186 快楽部屋〈運び屋〉
◆デッキチェア
イジュンが遠隔操作する偵察ドローンによって〈放射線嵐〉が過ぎ去ったことを確認すると、俺たちは出口を目指して荒廃した通路を進んだ。どこからともなく吹き込んだ粉塵で視界は茶色く濁り、ガイガーカウンターが断続的に鳴らす音が神経を削る。
カーゴドローンの多脚が砂礫を踏みしめる音がやけに大きく響くなか、コトネは蜘蛛を思わせる〈人工眼球〉を明滅させながら周囲を警戒していた。彼女が動くたびに、腰に吊るされた生命維持装置の管が鼓動に合わせて揺れるのが見えた。
その最中、奇妙な部屋の入り口を見つけた。扉は半ば崩れ、植物の根が枠を締め上げている。だが内部には、数か月前まで人がいた痕跡が残っていた。
汚染物質にまみれた粉塵が舞う中、外に出るのは危険だと判断したイジュンの提案で、俺たちは室内を調べることにした。
薄暗い部屋に照明を向ける。想像していたよりも広かったが、天井の照明はほとんど落ち、非常灯だけが赤い光を放っていた。床には汚染物質にまみれた砂が積もり、天井からは無数の配線が垂れ下がっていた。
だが、もっと異様だったのは室内に並ぶ椅子だった。詳しく調べると、それがただの椅子ではないことが分かる。
身体を横たえるタイプのデッキチェア――いわゆる〈電脳空間〉への接続端末が組み込まれたサイバーチェアだと分かった。それも商業用のものではなく、冷却システムを備えた企業が使う特注品だった。
太いケーブルが背もたれから床の配線へとつながり、腐食したサーバーラックの残骸が壁際に並んでいた。
かつてここで誰かが〈電脳空間〉に没入していたのだろう。現実から逃れるためか、汚染地帯の狂気から身を守るためか――あるいは、もっと別の理由か。
デッキチェアの革は擦り切れていて、地面に転がるヘッドギアの内側には皮脂と汗の跡が残されていた。モデルは旧文明の〈販売所〉で手に入るものだ。数か月前まで、確かに誰かがこの椅子に横たわり、〈電脳空間〉へ逃げ込んでいたのだ。
イジュンは義眼を明滅させながら周囲を走査し、コトネは前腕を変形させ、兵器を展開しながら奥に進む。
室内をしばらく調べていると、ここがレイダーギャングの根城だったことが分かった。壁には彼らの落書きが残り、床には乱雑に散らばった薬品の容器や薬莢、それに改造されたライフルの残骸が転がっていた。
だが幸か不幸か、彼らはもう全滅していた。廃墟内を棲み処としていた変異体に襲われたのだろう。抵抗した痕跡が弾痕として壁に刻まれていたが、それも無駄だったようだ。
そこに残されていたのは、苔と菌類に半ば飲まれた白骨死体だけだった。骨の一部は植物の根に絡みつき、廃墟そのものと同化していた。
しかし、そこで我々は奇妙なものを目にすることになった。部屋の奥に向かったコトネが見つけたのは、無数の医療用チューブにつながれた人間が、完全密閉されたデッキチェアに横たわっている姿だった。
痩せ細り、ミイラのように干からびた身体。皮膚は灰色に変色し、筋肉はほとんど残っていない。だが、専用の医療システムがかろうじて生命を維持していた。胸部のセンサーが弱々しく明滅するなか、栄養剤が投与され、機械が肺を押し広げている。
部屋に並ぶデッキチェアは、すべて〈電脳空間〉への接続端末を備えていた。背もたれから伸びるケーブルは床の配線へとつながり、そこから生体信号処理装置や専用サーバーでもあるローカルフレームにつながれているのが見て取れた。いずれも高価な機材だ。
イジュンが端末に接続してログを確認すると、その表情が見る見るうちに歪んでいく。
「……どうやら、彼女たちは快楽のための〈仮想空間〉に接続されていたみたいです」
レイダーギャングが〈電脳空間〉に構築した〈仮想空間〉は、悪趣味そのものだった。彼らの快楽とは、性行為そのものだけでなく、娯楽を目的とした実際の殺人の瞬間や残酷な性暴力行為を含む地獄のような世界だった。
一度で終わる体験を永遠に繰り返すため、あえて被害者を〈電脳空間〉につなぎ、何度も快楽を味わった。人工知能が生成した〈メタヒューマン〉では再現できない現実的な恐怖や痛みの反応を得るために、生身の人間を使用していたようだ。
実際には、高度な人工知能によって造られた人間的な感情に大きな違いはないが、生身の人間の感情を信奉する者たちは多い。
快楽のために他者の意識を拘束し、肉体が朽ちるまで接続し続ける――それが彼らの遊びだった。
コトネは無言で痩せ細った被害者たちの顔を見つめていた。若い女性たちは老婆のような姿に変わり果てていた。
ガイガーカウンターが不気味な音を鳴らし、粉塵が茶色く視界を濁らせる中、俺たちは言葉を失ったまま、その惨劇の残骸を見つめていた。
変異体の襲撃を逃れたのは、この部屋が隔離され、密閉されたデッキチェアを使っていたからなのだろう。外界の汚染を遮断し、〈電脳空間〉に没入するための密閉構造が、結果的に彼女たちを変異体から守った。
だが、守られたのは肉体だけで、精神はとうに壊れている。いずれにせよ、放っておくことはできない。どうするべきか相談しようとした、その時だった。
コトネは何も言わず、痩せ細った被害者たちに腕を向けた。躊躇は一切なかった。前腕の皮下装甲が展開し、砲口が淡く光る。
つぎの瞬間、金属を打ち鳴らす甲高い音と共に合金の塊が撃ち込まれた。容赦ない破壊によって、デッキチェアに横たわっていた弱々しい生命が途切れる。医療システムのモニターが赤い警告を点滅させ、やがて沈黙した。
それが正しい処置なのかは分からなかったが、彼女たちが目覚めたとして、その精神が現実に耐えられるとは思えない。肉体はすでに限界で、生きる力は残されていなかった。
コトネは処理を終えると、何も言わずに砲口を収納し、部屋をあとにした。イジュンが死者に祈りの言葉を口にする中、レイダーギャングが作り出した地獄はひっそりと幕を閉じた。




