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不死の子供たち・設定集  作者: パウロ・ハタナカ
第九部・新たなる脅威 後編

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169/211

169 崩落地帯〈運び屋〉


◆濃霧


 地下街は湿気と油の臭い、そして人間の汗が混ざった重たい空気が漂っていた。〈大樹の森〉が近いせいか、見慣れない格好の連中も多い。毛皮のようなものを肩に羽織る者、悪臭を放つボロ布をまとった者、どこか文明すら知らない野蛮な雰囲気をまとった者たちだ。


 彼らは森で暮らす部族なのか、あるいは〈侵食帯〉に適応した別の存在なのか、判断がつかない。〈蟲使い〉とも呼ばれるような連中も混ざっているので、厄介事に巻き込まれないよう、距離を置いたほうがいいだろう。


 地下街の治安は、悪くはないが良くもない。武器を持った者たちが通路のあちこちに立ち、商人たちは薄暗い照明の下で品物を並べている。値札はなく、値段は交渉次第。この場所では、それが当たり前だ。


 俺は荷物を背負い直し、〈侵食帯〉へ向かう前に必要な情報を集めるため、地下街の奥へと足を進めた。目的は――〈灰荷隊(はいかたい)〉だ。


〈灰荷隊〉は、〈大樹の森〉で活動する探索者たちに物資を届ける配送集団で、この辺りを拠点とする者たちの命綱でもあった。その組織に所属する者たちは〈歩荷〉、あるいは〈灰荷〉と呼ばれ、〈侵食帯〉から森の奥まで、危険な経路を熟知していた。


 彼らは、運び屋である俺にとっても重要な情報源だ。安全な移動経路を知っている者は、それだけで価値がある。


 地下街の一角、簡易バリケードで囲まれたスペースに、灰色の外套を羽織った〈灰荷〉たちが集まっていた。背中には荷物を固定するための器具やハーネス、腰には古い端末と地図データの入ったメモリ。彼らは周囲に警戒しながら、小声で配送ルートを確認しているようだった。


 薄暗い照明が彼らの外套に鈍い光を落とし、まるで灰色の影が寄り集まって蠢いているように見えた。地下街の喧騒の中で、彼らだけが奇妙に落ち着いた空気をまとっている。危険な道を歩く者特有の、静かな緊張感だ。


 その集団のなかに見知った顔を見つけると、俺は日本語で声をかけた。


「〈侵食帯〉の北側ルート、今は通れるか?」


 灰荷の男は、俺の顔と装備を一瞥し、次に背後に視線を向けて同行者がいないことを確認してから口を開いた。


「通れなくはないが……霧が濃い。変異体の動きも活発だ。〈灰の裂け目〉に行くのなら、西側の崩落地帯を抜けるのが無難だな」


「崩落地帯か……地割れのそばにある高速道路の高架は崩れていないのか?」


「健在だ。昨日、仲間が通った。ただ、狂ったアサルトロイドが巡回していたって話だ。気をつけろよ、運び屋」


 彼はそう言って、地図データを俺の端末へ送信した。簡素なものだが、必要な情報はすべて詰まっている。


 やはり、頼るなら〈灰荷隊〉だ。汚染地帯で生き残るには、その道を知る者の言葉を信じるしかない。俺は礼を言い、クレジットが詰まったカードを手渡して、そのまま地下街の雑踏へと再び身を紛れ込ませた。


 今回も安全性を考慮して、カプセルホテルではなく、ひとりになれる個室を選んだ。壁は薄く、換気も悪いが、鍵がかかるだけ上等だ。地下街のざらついた喧騒を背に扉を閉めると、ようやく肩の力が抜けた。


 その日の眠りは浅く、何度も物音に目を覚ましたが、それでも無事に夜を越せた。


 翌朝、いつものように警備隊が巡回し、商人たちが地下街を離れる時間帯に合わせて外へ向かう。通路には人の流れができていたが、見知った顔はひとりもいない。幸いなことに、昨日まで同行していた運送屋の傭兵たちの姿も見えなかった。


 胸の奥に残っていた嫌な感覚は、疲労による錯覚だったのかもしれないが、彼らと別れた判断を後悔する気はなかった。この街では、信頼は砂の城のように崩れやすい。


 地下街の薄暗い照明が、通路を行き交う人々の影を長く引き伸ばしていた。誰もが急ぎ足で、誰もが他人を信用していない。そんな空気の中を歩きながら、俺は今日もまた、この街の底で生き延びるための一日が始まるのだと実感した。


 薄暗いトンネルを通って瓦礫の通りに出る。今日はとくに襲撃もなく、静かな朝だった。近くで出発の準備をしている商人たちから、携行食と飲料水を買い、ついでに予備弾薬も補充する。これから先は変異体が徘徊する危険な区域だ。装備の不備は死に直結する。


 荷物を整えたあと、灰荷から入手したルート情報を拡張現実のインターフェースに投影する。昨夜のうちに精査していたが、念のため再確認する。


 地図データが視界の端に重なり、進むべき方向が淡いラインで示される。深呼吸をひとつして、俺は廃墟の通りへ足を踏み入れた。ここから先は、頼れる人間は誰もいない。その事実は、死の予感のように背中を冷たく撫でていった。


 本来なら、〈灰の裂け目〉に最も近い最短ルートを進むつもりだったが、灰荷の情報によれば濃霧が立ち込めていた。霧といっても自然現象とは似ても似つかない。汚染地帯から漂ってくるそれは、まるで意思を持つように一定の場所に留まり、風が吹いても形を崩さない。


 その霧の向こうでは、この世界の理から逸脱した生物が徘徊している。多脚車両ほどの大きさの大蜘蛛など序の口で、旧文明期以前の映画にしか登場しないような架空の化け物が、当然のように存在している。そして最悪なことに、多くの場合、人間は彼らの餌にされる。


 ここでは、ゾンビめいた〈人擬き〉ですらかわいい存在だ。だからこそ、最大限の警戒をしながら通りを進む必要がある。俺は濃霧を避け、かつて集中的に爆撃を受けた区画――崩落地帯へと足を踏み入れた。


 手のひら大の破片から、十メートルを優に超える巨大なコンクリートの塊まで、あらゆる瓦礫が無秩序に散乱している。地面は不安定で、踏みしめるたびに細かい砂が靴底から滑り落ちた。


 それらの瓦礫の隙間には、危険な変異体が潜んでいる。動く影、湿った呼吸音、金属を引っかくような音――どれもが、すぐ近くに何かがいることを示唆していた。もちろん、略奪者たちにも気を付けなければならない。彼らは変異体よりも脅威度は低いが、それでも狡猾で、人間の弱さをよく知っている。


 銃声が聞こえたのは、倒壊した橋のそばを歩いている時だった。乾いた破裂音が瓦礫の荒野に反響し、どちらの方向から撃たれたのか判別できない。俺は反射的に身を低くし、周囲の瓦礫の影へ滑り込んだ。


 霧の気配は遠ざかっているが、代わりに別の危険が近づいている。この先は、さらに厄介になる。そんな予感が、背筋を冷たく撫でていった。

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