機を見るに敏は雑賀の衆 29-7
年が明け1577年の2月の中頃、織田信長が安土城を発ち、信長の嫡男の信忠や弟の信雄、信孝、叔父の信包も美濃尾張伊勢の兵を大量に動員し京を経由して河内和泉経由で紀伊に向かうとの情報が入り鈴木重秀は雑賀の主な諸将一同を雑賀城に集め今後の方針を話した。おふう、マリアら本願寺、毛利村上水軍の援軍や紀伊中津城のお菊、お凛、七ッ童子、舞も今後の作戦を聞くために雑賀城に入った。
「じゅうまん(10万)超え?マジかいな?」
おいちだが織田の総戦力を聞かされて唖然としていた。おいちは思わず変な声を出してしまったが他の者も同じような驚きの顔をしていた。純粋な戦力ではなく荷駄も含んでいるのでどこまでが本当の兵力か分からないがそれでも織田の総戦力は10万を超える大戦力だと言う。
「あまりの戦力差が大きいので河内和泉の貝塚や各地の(出城の)砦の部隊は(紀ノ川の北にあり雑賀十ヶ郷の拠点の)中野城に後退させる。(十ヶ郷の本願寺の拠点の)総持寺の僧や僧兵、門徒兵も中野城に後退させている」
鈴木重秀の横に座る今回の副官の土橋守重は冷静に言ったがみんな明らかに動揺していた。
「間者の情報だと織田は部隊を浜手(海沿い)と山手(陸路)に分けて進めるらしい。浜手は紀伊街道を南進、山手は(河内和泉から根来寺への近道の)風吹峠から根来寺経由で(紀伊)太田城へ向かうと思われる。根来衆、粉河衆、織田に付いた雑賀衆(宮郷、中郷、南郷)が山手隊を先導している。浜手隊の目標は十ヶ郷の中野城だろう。そして中野城を落として紀ノ川を渡って雑賀の郷に西から来ると思われる。山手隊は太田城から雑賀川(和歌川)を渡って東から雑賀の郷に押し込んで来ると思われる。(雑賀川の東対岸にあり宮郷の拠点の)太田城には宮郷、中郷、南郷の兵が集まっているそうだ」
鈴木義兼が言うと重い空気が流れたが
「作戦だが東は雑賀川沿いに沿って雑賀城、弥勒山寺砦、打越山砦、虎伏山砦(現在の和歌山城)、(紀伊)中津城で縦に防衛線を展開して山手隊を絶対に渡河させないよう。雑賀水軍と村上水軍、おふう殿の本願寺水軍も紀伊川河口西側から中津城の紀ノ川の前に展開し浜手の部隊に紀ノ川を渡らせないように徹底するよう」
岡吉正が地図を広げながら説明した。
「中野城は孤立するのでは?どうするんだ?」
誰かが聞くと
「浜手の織田軍を引き付ける時間稼ぎのため戦わずひたすら籠城させる」
鈴木重秀が返すと
「いくら何でも無理じゃぁ」
「あの城はそれほど頑丈じゃない。こちらから紀ノ川を渡る必要あるので救援も難しいですぞ」
雑賀の将校の間から中野城を見捨てるような策に不満の声が漏れたが
「策はある。兵糧も充分ある。問題ない」
重秀も策は答えないまま譲らなかったが。
ただみんな時間稼ぎの捨て城にするのだろうとも悟ったが。
「むしろ一番危険なのは中津城だ。鉄砲対策を施してあるが浜手と山手の双方の猛攻撃を受ける可能性がある。ここに七ッ童子、お菊殿と本願寺の志願兵、お凛殿ら堺衆、舞殿の伊賀衆を入れる。虎伏山は私と姫君、打越山砦は土橋党、弥勒山寺砦は殿(鈴木重秀)の本隊と自由に動ける応援機動部隊としてマリア殿ら本願寺の支援部隊を配置する」
岡吉正が話を切り替えるよう地図を指しながら言った。
中津城だが北は紀ノ川、東は雑賀川に囲まれて守りは硬いが北からの浜手隊、東からの山手隊双方から猛攻撃を受ける箇所でもあった。中津城を突破されると守りが薄い虎伏山、打越山砦、弥勒山寺砦の西側、雑賀城の北側、雑賀の郷の町中に進めるので雑賀の郷の内側から総崩れになる可能性が高かった。そのため中津城は重要視され徹底的に強化されていた。兵も精強な部隊を中心に配備されていた。
「皆の健闘を期待する。この後、雑賀の郷の氏神様の矢宮神社で戦勝祈願する。我々は負けない!」
重秀が言うとまずは全諸将弥勒山寺砦の西に在り雑賀城の北にある宅地や商店が広がる地域の中に立つ雑賀の郷の氏神の矢宮神社に参拝したのである。
矢宮神社に着くと鈴木重秀、兼続、おいち、土橋守重ら雑賀の郷の主要人物が社殿に昇殿し最前線に並び、すぐ後ろを重秀やおいちの重臣衆たちの岡吉正、狐島吉次、松田源三、七ッ童子やその他が並び神主や巫女からの祈禱を真剣に受けていた。
社殿の外には一般の雑賀の将兵が前に多数座り後ろの方でお菊やお凛、舞、おふうやマリア、金閣銀閣ら地元外からの者が座り様子を見ていた。
「困った時の神様頼みか」
「氏神様も本音では困ってるやろうな」
お菊はお凛とひそひそと話してしまったが。
「これっ」
おふうがお菊とお凛を注意したが。
祈祷が終わると社殿の中からみんな出て来ると神楽殿の前に移動、みんな座ったのである。お菊とお凛らも移動した。
しばらくすると神楽殿で若い巫女が戦勝の舞を儀式の弓矢を持ちながら静々と舞った。
突然、お菊とお凛はおいちに呼ばれたのである。
「何だろ?」
お菊とお凛がぽかんとしてると
「ここの神社の巫女着やで。アンタら(お菊とお凛)も着てや」
おいちが巫女着物と大麻をお菊とお凛に差し出すと2人とも良く分らずそれを羽織って手に持ったが。
その後、おいちとお菊、お凛らは神楽殿の舞台に上がり矢宮神社の巫女と一緒にみんなの前に出ると
「雑賀の郷に勝利を!」
矢宮神社の巫女はそう言うと鏑矢を宙に放ったのである。
ブオォンと言う独特の音色と共に鏑矢は社殿の裏の林に飛び去ると
「我ら雑賀の郷の守り神!八咫烏神の御加護あり!勝利は我らにあり!」
おいちも太刀を抜くと高々と振り上げ雄叫びを上げた。
「おおお!」
集まっていた一同も雄叫びを上げたのである。お菊とお凛は巫女の真似をして一緒に大麻を振ったが。
戦勝祈祷と神楽が終わると男たちには神酒を振る舞われたがお菊、お凛、おふうは酒が得意でないので口に含むだけにしたが。
お菊とお凛はぼうっと社殿の外れの縁に腰掛けて様子を見ていたが。
舞は元気にマリア、金閣、銀閣と一緒に神酒を飲んで盛り上がっていたが。
「まったく。舞の奴」
お菊は呆れたがみんな必死の裏返しでもあったが。
おいちは鈴木重秀や兼続、土橋守重と一緒に雑賀衆の将兵の間を練り歩き酒を注いだり声を掛けて励ますなどにこやかに振る舞っていた。
「さすがおいちやな。やるわ」
雑賀の大将格として振る舞うおいちを見てお凛は感心していたが
「でもなんかああ言う 煽るおいち はちょっとねぇ」
お菊が本音をお凛に返すと
「しゃあないわ。アンタが本願寺では奇跡の巫女って担がれてるのと同じでおいちはここ雑賀の郷では狂言師(道化)、おっと勝利の巫女なんやで」
「嫌な言い方だが否定できないね」
「まぁ、ウチらも勝利の巫女として雑賀の郷のためにも戦も頑張ろうや」
お凛はこれは分かり切った事と言わんばかりに言ったが。
「本願寺の六花仙の皆さんとご一緒出来るなんて!八咫烏様の御加護です!」
さっき鏑矢を射た矢宮神社の娘でもある巫女だがお菊とお凛に近付くと嬉しそうに言ったが
「あなた、無理したらだめよ。危なくなったら戦わずに必ず逃げてね。織田の足軽なんて女を襲うしか能がない獣しかいないからね」
「そや。人を殺める汚れ(けがれ)仕事はウチらがするから若いのは手を汚したらあかんで」
お菊とお凛が言うと彼女は黙ってしまったが。
その頃、石山本願寺も信長の大軍が本願寺を通り過ぎて雑賀の郷に向かってるのを確認し、慌てて追加で心眼ら援軍を船で送ったのである。心眼らはマリアの部隊と遊撃部隊として弥勒山城に配備された。
中津城に戻ったお菊とお凛だが籠城しながら軍議で情報を得ていた。
ただこの頃になるとお菊だけでなく雑賀の郷の兵も異変に気付いていたが。
「間者によると浜手は明智光秀、丹羽長秀、滝川一益、細川藤孝、筒井順慶、松永久秀。山手は佐久間信盛、羽柴秀長、荒木村重、別所重宗、堀秀政。敵の総勢は10万強程度!皆、心するよう。この城を突破されると陸路で雑賀の郷に突入されてしまう。おそらく浜手隊、山手隊の双方で猛攻撃を仕掛けるはずだ。でもこの城は鉄を壁に埋め込んであり守りは 鉄壁 。俺たちの 鉄砲2段撃ち で死守出来る。やるぜ!」
おいちの代理で七ッ童子の筆頭になっていた無二が冗談を交え力強くみんなを励ました。
おいちも言ってたがこの城は鉄砲の弾が貫通しないよう高価な鉄の板を大量に壁の中に埋め込んでいた。兵数はわずか300とかなり少なくても鉄砲や弾や硝薬をその数倍も備蓄していた。
ただお菊とお凛は鉄砲は得意でないので敵が何らかの方法で城内に侵入して来た場合の接近戦の部隊として待機し鉄砲の扱いは七ッ童子ら雑賀衆に任せていたが。
お菊とお凛は静かに城内で過ごしていた。
「信長公は(浜手か山手か)どっちから来るのかな?明智殿と一緒に浜手隊かな?」
「岸和田か和泉で後ろでどんと控えてると思うで。多分前線には来ないやろ。アンタに斬り付けられたから気を付けてると思うで」
お凛は薙刀を磨きながら返した。
「そうだね。もうさすがに前線に出てこないだろうね。でもさぁ、なんか兵が減ってる気がしない?」
お菊が小声で言うと
「そりゃそうや。普通の感性なら10倍以上の相手が攻めて来たら逃げるわ。でもここ(中津城)はまだマシで後方の飯炊きとか備品兵が少し逃げただけやそうや。まだ根性あるで。問題は弥勒山寺砦や虎伏山砦、打越山砦やって。広い山城やから闇夜に紛れてさっと逃げられるからかなり兵が減ってるそうやで」
お凛が言うと
「まぁそりゃそうだよね。戦力差が大きいからね。怖いよね。雑賀の郷の住民は逃げたの?」
「半数以上は南紀の方に逃げたらしいけど居残って町を焼かせない、中で待ち伏せするって壁を作ったり鉄砲や槍を持って構えてる人も居るそうや」
「やめさせなよ。無駄死にするだけだよ。おいちに頼んで逃げるように言ってもらおうよ」
お菊は悲し気に言ったが。
「辞世の句でも残すかいな?」
お凛がお菊に小声で聞くと
「絶対に書かない。そんなつもりも無い」
お菊は拒否したが。
2月半ばになるとついに織田軍はついに紀伊に入った。まず浜手の織田軍は和泉と紀伊の国境の山中に待ち伏せしていた雑賀衆を呆気なく撃破すると十ヶ郷の中野城を包囲したのである。
山手の織田軍も根来寺を通過し太田城界隈に近付いてると言う。
しばらくすると十ヶ郷の村や中野城の東にある平井城の方から煙が上がり始めたのに中津城も気付いた。
「総持寺や村を焼いてるんだ。平井城も放棄したかから焼かれちゃった。中野城、持つかな?」
小雀が心配そうに武者走りの上から様子を見ていた。
「織田も無傷で済まないからそう簡単に手は出さないはずだ」
無二が返したが
「でもさ、織田兵って数万もいるんでしょ?中野城って300足らずでしょ?力押しされてみんな撫で斬りされちゃうかもしれないよ。どうすんの?」
小雀が心配そうに無二に聞くと
「阿弥陀如様の元に無事に行けるのを祈るしか出来ない」
無二が冷静に言うと小雀は不満そうな顔をしたが。
中野城の南の紀ノ川には雑賀水軍や村上水軍の中型船の関船や小型の小早が入り危機の中野城を大筒で織田陣地へ支援射撃する構えを見せたが数日後、予想外が起こったのである。
中野城には降伏開城が許されたのである。織田による撫で斬りも行われず全員投降し城外に出たのである。彼らは捕らえられる事も無くみんな散り散りに逃げ去ったのである。
しばらくしてその理由が雑賀衆にももたらされた。織田が情報を意図的に展開したのであろうが。
「根来衆や(織田に付いてる)雑賀の宮郷、中郷、南郷の縁者が多いので織田は寛大に見逃したそうです」
「あと投降してこちらに逃げ帰った者によると中野城は織田の本陣になるとか!」
弥勒山寺砦との連絡役を兼ねていた発中、但中兄弟が無二に報告すると
「なるほど。さすが信長公」
無二は感心したが
「いや、信長公の嫡男の信忠公の陣とか」
「信長公でなく信忠公が指揮を執るのか?」
発中の予想外の返しに無二も驚いたが。
お菊は京で昔見た物静かだが不思議な雰囲気を持つ信忠を思い出したが。
「信長公と違い無理押ししない?戦術が変わるかも?」
「お若いけど思慮深くて慎重らしいよ」
鶴首と蛍も返したが
「ううむ。長期戦か?向こう(織田)もそれほど兵糧に余裕があるとは思えないが?」
無二が分からないとうなったが。
「でも浜手の部隊って明智殿が居るなら何か奇策を取るかもね」
お菊が言うと無二たちは緊張したが。
2月後半になると織田の浜手隊だが根来衆から入手した小早級の小さい船を使って北から中津城に近付き遠くから発砲するなどした。山手隊も雑賀川を挟んで対岸から発砲した。
しかし鉄の壁を持つ中津城はびくともせずそれに気付いたのもあるが浜手隊は雑賀水軍や村上水軍をも気遣い無理には近寄らず山手隊も雑賀川を渡らずただ様子を見ているようだった。
「慎重だね。鉄砲が使えない雨を待ってるのかな?」
お菊が武者走りから様子を見ると
「むしろ乾季を待ってるのかも。3月になって雑賀川の水量が減ると歩いて近付けますからね。まぁ近寄って来たら撃ちまくるだけですがね。むしろ雨は返って我々には都合が良いですね」
無二は自信満々にお菊に返したが。
「雨が降ったら鉄砲が使えないでしょ?」
お菊が不思議な顔をしても無二は自信満々でにやりと笑うだけだったが。
2月も終わりになると雑賀衆が粘っているのを見て雑賀衆に戻ったり合流する兵が増えていた。ただ織田も伊勢の九鬼氏の小規模な船団が雑賀の沖合に姿を現し、雑賀水軍と村上水軍、本願寺の水軍はこの対応に追われ前線が長くなっていた。紀ノ川へ展開する船を減らし始めたのである。
そして大雨の日、ついに織田軍は動いた。雨の日は原則、鉄砲が使えないからである。
山手の隊は雑賀川を渡って中津城に迫ったのである。
「引っ掛かった!」
雑賀衆だが無二の自信の通り雨対策を完璧に施していた。中津城の射撃口は鉄砲が濡れないよう屋根で囲っていた。そして撃ち方も独特でひとりの凄腕の射撃手が撃ちまくり、他の者は弾の装着など数人掛かりで準備するのである。
撃つのは鶴首、蛍、発中、但中と老若男女の腕の良さそうな雑賀兵、総勢でわずか30名足らずである。ただ、撃ち手ひとりに付き弾の込め手は5人以上付いてひたすら弾込めを繰り返していた。
大轟音と共に次々と連射が始まり織田兵も鉄砲対策で竹束や鉄盾を持っていたが射撃手はその 隙 を狙って確実に撃ち抜いていた。
しかも雑賀川の川底に槍の頭や竹槍の先、壊れた壺などを埋め込み織田兵は足を取られて気を取られては次々と撃ち倒されていた。
戦況は雑賀衆有利に進んでいるように見えた。
「命令とは言えがむしゃらに突っ込んで撃たれて哀れやな」
「本当だね。南無阿弥陀仏。こんな戦法があるとはねぇ」
待機していたお凛と舞は織田兵を憐れみつつ雑賀衆の戦法に感心していたが
「おかしい?」
お菊だけいぶかっていた。
「何が?」
舞が不思議そうな顔をしたが
「浜手の部隊が全然動いてない」
「雨で川の様子が見えないから危ないからでしょうが。もや で先も見えないし。無理にここに近付いても撃たれるだけだし」
舞は気にしていなかったが
「なんか紀ノ川の河口で動きない?外に出て調べよう!」
お菊が言うとお凛も舞も無二も最初はピンと来なかったが
「そうか!マズイわ!雨ともやで視界が悪いし今日は紀ノ川のこちらの水軍の目が届いてない?そこを狙ったんかいな!」
お凛も織田が密かに雑賀水軍、村上水軍、本願寺水軍の隙を突いて渡河を試みている可能性を悟ったのである。
無二ら雑賀衆に中津城の守りはこのまま任せてお菊と本願寺の志願兵、お凛と配下の堺衆、舞と伊賀衆が様子を伺おうと西に向かおうとした矢先、弥勒山寺砦から伝令が慌てて騎馬で走って来たのである。
「大変です!いつの間にか西に織田の兵が上陸し雑賀の郷に火を放って小競り合いが始まっています!援軍を!」
「謀られたってさ!明智殿め!」
お菊たちは慌てて雨の中を中津城を飛び出したのである。




