人はいさ 心を知らず 30-5
お菊はその日の夜、女子の旅衣装の壺装飾に着替え愛用の薙刀の刃を鞘で覆い荷箱を背負って密かに裏口から弥勒山寺砦を暗闇に紛れて出ようとしていた。
しかしあっさり見つかったのである。
「お菊!どこ行くの?」
舞がにこにこしながらお菊の後ろに居た。
「舞!別に」
「ばればれ!明智殿のとこ?おいちでしょ?どこで聞きつけたか知らないけど」
舞は見抜いたと言わんばかりに言ったが
「迷惑はかけないよ。ひとりで行って何かあったら責は取るよ。覚悟の上だよ」
お菊が返すと
「それがダメだっつうの!ひとりで行って何ができるのよ?」
「あたしは明智殿とは腐れ縁なのさ」
「はい?」
舞はお菊が何を考えているのか分からなかった。
「お菊!落ち着こ!頭冷やそう!」
舞だがお菊が頭に血が上っていると思って笑顔で言ったが
「あたしは冷静だよ。あたしの門前町を襲ったのは明智殿だけど唯一の生き残りのあたしを見逃したのも明智殿なのさ」
お菊が真顔で言うと舞もそれを知らなかったので
「明智殿がお菊を見逃した?気まぐれじゃなく、わざと?それ、まじ(本当)?」
「まじだよ」
舞はお菊の過去の真相を知らないので半信半疑だったが。
「なんで?」
「知らない」
噛み合わない話に舞は少し黙ったが
「やっぱそれでも勝手な行動はダメ。行かせない」
「お友達のためなのさ。どいて」
「ダメ。我慢して。覚悟!」
舞がお菊を力ずくで止めようとした矢先
「あ!何?呼んでる?」
お菊だが突如、雑賀の郷の西端にある織田の陣の方に振り返ったのである。
舞には見えないが体からお菊は法力の赤い光を薄っすら発していた。
「え?急にどうしたの?」
法力が見えない舞はお菊の急な行動に拍子抜けしたが
「何でもない!舞!さようなら!」
お菊は西に向かって走ろうとしたが
「こら!待て!行かせない!とりゃあ!」
舞はお菊に飛び掛かったが
「い?ぐう!」
お菊だが腕力自慢の舞の腕を跳ね返すと舞の首筋に手刀を一瞬で浴びせたのである。
いつものお菊の力と全然違う威力にさすがの舞も伸びてしまったのである。
「舞!ごめん!さようなら!」
お菊は闇夜に去って行った。
「またあの謎の力?もう堪忍してよ!あたた」
舞は首を抑え伸びながらぼやいたがそれ以上は追えずお菊を見送るしかなかったが。
「あたしを呼んでる?明智殿ではない。梓?なに?」
お菊はそのまま雑賀の郷に紛れ込んだ。そして開いている旅籠に忍び込んだのである。
「これはこれは。女性一人旅で熊野詣ですか?こんな時に来るなんて危ないですぞ」
旅籠の主人はお菊を気遣ったが
「まかさ戦が起きてると思わず。驚きました」
お菊が主人に話を合わせると
「まぁいくら粗野な織田兵でも熊野詣での女子は襲わないでしょうが。(織田に味方する)太田城の雑賀衆(中郷、南郷、北郷)にも織田は気遣ってるからね。織田のここの部隊(浜手隊)の大将の日向守(明智光秀)はこの町を無傷で手に入れたいらしい。四国攻めの拠点にするとか。雑賀衆も間もなく降伏するらしい。だからあなたもここで大人しくしなされ」
旅籠の主人がお菊をまさか本願寺の六花仙と思わず熊野詣の女子としか見て無かったのでそう言ったが
「なんで雑賀衆は降伏するのですか?(東の山手隊の)雑賀川の前線では激戦らしいですのに」
「どうも日向守が(鈴木)重秀様の娘のおいち様を生け捕りにしたらしい。彼女を織田の本陣のあり信長公が居る和泉波太神社に近く送るらしい。それで雑賀衆は浮き足だってるそうだよ」
旅籠の主人が言うと
(事実だったんだ)
お菊は確信を持ったが
「ありがとうございます。慎重に行動します」
と旅籠の主人に話は合わせたが。
(さて、どうするお菊)
ただお菊も次の策は浮かばなかったが。あの呼ぶ気配も途絶えたのである。
お菊だが旅籠に潜んでいる間、時々弥勒山寺砦から自分を探しに兵が雑賀の町を探っているのに気付いたがここの旅籠の店主はお菊を本物と熊野詣の女子と思って兵に対応したので弥勒山寺砦の兵にこの旅籠に潜んでるのに気付かれなかったのである。
お菊だがここの旅籠でぼうっとしても仕方ないので店主に料理の配膳などの手伝いを申し出たのである。この旅籠だが昼は食堂もやっており雑賀の郷の西に陣取る織田の兵が食事に来るなど忙しいので主人もお菊に手伝いを頼んだのである。
お菊だが織田の兵からおいちの情報を探りたいだけであったが。
この旅籠だが高菜を巻いためはり寿司と野菜を糀で発酵させた金山寺味噌と言う料理の組み合わせた食事が人気で名物らしく昼時は織田の陣からの来客で大賑わいでお菊だが戦中なので暇かと思ったが予想外の大忙しであった。
やって来るの客は比較的中堅か上級の足軽大将格が多かったが織田陣中の兵糧を節約するため彼らに銭を持たせて外で外食させているのだと言う。
お菊だが勘で話しやすそうな男たちに声を掛けてみたのである。桔梗紋の印が入った甲冑を着ている一団を見つけ明智兵とお聞きは睨んだのである。
「長きの布陣ご苦労様です」
お菊は料理を配膳しながら軽く言うと
「ありがとさん。まぁもうすぐこの戦は終わると思うけどな」
「あんたらもやっと元の暮らしに戻れるよ」
男たちが返すと
「なんか雑賀のお姫様を捕らえたとか?」
お菊は再度軽く言うと
「松永(久秀)隊のお手柄だね」
「雑賀衆も慌てふためいて降伏するとか言ってるから早く降伏して欲しいぜ。俺たちも国に帰りたいぜ」
「まぁ近江に帰ってもすぐに丹波攻めだがな」
大将格たちはおいちの事は興味無いようにこの先の長丁場であろう戦を予想しぼやきながら言ったが。
「お姫様どうするんですか?客将(人質)なんですか?」
お菊が聞くと
「上様(織田信長)は何を考えてるか分からんけどそうだろうな」
「安土に置いとけば雑賀の衆も従うしか無いからな」
男たちはめはり寿司をむしゃむしゃ食べながら言った。
「ここから(信長の本陣の和泉)波太神社まで連れて来いって言われてるんだと。明後日の朝一に出るそうだ」
「やれやれ」
(そうなんだ!)
お菊は欲しかった情報に色めき立ったが
「まぁ雑賀衆が取り返しに来るような狂った真似はしないと思うけどな」
「俺たちも無益な戦は嫌だから本当に雑賀衆には穏便にして欲しいぜ」
男たちは明後日のおいちの護送任務にただぼやいていた。
「ただ雑賀衆が降伏せず戦い続けるなら姫様は上様に磔にされかねんな」
「くわばらくわばら」
男たちが万が一の事を言うと
「ひどい。ひどすぎる」
お菊だが素で嫌な顔をしてしまったが
「そうだな。本当に狂った世の中だぜ」
「雑賀衆も本願寺もさっさと降伏してくれれば良い物をな。はぁ。俺たちもしんどいが巻き込まれる姫様も哀れだよ」
明智兵が溜息を付くと
「確かにそうですね」
お菊も明智兵の普通の感覚に安堵しつつ複雑な顔をしたのである。
男たちが食事を終えて出て行き、店の片づけを手伝いながらお菊は決めたのである。
(明後日の朝一、旅の者の振りをして街道に立って居よう)
ただ何も出来ないのはお菊も承知だった。下手したら自分も不審者で斬られるか捕らえられるかもしれなかった。無謀なのは承知していた。それでも行って考えようと思ったのである。
おいちが護送される日、お菊は壺装束に着替え旅の女子の素振りをし、早朝に旅籠を密かに抜け出すと紀州街道に向かった。沖合に雑賀衆や本願寺、毛利の水軍衆が居るので一行は北進し紀ノ川を船で渡り紀伊中野城を経由して波太神社に向かうと予測したのである。雑賀の郷の外れで織田の陣の北側にお菊は立って待つのである。
本当に来るか掛けたのである。何も出来ないだろうがおいちを見送るか心中もどこかで覚悟していた。
「おいちが裸馬に跨り縄で縛られた哀れな姿だったら本当に死ぬ気で飛び出しちゃうかもな……」
お菊は勝手に嫌な想像をしたが。
その時であった。また気配を感じたのである。
「呼んでる?梓?なんなのさ?」
お菊は構えた。
街道沿いに立つ事30分、
「来た!」
情報通りおいちを波太神社へ護送する一行が北進して来たのである。
かなり重武装の兵たちで火薬の香りがほのかにして鉄砲に火が入っているようだった。
お菊は緊張しながら街道の端に立ち頭を下げ部隊を見送る事にした。
先頭の剛腕そうな武者たちはこんな早朝に熊野詣の旅の女子が立って居た事に驚いた顔をしていたが普通に通り過ぎて行った。お菊はほっとしたが。
「あ!」
お菊は小声を出した。明智光秀と松永久秀も兜を被り重装備の甲冑で騎馬に跨っていた。そしてその背後に屈強そうな男に担がれた輿が続いていた。
(あの輿!違いない!)
おいちが乗っているとお菊は気付いたが思ったより丁重な扱いに安堵もしたのである。
輿は重装備の光秀や久秀配下の護衛が護っていた。
(予想通りだけど全然手が出せない!どうする?お菊。いや。おいちが丁寧に扱われてるのを確認したからもう引き下がろう。おいちの無事を祈ろう)
お菊は冷静になったのである。
お菊はこのまま光秀、久秀の騎馬とおいちの輿を静かに見送る予定だった。
しかしまたあの気配を感じたのである。
そしてお菊がそれに気付くと同時に騎馬が一騎、お菊の前に立ち止まったのである。
「うふふ。来た来た」
騎馬に乗っていたのは梓だった。巫女着の上に重武装の甲冑を着た梓だがいたずらっ子のように笑いながら言った。
「なんで呼んだのさ?」
お菊が引き攣りながら梓に言おうとしたが
「お菊!なぜ君がここに!なぜお菊を呼んだ!」
逆に光秀は壺装束の女子がお菊と思わなかったようでかなり驚いた後に梓にきつい口調で問うと
「お菊は上様(織田信長)に呼ばれたのでは?」
梓のとぼけた返しに光秀は意外と不愉快そうな顔をしたが。
「展開しろ!待ち伏せや!」
しかし久秀は雑賀衆の待ち伏せと思ったようで慌てて部隊を展開させお菊も囲まれたのである。
「明智殿!あたしはひとりです」
「ひとりで来た?」
お菊の返しに光秀は警戒しながら怪訝な顔をしたが。
「おいちが心配なんでしょ?」
横から再度、梓が入って来たが。
「おいちを信長公の元にお連れするとはどうするおつもりで?」
お菊が単刀直入に光秀に聞くと
「戦うつもりが無いなら君は関係ない。下がれ」
光秀は今回は関係ないと言わんばかりにむべなく返したが。
「日向守様(明智光秀)!これはあたしの手柄に!上様への……」
梓が言おうとしたのを光秀は遮ったが。
「おいちの見送りだろ?それで構わない。見逃す」
光秀だがこれ以上大事にしたくないのかこの件は無かった事に対応しようとしたが光秀の誠意の無い態度にお菊は強い口調で言ってしまったのである。
「大切なお友達を……返して!」
そして薙刀を握りしめてしまったのである。




