198 異変〈運び屋〉
◆尾行
タカクラと連絡が取れた翌日、森の空気はどこかざわついていた。若い亜人が隠れ家の縁で耳を立て、風の流れを読むように森を見下ろしていた。
俺たちはタカクラとの接触場所と日付を決め、あとは物資を積んだ〈カーゴドローン〉を連れていくだけで良かった。
数週間の試行錯誤の末にようやくたどり着いた終着点――そのはずなのに、胸の奥で小さな警鐘が鳴り続けていた。森の匂いがいつもより濃い。湿った腐葉土の香りに、鉄のような刺激臭が混じっていた。
イジュンが数機の偵察ドローンを飛ばすと、機体が高度を上げるにつれノイズが増えた。磁場の乱れもあるが、〈放射線嵐〉が近づいているのかもしれない。拠点に戻っている時だった。先行していたコトネが義肢の関節を鳴らしながらしゃがみ込むのが見えた。
『誰かに尾行されているみたいだ』と、ノイズ交じりの合成音声で言う。森の民ではない。足跡の深さが違う。重い装備を持った人間の歩幅だ。
俺たちは隠れ家から離れるルートを変え、巨木の根を縫うように移動した。若い亜人は巻き込むわけにはいかない。危険だと説明し森の奥を指さすと、状況を理解したのか、尾を伏せて森の奥へ消えた。
奇妙な静寂が森を支配していく中、乾いた破裂音が空気を裂いた。狙撃だ。指向性エネルギー兵器ではなく、実体弾による精密射撃。樹皮に弾丸が食い込み、破片が飛び散る。俺は反射的に身を伏せ、コトネはイジュンを引き倒した。
そのイジュンは顔をしかめながらも、すぐに手元の端末を操作し、ドローンを急降下させながら弾道を解析する。次弾が苔むした幹を抉り、木屑が雨のように降った。狙いは正確だが距離がある。磁場の乱れが弾道に影響したのかもしれない。
森のざわめきは、まるで都市の裏路地で聞く電脳ノイズのように不吉で、どこか人工的だった。誰かが、俺たちの行動を先読みしている――そんな嫌な予感が、湿った空気の中で形を持ち始めていた。
イジュンの端末に映った映像には、戦闘服を身につけた集団が確認できた。着崩した戦闘服の袖から、見慣れた龍の刺青がのぞいている。〈廃墟の街〉を縄張りにする中華系ギャングの構成員だ。企業のゴミを漁り、変異体の臓器で薬物をつくり、行商人を襲うことで知られる連中だ。
彼らは基本的に廃墟を縄張りにしていて、〈大樹の森〉には近づかない。それなのに、ここまで追ってきた。理由はひとつしかない。俺たちが運ぶ物資か、タカクラの情報か、あるいはその両方。
「位置を変えるぞ」
コトネは頷くと、義肢を調整してライフルを肩に引き寄せた。
イジュンはドローンの高度を下げながら、敵の位置を割り出そうとする。腕に赤い布を巻いた狙撃手が低木の影に身を潜めているのが見えた。味方識別標識として使っているのだろう。彼の周囲には観測手と護衛の兵士がいる。
彼らの近くには、甲虫めいた変異体の死骸が転がっている。狙撃手が再び銃を構えた瞬間、森の風向きが変わった。昆虫の羽音が低く唸り、光る花粉が視界を曇らせる。俺たちはその一瞬の隙を利用して、巨木の根の影へ滑り込んだ。弾丸が背後の幹を砕き、木片が頬をかすめる。心臓が跳ねる。だが、まだ死んでいない。
「考えがあります」
ガスマスク越しのくぐもったイジュンの声が聞こえた。
彼が手にしていた情報端末には、この遠征で記録した詳細な森の地図が表示されていた。その地図のなかに、赤色の線で囲まれた区域があった。それを見て、彼が何を考えているのか分かった。
「コトネ、銃弾がなくなるまで適当に牽制射撃をしてくれ。残弾を気にする必要はない。全弾撃ち尽くすつもりでやってくれ」
彼女はぽかんとした表情で俺を見つめたあと、状況を察してうなずいた。
森の空気がざわつき始めた。〈放射線嵐〉の前兆だ。森のあちこちで枝葉の先端が青白く光り、遠くで落雷のような轟音が響き、大気が震えた。俺たちはその異常な環境を利用し、森の奥へ駆けた。
放電の閃光が視界を白く塗りつぶし、追跡者の狙いを狂わせる。コトネが大樹の陰に滑り込み、ライフルをフルオートで撃ち込む。乾いた銃声が森に吸い込まれ、襲撃者たちの足を止めた。弾丸が樹皮を裂き、土が飛び散る。敵は俺たちを逃がすまいと、執念深く距離を詰めてくる。
赤い境界線が目前に迫るなか、俺たちはライフルをその場に放り捨て、大樹の根の陰へ身を滑り込ませた。枯れ葉が堆積する溝の奥で息を殺し、動かない。放電の光が森を断続的に照らし、林立する木々の影が揺れた。
やがて襲撃者たちの足音が近づいてきた。彼らは武器を構えたまま、俺たちが捨てたライフルを見つけ、さらに奥へ踏み込んでくる。
案の定、五分も経たないうちに森の空気が変わった。奇妙な静寂が辺りを包み込む。そして、光学迷彩の膜が剥がれ、昆虫の外骨格を継ぎ合わせた複合装甲が姿を露わにした。
四本の脚を持つ自律兵器の背部ユニットから索敵ドローンが射出され、襲撃者を即座に識別するのが見えた。その直後、レーザーの照射音が森を裂き、襲撃者たちの銃が次々と焼き切られた。
それでも彼らは撤退ではなく、反撃を選択した。〈ツチグモ〉のAIが脅威判定を更新する。そして森の静寂が破れた。高出力の熱線が空気を焦がし、襲撃者のひとりが地面に崩れ落ちる。多脚兵器は淡々と、機械的な正確さで侵入者を排除していく。
抵抗はすべて無意味だった。俺たちは根の陰からその光景を黙って見ていた。放電の光が断続的に森を照らし、ツチグモの外殻に反射しては冷たい金属光を闇に散らしていた。そのたびに襲撃者が倒れた。それは、感情のない無慈悲な兵器が、廃墟の路地裏で淡々と仕事をこなすのを見ているかのような光景だった。




