女は柔よく剛を制すのさ 19-4
石山本願寺を取り巻く環境だが1573年は大激変の年であった。
足利義昭だが槙島城を追い出された後は義昭の妹を娶る三好義継によって保護され義昭は今は義継の若江城に居た。
織田信長だが7月に義昭を京から追い出すと翌8月には義昭と連携して蜂起した越前の朝倉義景の討伐に動いたのである。
朝倉義景だが義昭が槙島城で信長を引き付けている間に近江で羽柴秀吉に包囲されて拠点の小谷城で籠城する浅井長政を解放して秀吉を撃破、長政と信長が不在の美濃を奪おうと目論んだのである。
しかし朝倉義景はまず浅井長政の救援に失敗したのである。羽柴秀吉、秀長兄弟と配下の竹中半兵衛や美濃衆が抵抗して手こずったのである。
そして信長が槙島城を落とし足利義昭をいずこへ追放し全速で義景討伐に進軍しているとの知らせが入ると義景の家臣は次々と義景を見捨てて信長に降伏したのである。
朝倉義景だが義昭の若い頃の上洛要請の機会を逃がし、志賀の陣で延暦寺を見捨てて、姉川の戦いでの半端な行動で信長に敗北、武田信玄の西上作戦で信長の美濃尾張に攻め入る好機を自ら不意にするなどの今までの ツケ が回って来たのである。
浅井長政の救援を諦めて拠点の越前一乗谷に戻ろうとしたところを信長に急襲され壊滅的な敗北を喫し一乗谷に逃げ帰るも一乗谷も信長に落とされ焼かれると家臣の朝倉義鏡に裏切られて自害して果てたのである。
残された浅井長政だが信長の妹のお市が嫁いでいたので信長は助けようとしたが長政が結局は責を取って父親の久政と自害して果てたのである。
信長の勢いは止まらず朝倉義景と浅井長政を滅ぼした勢いで9月になると伊勢の長島願証寺を再度包囲したのである。
長島願証寺への支援の部隊は海路と陸路で本願寺は展開していたがやはり信長への配慮から積極的に動けなったのである。
それでも海路の雑賀衆の鈴木重秀、おふう、冬の部隊は織田側の水軍が不足していた隙を付いて物資の搬入を成功させたのである。
信長も北伊勢衆を屈服させたが伊勢山田の商人や水軍の不足で物資の搬入を止められないと悟ると諦めて兵を美濃や尾張に引いたのである。
本願寺の陸路隊は間に合わなかったが長島願証寺の下間頼成配下の部隊は素早く動き撤退途中の信長を奇襲するが信長は難を逃れている。
10月になると顕如、本願寺の予想通りだが信長から抗議の使者がやって来たのであるが。
佐久間信盛の大軍を先鋒に京都所司代の村井貞勝、明智光秀、島田秀満の軍勢、信長の祐筆(官僚)の武井夕庵、松井夕閑ら、他に摂津の信長側の荒木村重、中川清秀らの軍がやって来たのである。
本願寺だが今回は顕如が自ら先頭に立ち本願寺でも和睦派の下間頼龍や下間仲孝らが交渉を行い顕如も長島願証寺の件は信長に詫びて名物(茶器)も進呈して穏便に済ませたのである。
10月の暮れだがおいちの謹慎が解けて久々に本願寺にやって来たのである。
「お久!アンタらの大好きなおいちが帰って来たで!」
「お帰り」
明るく振る舞うおいちにお菊とお凛は素っ気なく返したが。
「ちょい!もっと歓迎してや!感動の対面やろ!」
お菊とお凛の素っ気ない返しにおいちは膨れていたが。
「アンタも元気は貯めておいた方が良いで」
「出陣命令が間もなく出るよ」
お凛とお菊は面倒そうに言った。
今回、佐久間信盛が来たのは本願寺への圧だけでなく足利義昭と三好義継、あと松永久秀の件もあった。
信長に詫びを入れた本願寺だが信長に協力するのである。
つい先日、京から義昭を追放した信長だが朝倉義景、浅井長政、三好三人衆を倒した今となってはもう一度義昭を利用しようと考えたのである。
義昭を京に呼び戻す事にしたのである。しかし義昭は信長を憎んでおり京への帰還を拒否したのである。
義昭の懐柔が今回の派兵の目的であった。
「将軍様を追い出しておいてやっぱ帰っておいで~って言われたらさすがに将軍様も頭に来るわな!」
おいちが呆れたが
「だから今回は顕如様と如春尼様が直接交渉されるって」
お菊が返すと
「ええっ!」
顕如と如春尼が直接動くと聞いておいちは驚いたが。
顕如だが信長からの強い協力依頼を断れなかったのである。
「でもなんで如春尼様がやねん?」
「将軍様本人じゃ難しいから将軍様の妹様(三好義継の正室)に頼もうって策だよ」
「うわぁ!すごい事考えるわ!これは見物や!」
おいちが嬉しそうに言ったが
「あんたねぇ。もう」
お菊は呆れたが。
その日の夜、お菊は弥生に声を掛けられたのである。
「今晩、堺の松永久秀殿のお屋敷で秘密の歌会があるけどあなたも来る?明智殿からのご招待よ」
「秘密の歌会?明智殿からの招待?」
お菊は茶の湯や和歌には正直あまり関心がなかったが高貴で文化人を称する人には好まれる趣味で堺の豪商や公家、ある文化人を自称する武士はたしなんでいる者が多い趣味であった。
「後ろで黙って座ってるだけで良いわ。もしかしたらあなたも興味が湧くかもしれないし」
「弥生さんもされるの?」
お菊が聞くと
「茶の湯は興味ないけど和歌は好きね」
弥生は意外な返事をしたのである。
その日の夜、お菊は堺の歌会に参加したのである。
来ていたのは本願寺からは下間頼龍、下間仲孝、配下の僧が2名と弥生とお菊。織田からは京都所司代の村井貞勝、明智光秀、信長の祐筆(官僚)の武井夕庵、松井夕閑、信長の家臣衆の荒木村重や元奉公衆の三淵藤英、細川藤孝らも居た。
堺や京や大和の豪商も10人近くも来ていた。おそらく武器売買絡みの商人とお菊は勘で感じたが。田中与四郎、今井宗久、津田宗及とか名乗っていた。
(あ!)
お菊は思わず声を上げたそうになった。松永久秀の横には僧になって頭を丸めた三好長免、長虎親子まで居た。彼らも信長に屈したのである。
お菊のそのような感情を置いて茶会は和やかに始まったのである。
茶を立てて飲んで和歌を互いに読むだけなのに殺伐さが無いのである。
お菊は茶の湯や和歌は分からなかったがこの和やかな雰囲気は理解できたのである。
でもそれが不思議だったのである。この人たちは普段は不仲な関係の人も多いのにこの日はみんな和やかにお互い話していたのである。
お菊には良さが分らない茶器や茶道具に信じられない金額を付けて談笑していた。
堺の会合衆も信長の家臣衆に親しく話していたが信長に払う税の件を相談していたようだった。堺の会合衆の自治が実は終わりつつあったのをお菊は知ったのである。
お菊はただ静かに様子を見ているだけだった。
松永久秀や明智光秀、細川藤孝が和歌が得意で弥生も何か一句恋に関する歌を読んで絶賛されていた。お菊は分からなかったが。
会も終盤に入ると
「このような楽しい会が今日だけでなく今後も頻繁に開けると嬉しいです。皆様には期待しています」
光秀が下間頼龍や仲孝に爽やかに声を掛けていた。
「我々のように無益な戦を避けたい者もいますがこの世はそれすら実現が悲しいほど難しいです」
頼龍が寂しく返したが
「承知していますよ。でも互いに努めましょう。僕もあまり地獄には行きたいとは思わない。ましてこの世の地獄など」
光秀が返すとみんな大きくうなずいていた。でもそれ以上は声を発しなかったのである。
夜半に茶会は終了しみんな闇夜に紛れて解散して行ったのである。
お菊は下間頼龍、仲孝、弥生について本願寺に帰るだけである。
「こんな夜半だけど今日は本願寺に連絡して手形を通してあるので大丈夫よ」
弥生が先にお菊に返したのである。お菊はこんな夜半だと門が閉まってるのではと思ったのである。
「顕如様もこの戦いに義は感じていない。でも熱心な門徒を抑えられないのだよ」
「もし無理に抑えたら門徒は違う教えに行ったり勝手に行動するかもしれない」
頼龍と仲孝は難しい顔で言った。
「教団は巨大になり過ぎたのかもしれない」
頼龍は小声で言った。
「あなたを連れて行ったのは戦うだけの人ばかりじゃないって見せたかったの」
弥生が言った。
「でも、茶会でにこやかに会って戦場で互いに血みどろで戦うなんて変過ぎる」
お菊が言うと
「そう。この世は変なのよ」
弥生の返しにお菊は返せなかったのである。
「連歌と盗人は夜が良い」
仲孝が言うと
「?」
お菊が不思議そうな顔をすると
「夜空に浮かぶ満月を見ながら風流に歌を詠む。でも裏ではひそひそと密談かな。ははは」
頼龍が自嘲気味に言ったがお菊は良く分からなかったが。
11月になると手筈通り織田軍と一緒に本願寺も足利義昭と三好義継の若江城を包囲したのである。
顕如と如春尼が密かに出向いて義昭に京に戻るよう説得するためである。
顕如と如春尼が若江城に入るに当たり本願寺の護衛には精鋭の心眼、阿形、吽形、小次郎、弥生、おいち、お凛とお菊が付いたのである。
明智光秀と佐久間信盛も少数の親衛隊を率いて同行した。光秀だが溝尾茂朝と三宅秀満を越前旧朝倉領の処理に送っていたのでこの日来ていたのは藤田伝五と荒深小五郎だけであった。信盛も弟の信辰や息子の信栄を中心に部隊を展開していた。
顕如と如春尼、光秀と信盛が若江城の義昭の住まいの御殿に入って行った。
護衛は御殿の外で待機である。若江城の守備隊だがかなり兵が少なく力攻めで落とせそうでもあったが。
両者話し合いを始めると時々男の怒声がかすかに聞こえた。おそらくだが義昭の怒りの声に聞こえたが。
「うまく行ってないみたいやね」
おいちも小声で呟いた。
1時間ほどして顕如と如春尼、光秀と信盛が御殿の外に出て来た。
4人とも険しい顔をしていた。4人を追うように出て来たのは三好義継と義継の正室(義昭の妹)、義継の重臣3人、若江三人衆である。
お菊たちだが彼らの話を盗み聞きするつもりはなかったが思ったよりも近くで話をしていたので聞こえてしまったのである。
若江三人衆の工作で義継も信長への降伏を決めていた。義昭の説得だが今日は失敗し再度日を改めて行う事を話していた。
義継だが正室と顕如や如春尼、光秀と信盛に義昭を説得出来なかった事を詫びていた。ただ常に傀儡として振り回せれていた義昭の気持ちの考慮も頼んでいた。
お菊だが義継の正室をじっと見てしまった。水色の高級な着物に赤い胴を彼女も着て戦う覚悟をしていた。失礼だが兄の義昭とは全然違った。
義継も優柔不断と聞いていたがよく考えると義継も三好家の後継者だが実権の無い傀儡として振り回されて生きて来た。
義昭と似た境遇であった。義昭を庇ったのは正室の関係だけでなく義継も自分の境遇を義昭に重ねたのかとお菊は思ったのである。
光秀だがいつものように爽やかに対応し義昭が欲していた補充物資の搬入も許可したのである。義継と正室は許可を得て安堵していた。
「お鶴。もう一度義兄上(義昭)を説得しよう」
義継は正室と何か話をしていた。
「鶴姫様なんだ」
お菊は呟くと顕如と如春尼、光秀と信盛らと若江城の外に出たのである。
義昭の欲しがっていた物資は翌日、本願寺からすぐに運び込まれたのである。
義昭との再度の交渉も明後日に決定したのである。
しかしその日の夕方、突然事変は起こったのである。
「義昭様が脱出したじゃと!どういう事じゃ?」
信盛が若江三人衆からの情報に仰天していた。
光秀も慌てて若江城に入ったのである。信盛と顕如も続いた。お菊ら護衛の兵も続いたのである。
若江三人衆だが義継を見捨てたのか呆気なく開城したのである。
「これはどういう事です!義継殿!」
御殿の外から光秀らが呼びかけると御殿の襖が開いたのである。
そこには返り血を浴びた義継が立っていた。義継の傍には義継の子供が息絶えて倒れていた。義継の横には正室と小姓、家臣が数人だけ薙刀や槍を持って立って居た。
「私も義兄も誰の傀儡にならない!」
義継はそう叫ぶと全員で突撃して来たのである。
「……!」
光秀は唖然としていたが佐久間隊と若江三人衆の部隊がすぐに間に入り義継たちは何人か斬ったが多勢に無勢で呆気なく全員討たれたのである。
お菊たちもただ唖然とこの様子を見ていた。
「こんな、最期なんてさ!」
お菊は声を絞り出した。
「嗚呼。地獄や」
「進むも地獄、退くも地獄や」
おいちとお凛も呟くと旅発った者に手を合わせた。
「傀儡で生きる地獄より死ぬ地獄を義継公と鶴姫様とお子さま達は選んだのね」
弥生も悲し気に呟いたのである。




