可憐なる偶像 3-1 挿絵あり
お菊は救援に来た石山本願寺の僧兵や傭兵と一緒に馬に乗り石山本願寺に入ったのである。お菊は疲れ果てていて何分くらい馬に乗っていたか覚えていなかったが石山本願寺に到着したのである。
石山本願寺は寺とは言うが塀を巡らせた石垣の上に立ち本堂を守る壁のように周囲を坊や寺内町が取り囲みまるで城のようであった。
お菊は石山本願寺の敷地内にある坊の一つに案内されたのである。坊の前で
「ここで待っていなさい。迎えの女子がすぐに来るのでな」
僧兵はそう言うと他の兵と一緒に去って行ったのである。
とても静かで清潔な坊で門の表札には桜花院とあり表札には純白の小さな花瓶がぶら下がりその中には小さい赤い花が一輪だけ飾られ中からほのかにお香の香りがして男子禁制なのかとお菊は感じた程である。しばらくすると中から誰かが来たのである。
「お帰りなさい。待ってたわ」
長い黒髪を腰当たりで束ね薄水色の高級な着物を着た背の高いすらりとした20代後半の女性がにこやかに出て来たのである。
お帰りなさいと言われても初めて来た場所である。お菊は驚いてしまったがお菊はふと町や店がどうなったのか思い出したのである。
「あ、お家に帰らないと」
「あなたの家は今日からここよ」
「あたしのお家は堂島の茶屋だよ。ここじゃないよ」
お菊が返すと
「いいえ。あなたの家は今日からここなのです。あなたは阿弥陀如来様に呼ばれたのです」
「え?阿弥陀如来様?」
お菊は彼女が何を言ってるのか分からずきょとんとしたが彼女はそのまま院の中に戻ったのである。
「あ!ちょっと待って!」
お菊は慌てて彼女を追いかけてしまったのである。
お菊は訳も分からず彼女の後をついて行った。廊下を進み院の奥に来ると
「ここがあなたの部屋よ」
彼女が襖を開けると小さな中庭がありそれを囲むように8畳間が3部屋並んでいたのである。机と経典がおかれた部屋と布団が敷かれた部屋と奥に着物や小たんすや鏡台が置かれた部屋である。中庭の東側は白壁があり遠くに生駒山が見えた。
「わぁ。きれい。広い」
お菊が思わず声を出したが
「今は私の院の間借りで申し訳ないけど実績を積めばもっと広い院に移動できるわ。あなたなら出来るわ。健闘を祈るわ」
「実績を積む?」
「用事がある時はあの呼び鈴を鳴らせば婆やが用事をしてくれるわ」
布団の横に小さな呼び鈴が置かれていた。彼女はそれをちりんと鳴らした。
「あとあなた、かなり返り血を浴びているからお風呂に入って清めなさい。新しい着物も用意してありますので」
「うわ!」
お菊も今更ながら返り血を浴びて所々どす黒くなっている自分の着物に気持ち悪くなったのである。今日は色々と必死で気付かなかったである。
「背中を流す時は手伝うわ。ちょっと外すわね」
彼女はそう言うと部屋を出て行ったのである。
「お菊さん。お風呂に入って清めながらゆっくりしなさい」
すぐに老婆が替えの着物を持って出てくると戸惑うお菊を無視して着物を素早く脱がすとお菊を風呂に無理やり押し込んだのである。
「お風呂のあるお屋敷(坊)になんであたし居るんだろ」
お菊は湯船につかりながら考えていた。
当時は風呂は家になどなく有料の町の銭湯(公衆浴場)にたまに行く程度である。お菊も寒くない時は茶屋の裏で行水する程度である。
「今日はあたしの人生最悪の日のはずなのに」
お菊は今日を思い出したのである。
明智光秀と松永久秀のせいで義姉のさちや町のみんなや頑強僧正、飼い猫の虎までを失ったのである。自分も殺されそうになったのを冷静に考えると自分でも驚くような力で薙刀で相手を次々と倒してしまったのである。
そして最後に鉄砲で蜂の巣にされそうになった時に光秀がなぜか助け舟を出してくれたのである。
「明智殿なんであたしを助けたんだろう。止めずに鉄砲で穴だらけにしてくれてたらもっと楽だったかもしれないのに。あとあたしなんで戦えたんだろう。薙刀なんて持った事もないのに。人も何人も殺めちゃった。あたしもあの足軽たちと同じだ。あたし恐ろしくて嫌な奴だな」
お菊は冷静に考えると悲しさよりも自分のした事が恐ろしくなり震えたのである。
その時トントンと風呂場の扉が叩かれると
「お邪魔するわね」
先ほどの女性が風呂に入って来たのである。
「わ!」
女性同士とは言えさち以外のはすごい近い距離できちんと見た事が無く目の前過ぎてお菊は思わず驚きの声を出してしまったのである。彼女はお菊が感じるには豊かな大人の女性でお菊は子供の自分と比べて赤くなってしまったのである。お菊は顔を半分まで湯船に浸かって目をそらした。彼女は驚くお菊に全然構わず一緒に湯船に浸かったのである。
「今日はゆっくり休んで清めてね」
「……」
「どうしたの?義姉様や門前町の方の件は残念だわ」
「それもそうだけど。あたし人を殺めちゃった。何人も何人も」
お菊は今日の事を思い出しまた震えながら言った。
「あなたのせいじゃないわ。あなたは襲われたからあなたは自分を守るために戦っただけよ」
「でも」
「むしろ生き残った事に感謝しなさい。あの修羅を生き残ったあなたは阿弥陀如来様のご加護が間違いなくあったわ」
そう言うと彼女はお菊の肩に優しく手をかけ抱き寄せたのである。
「あなたは義姉様やご両親様の分まで長く生きればそれが孝行になるわ」
「あ……」
(なんだろう?この人死んだ母上と同じ香りがする)
お菊は何か懐かしさを彼女に感じてしまったのである。震えは止まったのである。
「ところで明日だけどあなたは顕如様とお会いしますから」
「顕如様と!」
顕如は浄土真宗、石山本願寺の宗主である。お菊は驚きの声を上げてしまった。
「でもなんで?」
お菊が聞くと
「あなたが光福寺のただ一人の生き残りだからよ。あの修羅を生き残ったあなたは阿弥陀如来様のご加護を持っているのよ。あなたは阿弥陀如来様の巫女として戦うのよ」
「あたしが?」
お菊は はい と言えなかった。戦うのは好きではないし人を殺めるのも嫌である。まずそのような技量は持っていないし今回は偶然助かっただけとお菊自身が思っていたのである。
「急にそんな事を聞かされても はい と答える人はいないわ。今日はゆっくりお休みなさい」
「あのう。あたしあなたの事をなんて呼んだら良いんですか?」
「弥生で良いわ」
「弥生さんですね」
「弥生で良いのよ」
「?でも弥生さん、あたしよりずっと大人ですし」
「あなたと私は阿弥陀如来様のために戦う者同士ですもの」
「はぁ?」
「明日から私があなたに戦いだけでなく生き残るためのすべての術を授けるわ」
「はぁ」
お菊はやはり何がなんだか分からなかったのである。
弥生に背中を流してもらい体を清めた事になったお菊は今日の事はすべて忘れよう。これは夢かもしれないときれいな布団に身を任せ眠りに着いたのである。
朝は生きる者全てに平等に来る。お菊にも朝は来たのである。
「あたし、やっぱり生きてるんだ」
お菊は 生 を実感したのである。
婆やだが既に朝食の用意までしてくれていたのである。
「おはよう。良く寝れたかしら?」
さっそく弥生がやって来たのである。
弥生だが今日は昨日の着物の上に袈裟を着ていた。
「はい」
「良いわね。朝食を食べてからその着物に着替えたら行きましょう。顕如様もあなたをお待ちよ。」
「うわあ」
お菊は少し嬉し気な声を出してしまった。紫の高級な着物が準備されていたのである。お菊が普段着るような青苧や麻の着物とは違って生地がしっかりしている絹製だった。
お菊は亡き両親やさちが門徒衆(浄土真宗信者)だったのでお菊も門徒衆であったがあまり意識せずに生きてきた。だから石山本願寺に来たのも初めてであった。石山本願寺の本堂は外から見てもその屋根の大きさから巨大な建物とは予想できたがこの日は人のざわめきが中からが聞こえ人が集まっているのも感じたのである。
このたくさん人が居る雰囲気と顕如に会うのでお菊は緊張していたのである。
「緊張しなくても良いのよ。私の言う通りにすれば大丈夫よ」
弥生がお菊を落ち着かせようとしたのである。
しばらくすると石山本願寺の高僧と思しき中年の僧が迎えに来たのである。
「お菊殿。よろしいかな?では参りましょう」
「はい!」
お菊は声を裏返しながら返したのである。




