三十八話(前編)
布でくるんだ男児を入れたカゴを、ルーシーは大事に抱えた。
クリスの悲痛な叫びがルーシーの髪を引く。
「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……!」
泣きながら外に出ると、全身甲冑の兵士がいた。
「ジョシュ様……!」
「ルーシー様!?」
守るように、カゴを更に大事に抱える。
クリスが何ヶ月も苦しんで生んだこの子を、奪われたくなかった。
「……事情が変わったんですね。その子を逃がすのでしょう。あちらの方角に、抜け道があります」
「……え……?」
驚きもせずに指をさすジョシュ。
ルーシーは口を半開きにして指の先を追った。
「城壁を抜けたら北へまっすぐに」
「……え、ええ……でも、なぜ……?」
「私はそこで育ち、宮廷へ来ました。安心してください、神父を含めみな信頼できる方々です。さあ、早く」
「も……申し訳ございません……!」
ルーシーは泣きながら走り出した。
(エマ様とジョシュ様は……万一のことを考えていらっしゃったんだわ)
エマが言っていた村のはずれの教会。
漠然としていたが、ジョシュの案内で目星がついた。
(……私は、何も知らずに……無意味に、クリス様の慰めにもならない言葉ばかりをかけて……)
双子を妊娠していることに気付けなかった。
『触らないで』『近付かないで』と拒絶するクリスの心を思い、従ってしまった。
その結果、尋常じゃないほどに体調が悪くなるクリスを心配するだけになってしまった。
初産だから、心労がたたって。そうやって様子見をしていた結果がこれなのだ。
(ごめんなさい、ごめんなさい………)
城壁にある小さな穴。抜け道。
這いながら潜り抜け、ルーシーはひたすらに走った。
カゴの中には、産まれたての男の子。
ほやほやと小さく泣く、僅かな金髪が生えた男児。
(ああ……ジョシュ様に……お見せすればよかった……?)
一瞬脳裏をよぎる。それは余計なことだ。
ジョシュ。十六歳になり宮廷に来た男性。
小国出身で、かつ戦争孤児。
ガブリエルは見抜いていた。
分け隔てなく、可哀想な人物に惹かれる性質を。
そして、激しく拒絶した傷心のクリスを癒すという名目で、ジョシュをあてがった。
本当の目的は、もう一度従順にさせること。
(ごめんなさい……ごめんなさい……)
勅命を受け、ジョシュは従うしかなかった。
クリスに部屋に案内されたときは、きっと計り知れない葛藤をしただろう。
ガブリエルへの忠誠と、クリスへ恥をかかせてはいけないという命令。
(私はいつも……見てるだけだなんて……)
何もかも、知っていた。
不本意ながらもジョシュと関係を持ったクリスに、その晩から毎日眠り薬を料理に混ぜていた。
最初はスープ。すぐに違和感に気づかれてしまった。
苦しそうに全部平らげる姿が痛ましく、翌晩からはハーブを加えた果物水に入れた。
両が少なくなったとはいえ、薬の味は際立っていたようだ。
嫌がるクリスに、エマがなんとかごまかしながら飲ませていた。
(ごめんなさい……ごめんなさい………)
クリスが寝てから部屋に来るガブリエル。
身の毛のよだつ話だ。
昼間はジョシュとクリスを引き合わせ、夜は自身が過ごす。
それがガブリエルが思い描いていた、クリスの書き換え。
拒絶したクリスを元に戻す、手順。
(恐ろしい……エマ様の話だと、優しさだと思っていることを含め、恐ろしい方……!)
あまりにも傲慢で冷酷ですぎる。
『あの方は、人の心が分からないのよ』
ルーシーが猛反対をしたとき、エマはそうこぼした。
普段は諫めるエマの口から出た言葉。
エマも、思うことろがあるようだ。
しかししょせんは侍女。
下された命令に、毎日泣きながらルーシーは眠り薬とハーブを調合した。
(分っていたのに……知っていたのに……何もできず、ごめんなさい)
立場を同じくして何もかもを知っているエマは、気丈に振舞っていた。
元皇妃の侍女で、まだ傷が癒えていないというだろうに、クリスへ誠心誠意仕えていた。
とても頼りになる侍女長。
そして、顔には出さないが、誰よりも情に厚い女性。
(私が頼りないから……エマ様にも無理させてしまった……)
ルーシー一人だけだったらきっと心が持たなかった。
厳しくも優しいエマが傍にいてくれたから、頑張れた。
「はあ、はあ……はあ……!」
息が苦しい。脚が重い。
夜風の冷たい空気に、肺が凍りそうだ。
それでも、ルーシーは走り続けた。走らなければならなかった。
(だから……だから、この子だけでも………!)
絶対に助ける。ひたすらに一本道を北を目指し駆け抜けた。
(あ……明かりが……)
意識が朦朧として来て、歩いているのか走っているのか分からなくなったころ。
小さな村の集落、そして、奥にある少しおきめの建物。
(教会……!)
止まりかけていた足が、再び勢いを取り戻す。
吸い込まれるようにドアに体当たりしながら、ルーシーは叫んだ。
「すみません!! すみません!! 誰か!!!」
ドンドンドン、と大きくドアをノックする。
「すみません、誰か!! いませんか、助けて!!!」
「今開けます」
落ち着いた低い声。中から出てきたのは初老の男性。
とても身なりが良い。神父だろう。
「あ、あの………」
「……話は伺っています」
「……え!?」
皺の深く刻まれた手でカゴを受け取り、男性は目を細めた。
「……ジョシュから何ヶ月も前から手紙で相談されていました。多額の寄付金も。このことは他言しません」
「………………」
「名前はもう決めていますか?」
「な、名前……? い、いえ……」
「では、この子はセオドールと名付けます。神の贈り物、セオドール」
「……は、はい……」
安心感で膝の力が抜け、ルーシーは崩れるように座り込んだ。
「この子を丁重に」
後ろを振り向き、カゴを渡している。
開いたドアの隙間を覗くと、二人の修道女が控えていた。
「ご安心くださいね。セオドールは私たちが立派に育てますわ」
そういって二人は奥の部屋へ入って行った。
「だいぶお疲れのようですが、休憩されますか?」
「あ……い、いえ、……すぐに戻らないと……」
「そうですか。扉は開けておきますので、ご自由にお過ごしください。神のご加護があらんことを」
神父もまた、奥の部屋へと入って行った。
大聖堂の中、一人取り残される。
(ジョシュ様……)
手紙も、寄付金も、何もかも先手を打っていたようだ。
もし、万が一のことがあればと。
ただ、エマもジョシュも先を見据えていたのだ。
(エマ様……ジョシュ様……)
それに比べて、ルーシーは何もできずに狼狽えながら見守ることだけ。
ただ、ただ今は、一つの命を繋いだ。
ほんの少しだけ、役に立てたかもしれない。
その達成感は、確かにあった。
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