203 森の民・儀式〈運び屋〉
◆祝福
拠点に到着するころには、森のざわめきが嘘のように遠のいていた。湿った空気の中で、タカクラは俺たちに対して深く頭を下げた。
まるで任侠映画のワンシーンを切り取ったような所作で、「助かった」と短く言う。その声は低く、重く、森の影と同じ色をしていた。
感謝するだけでも絵になる男だった。しかし、タカクラたちの反応はそれだけだった。戦闘のあとの恐怖も動揺もない。淡々と装備を点検し、負傷者の確認をし、各々が持ち場へ戻っていく。まるで先ほどの戦闘が日常の一部であるかのように。
おそらく、これが彼らの日常なのだろう。〈大樹の森〉という異質な場所で生きることは、自然の脅威のなかで、つねに死と隣り合わせあるということだ。その事実を嫌でも突きつけられる。
それから俺たちは〈ミツバ〉の集落へと案内される。巫女による儀式が予定通り行われるのだという。もちろん、そこでも襲撃の影響はまったく感じられない。
森の民は、森の脅威に慣れすぎているのかもしれない。先ほどの戦闘よりも、訪問者である俺たちに興味があるように見えた。
大樹の幹に架けられた吊り橋を渡る。人の腕ほどの太さの根が複雑に絡み合い、自然物なのに人工物めいた規則性を持っていた。触れると鋼線のように頑丈で、人の力で束ねられるような代物ではないと分かる。
イジュンがどうやって作っているのかをタカクラに質問する。今回も無視されるかと思ったが、怪鳥の巣から拝借したものだと教えてくれた。
怪鳥――人間すら丸呑みにする変異体だという。繁殖期になると、巣材として根を編み込み、体液を使って樹皮を溶かしながら接着する習性があるらしい。そんな化け物が森のどこかにいる。遠征中に遭遇しなかったことを、心の底から神に感謝した。
吊り橋の下では、森がゆっくりと蠢いていた。巨大な葉が風に揺れるたび、影が生き物のように形を変える。地面の奥からは低い振動が伝わってくる。変異体が潜んでいるのか、あるいは森そのものの鼓動か。どちらにせよ、そこは人間のために存在している世界ではなかった。
地上から高さ三、四十メートルの位置にある祭壇へ着くと、部族の巫女が待っていてくれていた。羽で飾られた腰布に、泥と染料で身体を彩り、瞳は薄茶色に光っている。彼女は俺たちを見て、静かにうなずいた。
巫女が口にする言葉は理解できなかったが、その声は森から聞こえてくる風のうねりのように柔らかく、優しい響きを含んでいた。言葉というより、森そのものが発する低い囁きに近いのかもしれない。
木椀の中で焚かれた植物の煙が白い筋を描き、俺たちの身体に触れるたび、皮膚の下で微かな痺れが走った。巫女は祈りの言葉を途切れなく紡ぎながら、泥と赤い染料を混ぜた塗料を指先に取り、俺たちの額にそっと印を描いていく。
コトネの番になると、義眼が埋め込まれた皮膚の引きつりを気にしながらも、わずかに残った皮膚にそっと赤い線を引いていく。
タカクラが言うには、これで俺たちは森の精霊から認識されるようになり、部族にも受け入れられたのだという。
森に受け入れられるという実感はなかったが、部族からの祝福という意味合いがあるのだろう。現実的な効果はなくとも、部族から敵対されないというだけでありがたい。
その儀式が終わると、休む暇もなく大樹の洞へ案内された。その巨大な洞は自然にできたものではない。人の手で削られた空間は異様に広く、天井には根が絡み合い、生物の体内に入り込んだような錯覚を抱かせる。
植物で編まれた円座が並び、昆虫を使った料理が皿に盛られている。甲殻を割ったときの甘い匂いが満ち、どこか発酵したような酸味が鼻を刺した。
タカクラが情報端末を操作し、巫女の言葉を不完全な通訳で伝える。端末の翻訳は途切れ途切れで、ところどころ意味が抜け落ちていたが、要点は理解できた。森の奥に、変異体すら避ける〝得体の知れない何か〟が棲む危険な地域が存在している。その監視役として、森の民が戦士を募っている。
彼女は、たった三人で森の奥深くまで入り込んだ俺たちの腕を見込んで、その監視役が派遣される砦まで、〈ミツバ〉の若い戦士を送り届けてもらいたいのだという。残念ながら、部族は襲撃に警戒していて人手が足りない。だから運び屋である俺たちに依頼したい。そういう話だった。
「もちろん、報酬は出す」とタカクラが言う。
部族が聖域として管理してきた遺跡で見つかった遺物――要は、旧文明の廃墟で手に入れた貴重品が報酬なのだという。
急な依頼に戸惑ったが、タカクラの部隊からも、数人の傭兵が同行するという。依頼を受けるかどうか、その選択が、この異質な森の秘密に踏み込む第一歩になるのだと嫌でも理解できた。魅力的であると同時に、わざわざ命を危険にさらす行為でもあった。
「まずは報酬を見せてくれ。話はそれからだ」




