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第89話 ホームページ作成、開始


 (「……崩れてる」その一言で、アイルの二週間が死んだ)


 


 農家への撮影が、一通り終わった。


 何度かに分けて通った、あの田んぼ。


 じりじりとした日差しの中で撮り続けた稲の苗。


 精米の様子。


 積み上げられた米袋。


 アイルが丁寧に選んだ写真が、フォルダの中に揃っている。


「そろそろ、ホームページ作成に取り掛かる」


 稲宮米店の居間に、ノートパソコンが一台と、紙の束が広がっていた。


 結衣が不安そうに聞く。


「え、でも……コード? とか書けるの?」


「書かん」


 即答だった。


「専門知識を習得する時間は非効率だ。今回はコードを書かずに扱えるツールを使う」


「つまり……」


「既存の仕組みを使う」


 その言葉に。


「待ってました!」


 アイルが勢いよく立ち上がった。


 椅子が、がたりと音を立てる。


「僕、ずっとやってみたかったんだよね!」


 目を輝かせて、すでにやる気満々だ。


「任せてよ、絶対いいの作るから!」


 その顔は、新しいおもちゃを与えられた子どもそのものだった。


 ――そして。


 その言葉通り、最初の十分は順調だった。


「ここに画像置いて……文字入れて……」


「いい感じじゃない?」


 結衣が覗き込む。


「でしょ?」


 アイルが得意げに笑う。


 ……が。


「……あれ?」


「ん?」


「なんで動かないのこれ」


 思った位置に配置できない。


 文字がズレる。


 画像が変な場所に吸い込まれる。


「ちょっと待って、なんで!?」


「余白がおかしい! 視線の流れが変!」


「え、そこまで分かるの!?」


「分かるの!!」


 ここから。


 終わりの見えない作業が、始まった。


 数日後。


「画像、でかすぎる」


「いや小さいと見えないって!」


「文字、詰めた方がいい」


「詰めたら読みにくいでしょ!」


「……デザインとは難解だな」


「難解で済ませないで!」


 キリが冷静に分析するたびに、アイルの返しが一拍遅れてくる。


 疲弊しているのに、口だけは動く。


 さらに数日後。


「……終わらない」


「終わらせるんだ」


「まだ見直す」


「まだやるの!?」


 アイルの目の下に、うっすらとクマができ始めていた。


 完全に沼だった。


 その間。


「エレンくん、これ持ってきな!」


「え、いいの?」


「この前助かったしね」


「じゃあ遠慮なく」


 商店街の一角で、エレンは完全に馴染んでいた。


 手には、なぜか野菜と惣菜。


「結衣ちゃんによろしくねー!」


「言っとく!」


 にこにこと手を振って、軽やかに戻ってくる。


「……なんかもう、住んでる人みたいだね」


 結衣が苦笑する。


「いやー、居心地いいんだよねここ」


 軽く言う。


(……ホームページより早く集客してない?)


 少しだけ、遠い目になる結衣だった。


 そして。


 二週間後。


「……よし」


 アイルが、ふらりと立ち上がった。


 目の下には、くっきりとクマ。


 肌の色が、最初より心なしか白い。


「形にはなった……」


「お疲れ様……!」


 結衣が本気で労う。


「見てもいい?」


「もちろん……!」


 誇らしげに見せる画面。


 そこには、しっかり整ったホームページ。


「すごい……! ちゃんとお店っぽい!」


「でしょ……」


 力なく笑うアイル。


 二週間分の疲労が、その笑顔の裏に透けて見えた。


 そのとき。


 結衣がスマホを取り出した。


「スマホでも見てみるね」


「うん」


 軽い気持ちだった。


 本当に。


 ただの確認のつもりだった。


 ――数秒後。


「……あのね、アイル」


 声が、少し慎重になる。


「ん?」


「えっと……その……」


「どうしたの?」


「……崩れてる」


 沈黙。


「……は?」


 ゆっくりと、アイルが振り返る。


 スマホを覗き込む。


 そこには。


 バラバラに配置された画像。


 重なり合う文字。


 明らかに崩壊したレイアウト。


「……なんで?」


 ぽつりと呟く声が、やけに静かだった。


 その横で。


 キリが、淡々と口を開いた。


「レスポンシブ対応がされていない」


「レスポンシブ?」


 結衣が首を傾げる。


「パソコン用に作った表示を、スマホ用に最適化する機能だ。それが設定されていない」


「……つまり?」


 一拍。


「全て手動で再調整する必要がある」


「……」


「……」


「……うそでしょ」


 膝から崩れ落ちるアイル。


 床に手をついたまま、動かない。


「二週間……」


 かすれた声。


「二週間……やったのに……」


「……アイル」


 結衣がそっと肩に手を置く。


「これも店のためだ」


 ノクスが容赦なく言う。


 一切の躊躇がない。


「軽く言うなぁぁぁ!!」


 絶叫が響いた。


 そして翌朝。


「……終わったよ……」


 アイルは、完全に燃え尽きていた。


 机に突っ伏したまま、ぴくりとも動かない。


「アイル!? 大丈夫!?」


「結衣ちゃん……」


 か細い声。


「褒めて……」


「うん……本当に頑張ったね」


 優しく頭を撫でると、アイルの肩からふっと力が抜けた。


「……へへ」


 嬉しそうに笑って、そのまま机に突っ伏した。


「……では公開だ」


 ノクスが言う。


 全員が画面を見る。


 クリック。


 ――表示されない。


「……あれ?」


 もう一度。


 ――表示されない。


 沈黙が、落ちた。


「……ドメインは設定済みだ」


 ノクスが言う。


「このURLで表示されるはずだ」


「……出ないね」


「……なぜだ」


 キリが画面に食いつく。


 指先が、素早くキーボードを叩く。


 数分後。


「……あ」


「何?」


「ネームサーバーの反映が、まだだ」


「……つまり?」


「待つしかない」


「今さら!?」


 アイルの声が裏返る。


「二週間やって、最後それ!?」


「仕様だ」


 キリは真顔だった。


「数時間から、最悪一日かかる」


「早く言ってよぉぉぉ!!」


 再び崩れ落ちるアイル。


 今度は立ち上がる気配すらない。


 その横で。


「まぁ」


 エレンが肩をすくめる。


「その間に常連増やしとくよ」


「方向性が違う気がする」


 結衣がツッコむ。


 そのやり取りを横目に。


 ノクスは静かに画面を見ていた。


(……ここからだ)


 ようやく、準備が終わる。


 長かった。


 だが――これで、戦える。


 その隣で。


 キリの目が、じわりと光った。


 画面に映るダッシュボード。


 まだ何も動いていない。


 でも、もうすぐ――数字が動き始める。


「……いよいよだ」


 小さく呟く。


 その声には、いつもの抑制がなかった。


「分析が始まる」

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