五話(後編)
玉座の間に続く前室で、アンジェの震えは最高潮に達する。
エミリーに言われたとはいえ、やはりガブリエルと会話することが怖い。
なかなか足を進められない。
その左手を、ルーシーは握りしめた。
「……大丈夫ですわ、アンジェ様……ルーシーも一緒です」
部屋で泣き叫んでいたルーシーは、暫くして追いかけてきた。
そして、一緒に前室まで来てくれた。
エミリーもアンジェの左手を握る。
「さあ、お嬢様。リオン様を救えるのは……アンジェ様だけですから」
「う、うん……」
ルーシーの冷たい手。エミリーの温かい手。
二つの温度を感じながら、頷いた。
「お願い、します……」
その言葉を合図に、近衛兵がドアを開ける。
エミリーとルーシーは一歩下がった。
意を決して足を踏み入れる。
「皇帝陛下に……拝謁いたします……」
玉座に座るガブリエル。
漆黒の髪に灰銀の双眸。
近くで見るのは久しぶりだ。
無表情なのに冷たいあの視線が、アンジェを刺す。
(……う……)
重い空気。鉄の香り。周りの視線。
怖くて身体の芯から冷える。
「……ひっ」
小さくエミリーが悲鳴をあげた。
思わず、視線の先を見る。
赤と黒のカーペットに茶色のような、紫のようなシミができている。
(ここのカーペット、いつ見ても変な模様……)
不気味で、あまり好きではないセンス。
玉座の近くまで進み、アンジェは胸元で手を組んだ。
ガブリエルの顔を見るのが怖くて、俯く。
「あ……の……お兄様が、その……小国へ行くと聞いて……」
微動だにせず、ガブリエルは冷ややかに見下ろしている。
(この人、生きている……?)
実は人形かもしれない。だったらどれほどいいか。
そんなことをつい思ってしまう。
「あの……その、……それは、危険です」
そして流れる無言。静寂。
めげてしまいそうだ。
重い空気に泣きそうになる。
『お嬢様、しっかり!』
口ごもるアンジェに、エミリーは小さく声をかけてきた。
「えっと……じゃあ、あの、あの、私が……行きます!」
やはり無言。
ガブリエルどころか、周りの兵士誰一人動かない。
(この部屋、なに? 怖い……!)
逃げだしたい。
なんでもない、といって逃げ出したい。
(どうしよう、どうしよう)
パニックになる。
だが、そんなアンジェの手をエミリーが握った。
『大丈夫、大丈夫ですよ』
囁かれる声。いつもの優しい笑顔。
背中を押され、アンジェはさらに続ける。
「私が、あの、お、お兄様の替わりに……小国に……行きます!」
隣でルーシーが息をのむ音が聞こえた。
しかし、当のガブリエルの反応はない。
まるで、この場所にはアンジェとエミリーとルーシーしかいないようだ。
時が止まったように静かである。
(のど、のどが渇く……)
緊張からか、恐怖からか。
喉と口の中が渇く。
粘膜がくっつきそうだ。
「あ……えっと……」
掠れる声、つばを飲み込む。
アンジェが何か言わないと、この恐ろしい空気は終わらない。
(怖い、怖い、早く帰りたい……!)
心臓がバクバク鳴る。飛び出しそうだ。
いっそそのまま飛び出してくれたらいいと思う。
「だから、その……お兄様のこと………許して、くださいませんか………?」
早く終わって、という気持ちを込めて顔を上げる。
一瞬、ガブリエルの目が揺らいだ気がした。
「わかった」
久しぶりに聞いた声。
聞きなれない、低い男性の声。
「小国へ行け。話は以上だ」
「ありがとうございます、お父様……!」
ついはしゃいでエミリーの顔を見る。
笑顔を向けるエミリーの目には、薄ら涙が浮かんでいる。
「下がれ」
「は、はい……!」
小国行になったことに安堵した。
これできっと、リオンが助かるはず。
前室に入った途端、エミリーは抱き着いてきた。
「やりましたね、お嬢様!」
「ええ、ええ! やったわ!」
エミリーから抱き着いてくるなんて初めてだ。
達成感で、アンジェの目にも涙が浮かぶ。
「………はあああ………」
その隣で、ルーシーが大きなため息を吐いた。
それすら今のアンジェには、些細なことだった。




