三十六話(後編)
何だか最近変である。おかしい。
毎晩うっすらと見る夢。そして治らない腰痛。
(……こんなに痛いものなの……?)
一ヶ月は経っていないが、何週間も腰に鈍い痛みがある。
(腰って一回傷めると長引くのよね……それより……)
確かに毎日ジョシュと過ごしている。
しかしまさか、ほぼ毎日夢を見るなんて。
顔が赤くなり体温が上がる。ぱたぱたと手で顔を扇いだ。
(まあ、幸せだしいっか……)
あくびをしながら、ゆっくり瞬きをする。
ドレスを着せていたルーシーが不思議な顔をしている。
「まだ眠いのですか?」
「え!? ええ……まあ……」
「顔も赤いですが……」
「そうかしら……」
見透かされた気がして、クリスは目を逸らす。
すると、またあくびがでた。
(……最近、眠いのよね……)
前は昼食の時を抜けば、夕方まで一日中ジョシュと一緒にいた。
それが、ここ数日はお昼を食べ終わると昼寝をしてしまう。
「あのお水、滋養強壮って言ってるのに全然効かないわね……」
無理して毎晩飲んでいる苦みのある果物水。
とても不味くて飲みたくないのに、飲むまでエマが目を光らせているので我慢して飲むしかない。
「大国に来てから体力が落ちたわ、これじゃあ日常生活もままならなくなりそう」
「……少しお待ちください。エマ様にご報告します」
「え!? 何を報告するのよ、怒られるじゃない!」
「あ、いいえ、相談、相談です。クリス様が快適に過ごされるように……」
ルーシーが慌てて言い直した。
少し訝しむが、ルーシーはそそくさと部屋を出て行った。
ひとりぽつんと残される。
テーブルに肘をつき、顎を乗せた。
またあくびをする。身体も熱い。
(眠いから体温が高いのね、子どもみたい)
ふふふ、と笑って目を閉じた。
先ほど起きて朝食を食べたばかりなのに、うとうとと眠い。
前なら窓辺によってジョシュの姿を確認したが、今はとても億劫だ。
(………?)
外から話し声がする。女性たちの声。
ルーシーとエマだろうか。
直後に、ダダダダ……と階段を駆け上がる音。
「失礼いたしますわ」
ドアを開けて入って来たのは、血相を変えたルーシーとエマ。
驚くクリスに、ルーシーは口をパクパクと開く。
「あ、あの、エマ様に……」
「クリスティナ様、月のものが遅れているようですね」
その言葉に、頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
「……違うわ、違うのよ……!」
弾かれたように立ち上がり、クリスは首を振る。
「少し遅れているだけ、絶対に違う!」
「いいえ。とっくに来ていてもおかしくありません……それに、眠いのでしょう?」
ぱっとルーシーを見る。目が合うと、ルーシーは視線を逸らした。
「眠くないわ、勘違いよ」
「身体にだるさはありますか?」
「……疲れやすいだけ」
「身体が熱っぽいことは?」
「……違う……」
「胸の張りや下腹部の痛みは?」
「……月のものの前だからよ!!」
逃げるように窓際へ後ずさる。
ふと視線を落とした窓の外、ジョシュが背中を向けて立っていた。
「……違う……」
涙が溢れた。
エマとクリスの予想がもし、正しければ。
妊娠しているなら、それはジョシュとの子だ。
「はあ……大丈夫ですわ、問題ありません」
少し震えた声で、エマは頷いた。
「なによ、何が大丈夫なのよ!」
あまりにも突き放した言葉に、クリスは思わず叫ぶ。
「じゃあ、じゃああの人、ガブリエルを呼んでよ! そうすれば、そうすれば……うっ」
想像した瞬間に、久しぶりに吐き気が蘇る。
先ほど食べた朝食がせりあがってくるのを感じた。
その場で崩れ落ちる。
「クリス様!」
「ルーシー急いで、安静と安定を優先に」
エマがテーブルを移動し、ルーシーがクリスの身体を支えベッドに運ぶ。
「暫くは安静にしていてください」
クリスの乱れた前髪を掻き分け、エマは冷たく言う。
その言葉にすら、涙が溢れた。
「……消してちょうだい……」
「クリスティナ様……私たちに、そんなことは許されません……」
「だってこの子はジョシュの子よ!!!」
手の甲で両眼を押さえる。
絶望だ。妊娠してしまった。
うすうす感づいていた。そんな気はしていた。
しかし、改めて突き付けられると、心が抉れるほどに痛い。
「いいえ、ジョシュ様の子と決まったわけでは……それにまだ、不確定ですわ。時間が必要です」
「……今まで遅れたことなんてないもの……。……産みたくない……」
「滅多なことを言ってはいけません。……まだ様子見です」
エマがクリスの前髪を優しくなでた。
「クリスティナ様の御子であることには変わりません」
「……ジョシュとの子でも……?」
「ええ、もちろんです。ルーシー、暫くは離れずに体調をよく観察すること。いいわね」
「は、はい」
「食事も私が運ぶ。じゃあ、……席を外すわね」
泣いているクリスの顔の横にハンカチを置き、エマは部屋を出て行った。
「どうしよう、ルーシー……」
「大丈夫ですわ、落ち着いてください」
「その大丈夫って何よ!!!!」
エマが置いていったハンカチをルーシーに投げ捨て、クリスは声を上げて泣いた。
(もういや、嫌よ! 妊娠なんてしたくなかったのに!)
売られるように大国に来て、塔の閉じ込めらている。
初恋の想い人は冷徹な性格になっていた。
身内を容赦なく切り捨てて、皇帝の座に就いた人。
そして、息子の身を案じた元皇妃を切り捨てた人。
(この子も私も……殺されるの……?)
胸に不安が押し寄せてきた。
ルーシーが傍にいるけど心細い。
(ああ、ジョシュに会いたい……)
そういえば、本当なら今の時間はジョシュと過ごしていたはずだった。
レーズンを食べながら、他愛のない話をして。
(楽しかったなあ……)
きっとこれからまたずっと、この狭い部屋に閉じ込められるのだろう。
今度はエマとルーシーの意志によって。
そこにはきっと、クリスの意志はないのだ。




