184 侵食帯〈運び屋〉
◆出発
危険な遠征になるが、〈灰荷隊〉のイジュンと〈浄化人〉のコトネ、そして多脚型カーゴドローンを率いて〈大樹の森〉へ向かうことになる。だが、その前に〈侵食帯〉を越えなければならない。
汚染地帯を通ることになる以上、準備は怠れない。工房で整備されたカーゴドローンは、外装が新しいものに交換され、弾痕も傷跡も消えていた。関節部の駆動系には手が加えられ、油圧シリンダーは磨かれ、ケーブルは新品に取り替えられている。
足場の悪い場所でも問題なく踏破できるだろう。俺たちはそのドローンに物資を積み込んでいく。数週間分の食料、予備弾薬、交換用の部品やバッテリー。積み上げれば大荷物だが、ドローンが運んでくれるので心配はいらない。
もちろん、森の部族と交流を続けている情報提供者〈タカクラ〉への支援物資も、別のドローンに積み込まれていた。
戦力になるのはイジュンとコトネだけだが、信頼できない傭兵を連れ歩くより、よほど安心できる。イジュンは〈灰荷隊〉としての責任をもって荷物の最終チェックを行い、コトネは背中のケーブルを揺らしながら、無言でドローンの積載状況を確認していた。
彼女の機械の身体は、新調した戦闘服でほとんどが隠れていたが、生命維持装置の管が鼓動に合わせて微かに脈動しているのが見て取れた。人間というより、汚染地帯に適応した新たな種族のようにも見える。だが、その異質さは、これから向かう危険な旅路において、むしろ奇妙な頼もしさを感じさせた。
〈灰の裂け目〉の空気は、腐臭と焦げた電子部品の臭いが混じり合い、どこか湿ったノイズのように肌へまとわりつく。
〈侵食帯〉の向こうに待つ闇は、ただの自然ではない。腐食した機械の残骸、暴走した生態系、そして〝人間の成れの果て〟が彷徨う――そこは、文明の死骸が積み重なる無音の墓場だ。それでも、仕事だと割り切って進まなければならない。
〈大樹の森〉の外縁では、汚染地帯特有の植物が風に揺れていた。その光景を前にしても、イジュンとコトネは冷静だったが、俺は〈大樹の森〉という未知の領域に対して、幾ばくかの好奇心を持て余していた。いずれにせよ、〈大樹の森〉へ向かう準備は整った。
日の昇る前、俺たちは〈灰の裂け目〉を出発した。夜の名残を引きずる冷気が肌を刺し、寒暖差が生む白い霧が地面を這っている。カーゴドローンの多脚が低く唸り、磨かれた外装が霧の中で鈍く光った。
イジュンは外套の襟を立て、コトネは最低限の装備を手に無言で歩き出す。俺たちは荒涼とした廃墟の通りを越え、巨大な植物が繁茂する区域へと足を踏み入れた。
しばらくすると、廃車を苗床にした奇妙な菌類が胞子を飛ばし、霧の中で淡く光る光景が見られた。胞子はゆっくりと漂い、粘膜を傷つけ肉に食い込む。そのまま放っておけば、菌糸が血管にまで侵入し、最後には発狂して死に至る。新たな苗床の完成だ。
高層建築の壁面には、犬ほどの体長を持つ甲虫の変異体がまとわりつき、外骨格は金属のように光沢を帯びていて、動くたびに陽の光を反射していた。建物の内部は黒い根に侵食され、窓という窓が植物の蔦で塞がれている。
霧の奥では、壊れた監視ドローンがまだ稼働しているのか、赤い光点が断続的に瞬いていた。都市の残骸と変異した自然が混じり合い、どちらが本来の支配者なのか判別できない。電子ノイズのような風の音が耳の奥を震わせ、この領域そのものが、侵入者を試すように呼吸しているかのようだった。
イジュンは観測施設から入手していた汚染予報を確認しながら、〈放射線嵐〉を避けるルートを慎重に選択していく。〈人工眼球〉に投影された地図には汚染濃度の変化が色分けされ、危険区域が赤く明滅していた。
灰荷として〈侵食帯〉で長く活動しているだけあって、その動きには余裕すら感じられる。時折立ち止まり、偵察ドローンを空へ放ち、略奪者が近くにいないか確認する。球形の機体が霧の中で外装を展開し、ロータを回転させながら静止した。
その間、コトネは我々の護衛として周囲を警戒しながら歩いていた。彼女のサイバネティクスの義肢が静かに駆動し、無数のケーブルが霧の中で揺れる。思いもしない形で雇うことになったが、すでに下手な傭兵よりも仕事をしていた。
実際、彼女は変異体の気配を捉えているようだった。周囲は霧深く、音が吸い込まれていく。ここまでは順調だ。
変化が起きたのは、イジュンが接近する〈放射線嵐〉を捉えてからだった。拡張現実で視界の先に投影されていた地図に赤い波紋が走り、彼は短く息を呑んだ。
予報ではまだ距離があるはずだったが、〈大樹の森〉が近いこの一帯では、風の流れや気候の乱れによって嵐の進路が変わることは珍しくない。
汚染地帯の空は気まぐれで、観測施設が構築してきた気象モデルが通用しないこともある。嵐は生き物のように軌道を変え、獲物を探すかのように迫ってくる。
俺たちは即座に進路を変え、廃墟と化した高層建築へと向かった。エントランスは極彩色の植物に埋もれ、足の踏み場もない。腐食した鉄骨が露出し、霧の奥で植物の影が揺れている。
最悪なことに、菌類の胞子が霧のように漂い、ガスマスク越しでも喉が焼けるような刺激がある。コトネは無言で前に出て、義肢の刃を展開し雑草を切り払っていく。
変異体と遭遇する危険性はあったが、嵐をやり過ごすために建物の奥へと進んだ。内部は薄暗く、壁面は変異植物に侵食され、蛍光色の菌類が点々と光っている。階段は崩れ、床は湿っていて、どこかで甲虫の外骨格を擦る音がした。
外では風が唸り始め、遠くで空気が焼けるような音がした。放射線嵐特有の、空間そのものが軋むような音だ。
監視端末がまだ生きているのか、断続的な電子ノイズが響く。嵐の到来に怯えるように、廃墟は低く唸り、内部の影がわずかに揺れた。
俺たちの足元では、菌糸が床を這い、踏みしめるたびに湿った感触が伝わる。嵐が世界を焼き尽くそうとする中、廃墟の内部は別種の静寂に満ちていた。生と死、機械と自然、汚染と変異――その境界が曖昧になった空間で、俺たちはただ息を潜めていた。




