫でる感触。
そして。
――『私は、頑張っている結衣を好ましく思っている』
「……」
「……」
「…………」
じわじわと、顔に熱が集まってくる。
「好ましく思っている……」
小さく呟く。呟いてから、余計にまずかった。
「好ましい……」
もう一度。なんで繰り返してるんだ私。
「好き……?」
「っっっ!!!」
枕を掴んで顔を埋める。布団がもぞもぞ動く。
落ち着け私!! あれはそういう意味じゃない!!
ばっと顔を上げる。
そういう意味って何!?
「違う違う違う!!!」
頭を抱えてごろごろ転がる。シーツがぐしゃぐしゃになる。
「普通に励まし!! 部下とか家臣とかに言うやつ!!」
「……いや、私家臣じゃないけど!!」
「っていうか泣き顔見られたのが一番恥ずかしい!!!」
再び枕に顔を突っ込む。じたばた。シーツがさらにぐしゃぐしゃになる。
そのとき。
コンコン。
「結衣、昼食を持ってきた」
扉が開いた。
結衣は反射的に跳ね起きた。
「わっ!?」
その顔を見た瞬間、ノクスの眉が寄る。
「……顔が赤いな」
一歩近づく。
「先ほどよりも熱が上がっているのではないか」
額に手が伸びてくる。ひやり。
「大丈夫、大丈夫だから!」
慌てて後ずさる。
「駄目だ。お前の”大丈夫”は信用ならん。測るぞ」
「測らなくていい!!」
「いいからじっとしていろ」
結衣の肩を押さえて座らせる。体温計を差し出す。
「ほら」
「今は医療機器に頼るべきだと”ぐーぐる”が」
「ぐーぐる万能説やめて!!」
それでも半ば強制的に測らされる。数十秒の沈黙。
ピピッ。
ノクスが表示を見る。
「……微熱だな」
「ほら!! 大丈夫でしょ!!」
「全く大丈夫ではない」
断言。
「顔が異常に赤い。脈も早い」
真剣そのものの顔で言う。
「何かあったのか」
ドキッとする。
原因あなたです――とは言えない。
昨夜のことを思い出したせいで顔が赤いとも言えない。
「好ましい」の一言が、ずっと頭の中でリフレインしていたとは、絶対に言えない。
「な、何もないよ!?」
視線が泳ぐ。
ノクスはじっと見つめる。
「……本当か?」
近い。無駄に近い。
その顔が、昨夜と同じ目をしている。
やめてええええええ!!
「ほんと!! ほんとだから!!」
強く頷く。
ノクスはしばらく観察したあと、小さく息を吐いた。
「……ならば良い」
だが次の瞬間。
布団を引き上げ、結衣の肩までかける。
「横になっていろ」
ぽん、と頭に手を置く。
「無理をするな」
低く、優しい声。
また言う。優しくする。
こういうことを、何でもない顔でする。
顔がさらに赤くなる。
ノクスはそれを見て、真剣な顔で呟いた。
「……やはり熱が高いな」
「だから違うってばーーーー!!!」
部屋に叫びが響いた。




