192 森〈運び屋〉
◆静けさ
拠点を手に入れ、〈大樹の森〉を探索するための足掛かりを得た俺たちは、森の深部――物資の配達先でもある辺境の部族が確認された地区へ向かうルートを開拓する作業に取りかかった。やることは、いたって単純だ。
森に入り、そこに生息する危険な変異体を洗い出し、彼らを避けて進める安全な移動経路を見つける。それだけだ。しかし言葉にすれば簡単でも、実際には命を賭ける行為だ。
森は汚染地帯の中でも環境が激変した地区であり、変異体の生態も読めない。それ相応の準備をせずに踏み込めば、ただそれだけで死ぬ可能性がある。
俺たちは綿密な計画を立て、拠点を後にする準備を始めた。カーゴドローンや余計な荷物はすべて拠点に置いていく。荷物を軽くしなければ、森の中で身動きが取れなくなる。
装備は最低限で、しかし生存に必要なものはすべて身につけた。ガスマスクはフィルターを新品に交換し、防護服としても機能する戦闘服は関節部を補強する。重ね着して砂塵の侵入を防ぐ工夫も施す。ダストコートの表面には薄い鉛膜が塗布され、放射線量をわずかに抑えてくれる。
腰には空気循環用の小型ユニットが装着され、呼吸のたびに微かな振動が伝わる。背中には最低限の物資を収めた背嚢。銃器は軽量化されたカーボンフレームのライフルを選択し、消音器を装着して銃声が目立たないようにする。
いつ、どこで昆虫の群れに遭遇するか分からない。森の闇は、汚染と変異の気まぐれで形を変える。だから俺たちは、常に戦いに備えておくしかない。
イジュンは偵察ドローンの整備と最終確認を済ませ、コトネも義肢の状態を点検し、異常があればメンテナンス用システムだけに頼らず、自ら微調整を行った。
拠点の階段脇に設置したセントリーガンは、あらゆる侵入者を撃ち抜くように設定済みだ。略奪者たちが戻ってこないことは確認していたが、汚染地帯では油断した者から死んでいく。そのセントリーガンの作動音を背に聞きながら、瓦礫の隙間を抜けて外へ出た。
黄土色の粉塵が風に流され、世界は濁った膜に覆われているようだった。ガスマスク越しの呼吸は重く、防護服の内側では汗がじわりと滲む。
〈大樹の森〉が近いということもあり、しばらくの間、この拠点は俺たちの帰る場所になる。
黄土色の粉塵にまみれた荒廃地帯を一時間ほど歩くと、世界はゆっくりと姿を変えていく。崩れた高架道路や瓦礫の山は、いつの間にか植物に呑み込まれ、コンクリートの裂け目からは極彩色の花々が咲き乱れていた。
高層建築の合間からは、樹高百メートルを優に越える巨木が乱立し、太い根が建物の外壁を締め上げ、地中に埋もれた構造物の上に複雑な網を張っている。
まるで旧文明の死骸を踏み台にして、森そのものが都市を侵食しているようだった。いや、事実、それは旧文明の残骸を侵食していたのだろう。樹皮は金属のように硬く、葉は蛍光色の縁を帯び、風が吹くたびに微弱な生体発光が揺れた。
〈大樹の森〉は、ただの自然ではない。汚染と変異が混じり合い、都市と森が融合した異様な生態系を形成している。
森の外縁に近づくにつれ、周囲で見られる昆虫も徐々に大きくなっていく。最初は手のひらほどの甲虫だったものが、やがて小型犬ほどの体長を持つ変異体へと姿を変える。幸い、まだ温厚な種が多いが、雑食で人間を獲物にするものもいるため、見つけ次第、俺たちは移動経路を変更した。
ガスマスク越しに聞こえる自分の呼吸は重く、防護服の内側では汗が滲む。防護服に織り込まれた薄い鉛が放射線をわずかに抑えてくれるが、そのぶん蒸し暑さはひどい。
それに、イジュンの偵察ドローンは森の中では使えなかった。ロータ音が木々の間に響き、変異体を呼び寄せる。そこで彼は、蜘蛛を思わせる多脚型の偵察ドローンを起動する。静音性に優れ、地表のわずかな振動の違いを読み取って周囲の生物の位置を割り出す。
さらに、小指ほどのサイズしかない小型ドローンも使う。バッテリーの都合で使い捨てだが、最低限のデータ送信は可能だった。木々の隙間を縫うように飛び、微弱な電波で位置情報を返してくる。
森の磁場は乱れているため、ドローンの軌道は不安定だ。それでも変異体の接近や、底なし沼を見つけるのに役立ってくれる。
休憩のたびに、俺たちは防護服の状態を確認し、ガスマスクのフィルターを交換し、ライフルを点検した。空気循環ユニットは正常に動作しているが、いつ汚染地帯に入り込むか分からない状況では、動力の確認を怠るわけにはいかない。
〈大樹の森〉は、都市の残骸を飲み込みながら成長した巨大な生態系だ。その奥には、まだ誰も知らない遺構や手付かずの遺物が残されている。けれど、それは誰も立ち入れなかったことの裏返しでもある。危険な森の深部に向けて、俺たちは黙々と移動を続けた。
気がつくと、濃密な緑のなかで聞こえるのは、ガスマスク越しの自分たちの呼吸音だけだった。世界が静まり返り、森そのものがこちらを監視しているような錯覚すら抱かせる。




