現象(短編)
大井競馬場。
健太は今日もいつものように、予想台で声を張り上げていた。
「さあ、最終レースは勝負できるよ。今日の喜び、明日への希望、この馬で勝負! 勝負!」
予想台に小銭が置かれ、健太の手から手次々と集まった人に小さな紙が渡されていく。渾身の予想の目(数字)がそこにある。
予想を手にしたお客がそれぞれの方向に散っていくと、数人の常連客だけがその場に残った。いつものようにたわいもない話が始まる。
そこでも、やぱっり話題は馬のことだ。
「それにしても昨日の最終。キラボシの復活嬉しかったよな」
酒屋のおやっさんが楽し気な声を上げると、キラボシの話で盛り上がっていく。
「さすがにマサルの弟。ただでは終わりません。もうひと花咲かせてくれましたね」
会社を経営している紳士が声を上げると、とび職であるナカちゃんが、
「マサルって、あのマサル? 健太くんがよく口にするから、俺もやっと動画をみつけたから見てみたら、マジすげえね」
そこでナカちゃんが健太を睨むように見つめてきて、
「なんで、それを昨日のレース前に言ってくれないんだよ」
「健太くんが言ってても、あれは買えないだろ。相手(2着馬)だって人気薄で馬連でも超万馬券だったわけだし」
健太が口を開く前に、大工の菊ちゃんの声が飛び、ナカちゃんは「まあ、確かに」と口を曲げた。
だが、すぐに、
「でも、買えたかもしれなんだよ」
そう言うナカちゃんに対し、菊ちゃんが「もういいって」とさえぎって、他へと話題を変えようとしたが、
「いやいや、マジで。ちょっと聞いてよ」
ナカちゃんは話をやめるどころか、目が真剣になっていた。
◇ ◇ ◇
「なんなんだ!」
自分の体を見て、思わず叫んでいた。感覚的には、俺はここにいるのに影も形もない。
これはどういうことだ。知らぬ間に透明人間にでもなってしまったというのか。
なにやらざわめきが耳に届いてくる。ここはどこだ、と見渡せば、どうやら競馬場にいるようだ。
何が何だか分からない。とその時、よく見知った顔が目の前を通り過ぎた。
えっ、どういうことだ。あれか? 世間にはソックリな人間が三人はいるってやつか?
いやいや、服装まで見覚えがあるって……まさにこれは、顔、姿、格好、全てが俺そのものじゃないか。ということは、アイツがオレで、俺は幽霊? 生き霊? 幽体離脱? 頭の中は?マークだらけだ。
混乱する中で、ふと大型モニターが目に止まった。そこには馬の名が並んでいる。
「この出走馬には見覚えが……」
デジャブか? あっ! そういえば、このレースは!
目の前にいる競馬新聞を持つ中年男に、新聞を見せてください、と声をかけた。しかし、競馬オヤジは新聞とニラメッコをしたままである。
無視かよ! っていうか、もしかして見えていないし、声も聞こえてない?
俺は勝手に競馬オヤジの新聞を覗きこんだ。
間違いない。このレースは超万馬券が出た最終レースだ。たしか……6番のキラボシが1着。そう、間違いなくこれだ。レース後、これって俺の誕生日じゃないか、と悔しがったレースだ。
「6月11日。そう、6番と11番だ」
なんだか気持ちが高ぶってくる。たとえ、どんな状況であれ、超万馬券をゲットしてみたい。幽霊のような俺では手にできないとしても、アイツが、そう、俺の代わりにオレが。いや、もしかしたら、こうなって、そうなって、ああなって、どうにかなれば、俺が超万馬券を手にできるかもしれない。
俺は急いでオレの姿を追いかけた。
オレはいつもの場所で馬券購入用マークシートを手に、新聞を見ていた。
俺は人混みの中を通り抜けて、オレに近づいた。新聞を覗き込むと、6番と11番には、赤ペンでしっかりと×印が付けられている。完全に馬券検討から外している。
「そりゃ、そうだよな。成績を見たら、どう考えたって、買えるわけがないんだよ」
ため息まじりの呟きが漏れ、オレに声をかける。「なぁ、6‐11買えよ。絶対にくるから」
うそっ! まじか。
思いが届いたのだろうか、オレがうなずいたではないか。
よっし! 喜びのガッツポーズをする俺。
マークシートの数字を塗りつぶすオレ。
「くそっ! やっぱり声は聞こえないのか」
オレはただ自分の考えに納得でもして、うなずいただけだった。だから、塗りつぶされたのは、まったく別の数字ばかりだった。
記入を終えたオレがマークシートを手に自動券売機に向かっている。
券売機の前で立ち止まったオレが、お札を入れた。これでマークシートも入れたら、馬券は発行されてしまう。
「待て! はやまるな」
力の限り叫んだ。
と何かを感じたのか、オレの手が止まった。
思いは伝わる。伝わるんだ。
慌てて駆け寄り、「6‐11を買ってくれ! 俺の、そして、お前の誕生日馬券だぞ」
俺の魂の叫びに、オレは――顔を上げて辺りを見回した。そして、新聞に目を落した。
「よしっ! まだ間に合う。考え直せ!」
だが、耳をほじくったオレは、首を横に振って、この馬は絶対にありえない、と呟いてマークシートを機械の中へと入れてしまった。
「くそっ!」
虚しい叫び声が俺の中だけで響きわたった。
叫び声を上げ、俺は目を覚ました。見慣れた天井が目に映っている。
「夢……そうか、やっぱり夢だったのか」
ため息が漏れた。服装といい、状況といい、やっぱり昨日行った競馬を夢で見ただけだったのか。いや、まてよ。
跳ね起き、慌てて携帯電話に飛びついた。
これって予知夢かも!
だが、その期待は儚く崩れた。目をこらし何度見ても、表示された日付は変わらない。間違いなく次の日である。
ふと夢のことを思い、昨日ことを思いだしていると、ある記憶が引っかかった。
昨日、マークシートを発券機に入れる前、確かに何かを感じていた。なんとなく6番と11番の馬が、きそうな気がして、もう一度新聞へと目を向けていた。でも……買わなかった。
あぁー、悔しい!
あれ? ってことはこれって現実? うーん……。
◇ ◇ ◇
ナカちゃんが話し終えると、なんだよそれ、と笑い飛ばす菊ちゃんやおやっさんだったが、紳士は小さくうなずいていた。
その姿に、ナカちゃんが「マジなんですよ」とすがりついている。
紳士はにこりと笑みを返し、「ナカちゃん。それは〝気がした現象〟ですね」
「気がした現象?」
言葉を漏らしながら、首を傾げるナカちゃんの横で、菊ちゃんとおやっさんも同じような表情を浮かべている。
「ああ、あれですね」
健太が声を発すると予想台の上へと視線が集中してきた。にやりと笑って見せ、紳士を見れば、にこにこしている。
ナカちゃんの視線が行ったり来たりし、「なんだよ。2人だけで。ちゃんと説明してくれよ」
それに対し紳士は楽し気に、申し訳ない、と言って、説明を始めた。
「競馬をしていると時々あることなんですが、ナカちゃんみたいになんとなく感じることがあるんですよ。○○な気がしたんだよな、なんて後で悔しがる、あれです。つまり、〝未来のあなた〟からのメッセージを受け、そう感じているのかもしれないということです」
ナカちゃんたちがポカーンとしている。
その時、発走準備のファンファーレが聞こえてきた。
「ほらほら、最終レースが始まりますよ」
健太は紳士と目を合わせ、にこりと笑うと、予想台をおりて、ナカちゃんたちの背中を押してレース観戦へと向かった。




