地獄からの乙女 2-2
「く!万事休すか!女子供老人は裏から逃げろ!絶対に入れるな!」
頑強が叫ぶと戦えない者は慌てて裏の門から逃げようとしたのである。
「鉄砲隊!武者走りの連中を牽制しろ!大鉄砲!門を打ち破れ!一気に攻め入れ!」
光秀も一気に命を出すとまず松永の鉄砲隊は武者走りの兵に乱射し反撃の動きを止めその隙に大鉄砲で光福寺の門扉を破壊したのである。
光福寺の門扉は不幸にもただの木板製で呆気なく撃ち破られたのである。
「良し!全軍突撃!全員男女坊主構わず犬猫まで叩き斬れ!裏にも兵を回せ!一匹も逃すな!」
久秀も命を出すと壊れた門扉から光福寺に松永兵が乱入したのである。
「戦える奴!武器を持て!甲冑を着ろ!少しでも時間を稼ぐぞ!」
頑強も甲冑を着て薙刀を持つと女子供老人に逃げるよう促しながら自らは石山本願寺の兵と共に戦い始めたのである。
町の戦える男たちも頑強に倣い急いで甲冑を着たり武器を取ると松永兵に向かって行ったのである。さちと山太郎と川兵衛も持ち込んだ荷物から甲冑を取り出すとそれを着こみ武具を持つと
「へへ!1人でも多く地獄へ道連れにしたるわ!」
「三好の意地を見せてやるぜ!」
川太郎、山兵衛は息巻いていた。
石山本願寺の兵は数では松永軍より勝っていたが個人の兵の質は経験の差で松永兵の方が上であった。
石山本願寺の兵は優れた僧兵と戦の経験の少ない門徒宗の寄せ集めで死の恐怖に負けて崩れ出すと押され始めたのである。
それでも頑強だが味方を励まし押し留まっていたのである。
「さち姉!なんで逃げないのさ!」
お菊だが一緒に逃げようと思ったさちが甲冑を着込み薙刀を持って味方に助太刀するため乱戦に向かおうとしているのを見て仰天したのである。
「お菊!早く逃げな!」
さちは振り返ると厳しい顔で言ったが
「あたしや母上父上の分まで長生きするんだよ!」
全てを覚悟したように一瞬にこりと笑ったのである。
「よっしゃ!川ちゃん!山ちゃん!援護しておくれよ!時間を稼ぐよ!」
さちは川太郎、山兵衛は甲冑を着て薙刀を操りながら味方の兵と松永兵の前に猛然と飛び出すと前衛の兵を斬り倒し排除し更に前進したのである。
「さち殿!すごい!」
溝尾が驚くと
「やる!」
光秀も感嘆の声を出したのである。
松永隊だが押し返されたのである。
「ここから先には行かせないよ!」
さちは素早い動きで松永兵をかわしながら薙刀で斬り倒し川太郎、山兵衛もさちと合わせるように松永兵を押し倒しながら進み、光秀や溝尾茂朝の前に立ち塞がったのである。
「さち殿。あなたには感謝する。しかしこのような結末になって申し訳ない」
茂朝はさちに詫びたのである。
「乱世だからね。平和だったらあなたともっと仲良くなれたかもしれないけどね。恨みっこ無しだよ。顕如様の気変わりはあたしら下っ端には分かんないからね!」
「あなたとは戦いたくなかった。出来れば逃げて欲しかったが」
「教えてあげるよ!お菊の両親は三好兵として戦って散ったんさ!だからあたしもそれをするまでさ!六花仙のさち!行くよ!溝尾殿!覚悟しな!」
さちはそう言うと猛然と薙刀で茂朝に斬り掛かったのである。
「六花仙?何っ!」
松永兵からどよめきが上がった。
さちの早い動きと薙刀裁きを茂朝は髪一重で避けたが慌てて茂朝の救援に入った松永兵はあっという間に2人もさちに斬り捨てられたのである。
「六花仙だと!ひるむな!討て!大手柄だ!」
松永の兵が更に何人かさちに立ち向かったが川太郎や山兵衛の妨害もあり松永兵はさちの相手にならずまたもや斬り捨てられたのである。頑強や石山本願寺の兵もさちらを助太刀し松永兵を押し始めたのである。
「何をやってるか!何とかせい!」
久秀は女と雑兵もどきに苦戦する味方に歯ぎしりしていた。信長から派遣された目付役の光秀の前で無様な姿も見せたくなかったのであるが。
「小五郎」
光秀が馬廻りの荒深小五郎に声を掛けると小五郎はすぐに鉄砲を光秀に手渡したのである。
光秀は馬上から鉄砲を構えると素早いさちの動きを冷静に追いかけたのである。
さちは更に再度体制を整え茂朝に迫ろうと一瞬止まったがその時、鉄砲の轟音が響いたのである。
「あ!」
さちは短く発すると束ねていた髪がほどけながら後ろに吹き飛ばされ背中から倒れたのである。
光秀の放った鉄砲の弾がさちの左胸を正確に射抜いたのである。
「さち殿、本当にすまぬ。許してほしい」
茂朝は悲しそうに目を閉じると
「南無阿弥陀仏」
光秀も鉄砲を降ろすと念仏を唱えてさちを弔ったが
「この野郎!よくもさっちゃんを!山!手筈通りだ!」
「おう!あの若造だけ狙ったるわ!」
川太郎と山兵衛はさちの仇討ちと言わんばかりに鬼の形相で松永兵を数人突破した後に光秀に迫ったが光秀の親衛隊で武勇に優れる三宅秀満、藤田伝五相手では分が悪く川太郎が先に倒されると山兵衛も程なく倒されたのである。
「やべえ!押されてる!」
「くそ!下がれるか?」
石山本願寺の兵はさち、川太郎と山兵衛たちが倒されるのを見ると動揺し逃げるように後退を始めたのである。
「ひるむな!時間を稼げ!一人でも逃せ!」
それでも頑強らは何とか松永隊を抑えていたが一人また一人と倒されて行ったのである。
「ああ。さち姉」
本堂からさちたちの最期を全て見ていたお菊は柱にしがみつき涙ながらに震えていた。さちだけでなく住民や石山本願寺の兵たちも次々と悲鳴を上げながら倒されて行った。お菊は恐怖で動けなかったのである。
「お菊!早く逃げろ!」
お菊は頑強の声でようやく我に返ったのである。
既に石山本願寺側は壊滅状態であった。
「本堂の裏口から逃げるんじゃ!ワシが抑える!」
お菊はやっと立ちあがりふらつきながら人形を抱いて本堂の奥に逃げ込んだ。頑強がお菊を守るように松永兵を抑えながらついて行った。
「裏口は抑えてるぜ!袋のネズミめ!」
「逃がすな!殺せ!」
松永の足軽小隊4人が槍を捨て太刀を抜いて二人を追いかけて来たのである。
本堂は阿弥陀如来像が鎮座しその裏側は暗く狭く槍では不利だからである。
「くそ!暗いぜ!どこに隠れやがった!ぐああ!」
1人は柱の裏に潜んでいた頑強に薙刀で串刺しにされたのである。
「やりやがったな!坊主のくせに生意気なんだよ!」
もう1人は頑強に襲い掛かったが頑強はこれを薙刀で防いで反撃しようとしたが
「もらった!死ねや!」
頑強は背後から別の足軽に刺されたのである。
「ぐは!」
散々抵抗した頑強もついに膝から崩れたのである。
「ふう。まったく散々手間かけやがって。もう一匹ガキがいなかったか?どこ行った?」
頑強を背中から刺した隊長格の目の細い男はぼやいていた。
「松明でも持ってくればよかったな。ん?」
男は雑然と並ぶ仏像の背後にはみ出た着物の裾に気付いたのである。
「なんだ、お嬢ちゃん。こんなとこにおったんか」
お菊はあの黒い弥勒菩薩像の背後で震えていたのである。
「普段なら礼儀として女の喜びを教えてやってからあの世に送ってやるんだが。今日は久秀様、おっと、もっと恐ろしい信長様から見せしめで裏切ったこの寺の連中を全員殺れって言われてるんでな。ほれ。出ておいで。すぐに楽にしてやる」
眼の細い男の眼と太刀がぎらりと光ったのである。
「おい!早く出ろ!時間がないんや!」
もう1人がお菊の腕と体を掴んで力ずくで男の前に引きずり出したのである。お菊が抱いていた人形はどこかに飛ばされたがそれでもお菊は最後の抵抗と言わんばかりにこの足軽の手を思いっきり噛んだのである。
「痛っつ!」
男は思わずお菊の腕を放してのけぞったが
「さらばだ。お嬢ちゃん」
眼の細い男はお菊に太刀を水平斬りで振り下ろしたのである。
その時、金属が固い何かにぶつかる音がしたのである。
「何ぃ?」
眼の細い男の太刀は弥勒菩薩の胴に食い込んでいたのである。暗くて男は黒い弥勒菩薩の大きさが分からなかったのである。
「ひ!」
男は弥勒菩薩を斬った事とこの弥勒菩薩に恐ろしい形相で睨まれたような錯覚に陥りたじろいだが
「ちっ!運が良いな!お嬢ちゃんよ!」
すぐに我に返り弥勒菩薩に食い込んだ太刀を抜いてお菊を斬ろうとしたが太刀が抜けず手こずったのである。
「なんだ?抜けん!ちっ!」
この時、お菊の中の何かが聞こえた気がしたのである。
自分の生きたい本能の心の奥底の声。死んで行った義姉さちや頑強、みんなの声か。弥勒菩薩の声か。
「あたしは死にたくないない!戦う!」
お菊は呟くと素早く飛び出し頑強の使っていた薙刀を掴むと
「わああ!」
体制を素早く直すと叫びながら渾身の力で薙刀を眼の細い男の腹に突き刺したのである。
「ぶ!」
男は細い目を見開き口から血を噴きながら後ろに吹き飛び息絶えたのである。
「このガキめ!」
手を噛まれた男も慌てて太刀を持ち直しお菊に振り降ろそうとしたがお菊の薙刀の方が一瞬早く振り返りながら真横に空を切ったのである。
「ぐふう!」
空を斬ると同時に鎧と肉の裂ける嫌な音と同時にこの男も断末魔の声を上げ倒されたのである。
「どうした!どうした!うわああ!」
騒ぎを聞き駆け付けた最後の足軽も弥勒菩薩と一緒に恐ろしい顔で暗闇に溶けていたお菊に気付くと同時に薙刀を突き刺されて果てたのである。
本堂の外は光福寺側の兵は壊滅していた。兵だけでなく逃げ遅れた住民も見せしめとしてみな殺されたのである。
「つらいな。戦とは言え。信長公の命とも言え」
光秀だが少し冷や汗をかきながら目を閉じ手を合わせながら呟くと
「本当に末法の世です。我々は極楽に行けるととても思えませんね」
茂朝も呟いた。茂朝は自分が着ていた陣羽織を脱ぐとさちの遺骸に掛け手を合わせた。光秀の護衛の三宅秀満と藤田伝五も手を合わせながらため息をついた。
「まったく手こずらせおって!本堂に逃げた連中はどうしたんや?早くせい!」
松永久秀だが自軍の被害の多さにいらいらしながら部下に確認させると
「中に追いかけて行ったのですが。見てきます!」
1人の足軽が本堂の中がどうなっているのか確認に入って行ったのである。
しばらくすると男の短い叫び声がすると本堂から生首だけがごろごろと転がり出て来たのである。さっき本堂に入って行った足軽である。
「ぐう!」
久秀や松永兵は思わず後ずさりした。
「はあはあ」
本堂から出てきたの返り血で血だらけで薙刀を持ったお菊であった。
「お菊!」
光秀と茂朝が驚きの声を上げた。
「お前らよくもみんなを殺ってさ!許さないよ!」
お菊はさっきの怯えた表情とは全然違う怒りと憎しみの表情で強烈な殺気を放ちながら言った。
「なんだ!すごい何かだ!」
光秀は彼女の体から光が軽く放たれ目が赤く光っているように見えたのである。光秀の古ぼけた脇差も反応して光っていたのである。光秀は驚いて少し後ずさりした。ただこれは光秀の独自の力で他の者には見えない。
「小娘の分際でよ!」
1人の足軽がお菊に槍を突き刺そうと飛び掛かったがお菊は難なくこれを避けると逆に足軽を薙刀で突き刺したのである。足軽は声を上げる間もなく倒された。
「調子に乗るな!」
もう一人も槍でお菊を突き刺そうとしたがこの男も槍を簡単に避けられると薙刀を肩から胴に食い込まされ呆気なく倒されたのである。
「おお!」
松永兵の中でも驚きにも似たどよめきが起きたのであるが久秀は逆に余計に苛立ち
「ええい!こんなん相手におぬしら何をしとるんじゃ!鉄砲隊!あいつを蜂の巣にしろ!」
久秀が命を出すと鉄砲隊が5人ほど前に出てお菊に狙いを定めたのである。
「お菊。さち殿、すまん」
茂朝はさちの遺骸をちらりと見た後お菊を見て思わず呟いた。さすがに5丁の鉄砲を避けるのは無理と思ったのである。
その時であった。
「待て!」
光秀が久秀の鉄砲隊を止めたのである。
「いつまで道草をしている!信長様の至急四天王寺に戻れとの命を忘れたのか!全軍撤収!」
光秀が久秀越しに命を出すと松永軍は全軍慌ててお菊の事など放って撤収を始めたのである。
「お菊。これが末法の世、いや、乱世なんだ。すまぬ」
茂朝はお菊に詫びると
「お菊とやら。生きていたらまたどこかで会おう」
光秀もそう言うと茂朝、藤田伝五、三宅秀満らを連れて騎馬で猛然と去って行ったのである。
松永軍が去った後は屍の山と充満する血の匂いと無情な静けさだけである。
お菊は落ち着きを取り戻すとさちの遺骸に駆け寄ったのである。さちの亡骸だが穏やかな顔で眼を閉じて眠っているようであった。
「ああ、ううう、さち姉、頑強様、川さん、山さん、野菜屋さん、町のみんな、虎まで。みんな死んじゃった。みんな」
我に返ったお菊は膝から崩れ泣き続けたのである。
かなり時間が経ったであろうか。
「お~い。生きてるのおるか?」
石山本願寺から新手の救援がようやくやって来たのである。
お菊はこうして石山本願寺に下がったのである。




