他力本願 27-4
「何だかな。よいしょっと」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」
翌日だがお菊たち木津川砦の兵は総動員で海辺で作業をしていた。海岸には溺死した織田とも毛利とも分からぬ兵の遺骸がたくさん流れ着いていた。これを引き上げて弔うのである。
「おふうさんの言ってた意味が分かったけど。嫌な現実だね。でもこれを何とも思わないあたしたちもどうかしてるね」
お菊が言うと
「放っておいたら匂いとか大変やから。海をキレイにするだけやって」
「これくらいしかやってやれんってことやね」
おいちもお凛も配下衆らと淡々と作業をしていた。
お菊たちは淡々と魂の抜け殻になった遺骸を集めては掘られた大きな穴場に届けた。そこで埋めてもらう前に本願寺から来た坊官が放たれた魂に念仏を唱え魂が無事にあの世に行くよう送り出すのである。
木津川砦の外で戦死した兵の遺骸も集められていた。溺死した兵は裸で海に飛び込んでいるので裸のままだが陸で戦死した兵は甲冑や太刀や鉄砲などを着ていた。これも身包み剥がすと武器商人が回収し修理し再度売り物として利用するのである。
生け捕りにされた兵は堺に売られて行った。
お菊たちにとってこの異常がここの日常であった。
「(織田方の)住吉浜の手城はどうする気なのさ?」
お菊がおいちに小声で聞くと
「前も言った通りや。あの城は兵糧が足りんので困ってるわ。だから雑賀の郷から兵糧を横流しするで」
おいちが小声で返した。
「ねぇ。織田の水軍衆が居た頃は堺や雑賀の郷の往来に邪魔な住吉浜の手城と裏で仲良くするのは大事だったけど今は織田の水軍衆も居なくてあのお城は(本願寺の勢力圏の中で)孤立してるじゃん。本願寺が有利なのにそんな媚びを売る必要あんの?菊坊を返してもらって若江城か天王寺砦に撤退してもらえば良いじゃん」
お菊が不満そうに言うと
「本願寺にはあの城を落とせる戦力は無いで」
お凛が冷静に言った。
「本願寺に来てる毛利軍に手伝ってもらえば良いじゃん」
お菊が不満そうに言うと
「毛利は織田水軍に勝ったけどそんな余裕は無いで。毛利も東は播磨で織田の羽柴秀吉軍や荒木村重軍と戦いつつ西は九州で島津と対峙し南は四国の長宗我部とも睨み合ってるわ。兵も船もこれ以上消耗できんわ」
「この戦は長引き過ぎや。戦で決着付かん時は交渉も大事やで。本願寺だけちゃうけど雑賀衆も堺衆も お財布 がかなりくたびれてるからな」
お凛とおいちは政治的な背景を理解しており現実的に返したのである。政治に疎いお菊はピンと来なかったが事情は何となく理解したが。
「あんたら男に生まれてたらすごい良いお侍になってたよ。もったいない。でも今みたいに仲良くなれる自信は無いけど」
お菊が変な返しをすると
「ウチがアンタの彼氏やったらええやろ!」
おいちがにやにやしながら言うと
「違うよ。そう言う意味じゃないって。あんたも腹黒いね。明智殿と一緒だよ」
「何やと!雑賀の郷のためやで!菊坊のためやで!」
お菊の予想外の返しにおいちはむっとしたが
「褒めてるんだよ。そうでもしないと生き残れないってさ」
「そっか?でも信長公がこのまま黙ってると思うかいな?思わんで。だから媚びを売るんやで。本願寺も絶対に信長公と交渉をまたこそっと始めてるで」
おいちは急に暗い顔で小声で言った。
「そうだろうね。でもこの戦い、終わりが見えないよ」
お菊も暗い顔で言うと
「そうやな。泥沼かいな。いや、どっちかが参った言うまでかいな」
おいちも溜息をついた。
「堺の会合衆も本願寺や信長公やって右往左往やで。政治には絡まへん自由な商いをとか奇麗事を偉そうに言うてるけど結局は政治や権力者にベタベタへこへこやで」
お凛も堺の会合衆の現実に溜息を付いた。
「お凛様!ちょっと!」
「行くわ!ちょいとお暇するわ」
お凛だが配下の堺衆に突如呼ばれるとどこかに去って行った。
「凛凛どこ行ったのさ?」
「堺の会合衆のお偉いさんが本願寺に来てるんや。安芸から支援に来た毛利の重臣の乃美宗勝様たちの歓待の儀に出るんやって」
お菊が不思議そうな顔をするとおいちは即答した。
「あの子さ、お父上と不仲なのに大丈夫かな?」
「凛凛の父ちゃんは来ないって。会合衆の一番上のお方やで。堺の豪商、いや、政商の千利休殿、津田宗久殿、今井宗久殿やで」
「凛凛じゃないけどなんか嫌な感じだな」
お菊が言うと
「そうやな。ま、手の平返しやで。商人はお金をくれれば誰とでも商いをしたいねん。織田でも毛利でも本願寺でもやね。そんだけや」
「あんたって大人だよね」
「当たり前や!もう19歳やで!大人やで!大人は裏も表も何でもありやで!雑賀の郷なんか同じ年で子供(ちびっ子)がおるのもいるで!」
「もうそんなに時間が経ったのか。時間が」
お菊はなんか沈んだのである。
「お~い!元気そうですね!」
「悠然さんや!」
「お久し振りです!」
突如、六地蔵の悠然が本願寺からやって来たのである。
「すまないね。毛利水軍衆を歓待しないといけないので岸辺に流れ付いた仏様(遺骸)の整理を君たちにまで頼むなんてね」
「仏様は慣れっこですよ!」
「お互い様!ウチらもいつああなるか分らんし。もう地獄でもどこでも行くわ!」
お菊とおいちも軽く返したが
「顕如様より君たちも毛利水軍大将の乃美様の歓待の儀に出て欲しいとね。明日の昼まで本願寺に来て欲しいそうだよ」
「承知しました!」
お菊とおいちは軽く返したのである。
「あのう。清澄さんは?」
お菊だが聞き難そうに悠然に聞くと
「ああ。清澄は天王寺の戦で行方知れずになったんです。その後しばらくして胴が見つかりましてね。首は行方知れずのままですが彼の御霊は間違いなく極楽浄土に逝きましたよ」
悠然は淡々と返した。
「そうだったんだ。噂は聞いてたけど」
「南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏」
お菊とおいちは先に逝った清澄に念仏を唱えた。
「私もこんな体になってもう戦は無理でね。顕如様の赦しが出次第国元の寺に帰って布教に努めようとね」
「!」
袈裟に隠れて気付かなったが悠然だが右手の肘下を失っていた。
「では本願寺で待ってますね」
悠然は爽やかに言うと本願寺に戻って行ったのである。
「なんだかなぁ」
「ほんまやな。諸行無常やな」
お菊とおいちは複雑な想いで悠然を見送った。
その頃、京に居た明智光秀は大忙しであった。京都所司代の仕事をこなしつつ中途半端に終わっていた丹波攻めの再準備を行っていた。また天王寺合戦で負傷し安土城に戻った信長への配慮も忘れず光秀の同郷の近江の出の名医、曲直瀬道三を安土に遣わせたりしていた。
そのような時に若江城から使者が来たのである。
「家老様(佐久間信盛)から?珍しい」
光秀が驚くと
「木津川口での大敗北に上様(織田信長)が激怒してるとか。手助けをと」
溝尾茂朝が小声で返したが
「放っておいたら良いのでは?」
藤田伝五は手刀を首に当てる振りをして(クビになる)素っ気なかったが。
「家老様だけでなく松永久秀殿、荒木村重殿も今回の敗戦の責の矢表に立たされているのか。参ったな。塙直政殿や島田秀満殿の件もあるのに」
光秀だが珍しく溜め息を付いた。
「帰蝶様も上様の癇癪に呆れ果ててるとか」
荒深小五郎が小声で言うと光秀は黙った。そして
「長島一向一揆でもそうさ。生きてる2万の門徒衆に火を放ったよ。比叡山でも延暦寺でも地獄絵を描いてくれたよ。例え一族であろうとね。昔からその気はあったよ。驚くべく事ではない」
光秀は冷静に言った。
信長だが天王寺合戦の前年の師走(12月)、美濃で武田勝頼の配下になっていた美濃岩村城を攻略したのである。信長にとって美濃に来た武田家は信玄時代からの目の上のたんこぶである。信玄が死に後継者の勝頼をこの年の6月に行われた長篠の戦いで叩きのめしたが岐阜城の目と鼻の先の美濃の武田勢力は目障りだった。長篠の戦いでの大敗した勝頼は岩村城へ援軍を送れず信長はこの機会に岩村城を攻めたのである。
城主の秋山虎繁と正室のおつやの方は城兵の助命を引き換えに信長に降伏開城した。しかし信長は約束を翻し城主の秋山とおつやの方を岐阜まで連行し逆さ磔で残虐に処刑したのである。おつやの方は織田の一族で最初の岩村城主の主人が病死。攻めて来た武田軍と戦えず降伏し秋山と再婚したのだがそれが信長の癪に触っていた。
信長だが甲斐に戻すと約束した岩村城の兵も追撃し全員討ち取っていた。織田と武田の戦いに巻き込まれ同じ一族で武田と織田に別れ一族を多数失った美濃衆は信長に怨嗟の念を抱きだしていた。
光秀の正室の妻木煕子の実家の妻木氏やその一族、信長の正室で自ら美濃のマムシ、斎藤道三の後継者を自負している帰蝶らや斎藤氏の一門も同じような念を密かに抱き始めていた。
光秀はそれを見ない素振りをしていたが。
「荒木村重殿の子息に倫子様を嫁がせる件は如何されます?」
溝尾茂朝は小声で光秀に聞いた。光秀だが信長より村重の子の村次に光秀の長女の倫子を嫁がせて欲しいと頼まれていた。信長だが村重を買っていたが村重は尾張衆でも何でも無い外様である。そこで信長より光秀に相談が来たのである。厳密に言えば信長の女中の妻木千草から姉の妻木煕子経由で光秀にもたらされた話であるが。
「煕子殿は何と?」
「やむなしと。千草様からの情報も無碍に出来ぬと」
荒深小五郎が煕子の妹で信長の女中として仕えていた千草(御ツマキ)からの頼みとして大局を考え承知したのである。
「すまない。煕子殿。信長公と帰蝶様に伝えろ。倫子は荒木殿の嫡男の村次殿に予定通り嫁がせる。ふせ(光秀次女)は(織田)信澄公に。丹波は3年以内に制圧するので時間が欲しい。本願寺は朝廷を使って牽制する。丹波が落ちれば荒木殿と猿殿(羽柴秀吉)で播磨姫路まで落としその後に紀伊を落とす。外堀を埋めれば本願寺は降伏する。毛利対策の水軍衆の再建だけ信長公にお願いしたい」
光秀は荒深小五郎に一気に言うと
「毛利水軍対策に四国の長宗我部をも使いましょう。稲葉(一徹)殿配下の斎藤利三様を明智家に呼ぶのは帰蝶様の許可は得ました。稲葉殿は渋っていたようですが」
荒深小五郎が返すと
「昔に比べると稲葉殿は石頭になったね。道三様がご健在の頃はもっと融通が利いたよ」
光秀が呆れると
「帰蝶様の裏でこそこそしてるのを信長公に睨まれたくないだけじゃ?言い口でしょ?」
若い伊勢貞興が言うと苦笑が起きたが。
「ところで塙(直政)殿や島田(秀満)殿の子息たちの件は信長公が方針を変えないのは違いないのか?」
伊勢貞興に光秀が心配そうに聞くと
「は!残念ですが放っておけと」
伊勢貞興は首を縮めながら返した。
信長だが天王寺合戦で戦死した塙直政の遺族に冷徹に処したのである。この戦いの敗戦の責を押し付けたので塙一族は所領を没収され実質織田家を追われたのである。
島田秀満も京都所司代として光秀と活躍したが本願寺に勝手に和睦交渉に行って討たれたのを己の間違った判断による自業自得と決めつけ遺族に相続させず秀満の一族も実質織田家追放となったのである。これは実は光秀も内心堪えた。
塙直政の敗戦の責はやはり戦力差と自軍の連携不足。島田秀満も光秀や京都所司代が戦況の好転を交渉で図ったのを信長が連絡を入れず出陣して偽の和睦交渉と誤解され本願寺で不慮に討たれてしまったのである。
「しかし塙殿や島田殿の遺族へのこの処遇も反感を生むだけと信長公がなぜ分からない?くっ!何を企ててる?」
「次の目障りは我々ですかな?」
光秀の不満に伝五は重い口調で言うと
「帰蝶様や美濃衆が居なければ織田は持たないよ」
光秀は冷静に返したのである。
「彼ら(塙直政や島田秀満の遺族)の支援はこっそりと行います。汚れ仕事はワシに任され」
藤田伝五が言うと光秀は頷いた。
お菊とおいちは翌日の昼に石山本願寺に予定通り入った。
毛利水軍の大将の乃美宗勝やその配下の毛利衆や村上水軍衆を労い歓待する行事に出るためである。
たくさんの毛利や村上水軍の軍船や輸送船が石山本願寺の沖合に停泊していた。村上水軍の旗の下の船上で動く人たちを見て
「あれが弥生さんのご実家の村上水軍か。さすがに水軍衆で有名なだけあって厳つい人が多いね。女の人も居るんだ」
お菊は船を眺めながら言った。
「船が家みたいなんやな。夫婦で動いてるのかもな。子供(ちびっ子)は危ないから安芸因島の郷に置いてるんやろうけど。まぁ村上水軍衆も拠点の安芸因島周辺だけで生活してる訳じゃなく外で、遠くは異国まで行って商いをするんやな」
「へぇ。あんた詳しいね」
「実は雑賀の水軍衆とは昔からのお知り合いなんやな。一緒に商いしたりしてんねん。雑賀の郷も鉄砲は作れても材料や硝薬は輸入してるんや。村上水軍衆が異国から仕入れてくる硝薬は希少やからな。高く売れるねん。硝薬が無いと鉄砲もタダの棒やもんね」
「なるほどね。でも弥生さんも因島は良いとこって言ってたから戦が終わったら連れて行って欲しかったな」
「静かな海に島がぽつりぽつりと浮かぶなかなか雅な景色らしいで。爺や(岡吉正)が昔に行って良かった言うてたで」
お菊とおいちは毛利と村上水軍の船団をのんびり眺めながら行った事の無い風光明媚な因島や瀬戸内の海や島に想いを馳せたのである。
その日の午後、石山本願寺での毛利衆と村上水軍衆らへの顕如主催の歓待の儀は集められたたくさんの門徒らの熱烈な歓迎歓声と坊主衆の荘厳な念仏や法楽で粛々と行われたのである。
歓待の儀が終わると高位な僧や坊官らの主催の食事会はお菊、おいちには関係ないので木津川砦に帰ろうとしたところ心眼が誰かを連れてやって来たのである。初老で頭は白くなっているが日に焼けた頑丈そうな男である。
「心眼さん?どうしたんですか?」
お菊とおいちが驚くと
「君にぜひ会いたいと言うお方だ。この方は村上吉充様だ。村上水軍の大将で実は弥生の……」
心眼が紹介し終わる前に
「あなたがお菊さんかね?」
村上吉充はお菊に柔らかい物腰で話し掛けて来た。
「はい」
「娘が世話になったそうでな。ちょっと礼を言いたくてな」
「!弥生さんですか?いいえ。お世話になったのはあたしの方ですよ。あたしがお礼をしたいです」
「いやいやなるほど。納得したよ。娘からの手紙に良い後任が見つかったって書いてあったよ。本願寺の娘の隊も何度もあなたに助けられたって。安心して一線を下がれるとな」
「弥生さん。そうだったんだ」
お菊は胸が熱くなったが
「一線を下がったら因島に孫を連れて帰って来てくれるかと思ったが。娘はその気は無かったのが残念だが」
「……」
お菊は弥生の息子を思い出した。
「孫に会いたくてな。あなたならどこに居るか知ってるかなと思ってな」
村上吉充はしんみり言ったが。
「……」
心眼は黙っていたが。
「すみません。知らないんです」
お菊はそう答えたのである。
「そうか。あなたも知らなかったか。ならば仕方あるまい。でも本当にありがとうな」
村上吉充はにこりと諦めたように笑った。
「いいえ。お役に立てずごめんなさい。弥生さんに本当にお世話になりました。ありがとうございました」
お菊が詫びると
「お菊さん。戦が終わったら因島に遊びに来てくだされ。お互い長生きしよう」
村上吉充は心眼と本願寺に戻って行ったのである。
「弥生さんは良い母親だからお子さんを戦場に送りたくなかったと思う。だから父上様(村上吉充)にもお子さんの事を話さなかったんだと思う。だからあたしもそうした」
お菊が静かに言うと
「それで良いと思うわ。ウチもそう思うわ」
おいちも同意した。
「ウチらも弥生さんみたいに良い母親になるかどうか分らんけど。悪くないわな」
「そうだね。でも生き残ればね」
お菊がおいちに冷静に返すと
「明日、凛凛が帰ったら久々に3人で堺の茶屋町で南蛮菓子を歩き食べ廻ろうかいな!」
おいちが突然嬉しそうに言うと
「賛成!生きてる今を楽しもう!」
お菊も嬉しそうに同意した。
毛利衆や村上水軍だがその後は足早に安芸に戻って行ったのである。




