三十五話(後編)
昼食の時はジョシュだけが気まずかったが、夕食時間の今はルーシーとエマに対しても気まずい。
居たたまれない気持ちになった。
(さっきみたいに、掃除してくれていたら気が楽なのに……)
それなのに、二人はクリスが食事を食べるところをじっと、硬い表情で見つめている。
まるで昼のことを咎められているような気持ちになる。
恥ずかしさに、無意識に手を動かし食べ物を口へ運ぶ。
夜は少しのサラダと、スープ、そしてパンだけだった。
少ない食事である。
ただ、あの後ずっと部屋で過ごしていたためあまり空腹ではないから助かる。
(……このスープ、美味しくない……)
甘いコーンスープなのに、少し苦みがある。
前食べたときは甘くて濃厚で美味しかったのに、なんだが別の味がする。
慎重に口に運び、舌で転がす。
苦みもだが、舌がピリピリするような痺れもある、気がした。
(毒……?)
しかし、ルーシーが毒見をしてから持ってきてくれているし、銀の食器もくすんでいない。
(不味いだけ……?)
気味の悪いスープを避けて、パンとサラダだけを食べた。
「ごちそうさま……」
「スープが残っていますわ」
スプーンを置くと、エマが指摘してきた。
体調悪いときにあんなに残しても何も言わなかったのに、口出しをされた。
「……お腹いっぱいなの」
「時間をかけても構いません、お召し上がりください」
エマが近づき、スプーンを握らせる。
有無を言わせない、威圧的な態度でゆっくりと言い聞かせてきた。
ルーシーがおろおろと二人を交互に見ている。
「……食べたくないわ……」
「いいえ、召し上がるのです。かの国は貧しいと聞きましたわ。クリスティナ様が食事を粗末にされるなんて、民が悲しみます」
う……と喉が鳴る。
確かに、貧困極まっている母国でこのスープが出たらご馳走だ。
両親も、カトリーナも、国王のオスカーもみんな喜ぶだろう。
(そういわれると……断り辛いわ……)
スプーンですくって口に入れる。
とても不味い、気がした。違和感のある味。
ただ、エマの威圧感や昼間の失態があって、強く言えない。
あまり味わうことなく流し込んだ。
「……食べたわ……」
「ええ、結構です。では私は食器を片付けるので、ルーシーはご就寝の準備を」
「は、はい……」
「手筈通りにね」
そういってエマは部屋を出て行く。
ルーシーはクリスの身体を、洗面器に入った花の香りがついたお湯で丁寧に拭いた。
(良い香り……)
初めて嗅ぐ、華やかな香り。
香油とはまた違い、さっきまで委縮していた心が解れるそんな優しい香りだった。
ふわりと鼻をくすぐる香りを追いかけていると、頭がぼんやりしてきた。
服を着替え、髪をとかしてもらっているのに眠い。
(あれ……今日疲れたから……? それとも、この香り……?)
遠くでルーシーが何か言っている。
ずいぶん遠くで聞こえる声。音として聞こえるが、内容までは分からない。
目も焦点が合わなくなってきた。
(眠い……のかな……?)
ゆらゆら揺れる身体を誰かに支えられ、ベッドに寝かされた。
虚ろな目。閉じる。
頭の中でわんわんわんわんという変な音が聞こえる。
耳鳴りというより、脳鳴りとでもいうのか、頭の中で響く音。
「……ました……」
「……か」
「……です……」
誰かが何か喋っている。ひとり、ふたり?
眩暈のようなふわふわした脳の麻痺に、五感の自由が奪われていった。
(誰……?)
目は開かない。耳も聞こえない。遮断されている。
(あー………)
それに対してどう思うかとかはもう分からなかった。
ただ、頭の中がぐるぐると回っている。
(……なんか、へん……)
目を開ける。空が明るい。
昨日と同じく腰が痛い。同じ体勢で寝ていたようだ。
起き上がるのも一苦労だ。
さすりながら窓に近付く。
そこには全身甲冑のジョシュがいた。
(……私ったら、夢で繰り返してた……!?)
顔が赤くなる。
ルーシーが来るまでの時間、照れたり噛みしめたり、一人で忙しく回想する。
「おはようございます」
ほどなくして、ルーシーが部屋に入ってきて朝食を置いた。スープがある。
昨日のエマの威圧と不味さを思い出す。
(飲みたくないな……)
それでも、お腹が空いているので一口含む。
(美味しい……!)
昨日はなんだったのだろう、と思うほどにスープは甘く美味しい。
朝食もぺろりと平らげた。
ルーシーが丁寧に身支度をしてくれるのをそわそわと待つ。
昨日はあんなに恥ずかしかったのに、ジョシュに会いたくて仕方なかった。
「鍵は……私がお持ちします。定期的に様子を見に来ますので、二度と間違いは起こさぬように、とエマ様からです」
ジョシュとの関係を間違い、と片付けられ少しだけ機嫌を損ねる。
せっかくいい気分だったのに台無しだ。
(言われなくたって……分かってるわ!)
わざと力を込めてサラダを咀嚼する。
(まあいいわ。最近あの人に呼び出されないし、ジョシュと一緒にいると楽しいし、良いことばかりね)
エマは厳しいしルーシーは少し頼りないが、それは気にしないことにする。
ルーシーの身支度に関してはかなりきめ細やかで満足できるものだから。
とても大切に、丁重に扱ってくれる。
「ほらほら、早く行きましょう」
もたもたと鍵を探しているルーシーを急かす。
ドアが開くと、急に胸がドキドキしてきた。
胃の辺りが熱くなる感覚。
緊張してきた。
会いたい気持ちと恥ずかしい気持ちがないまぜだ。
「……おはよう」
「おはようございます、クリスティナ様」
挨拶をして、ジョシュが兜を外す。
昨日滝のように汗を流していたが、今は少しも汗が滲んでいない。
「それではクリス様……ジョシュ様も」
「……ええ、ルーシー様。また後程」
ルーシーがジョシュを睨む。
張り付けたような笑みを見せ、ジョシュは一礼した。
「えっと、あの、昨日は……」
「そういえばあちらに果物がなる木があるんです。クリスティナ様にお見せしたいと思っていて。ドライフルーツに最適なんですよ」
「ドライフルーツ!?」
懐かしい単語に、身を乗り出し食い気味になる。
「行きたい、行きたいわ!」
ジョシュは、こちらですと歩き出した。
小国にいたときはたまに食べるご馳走、ドライフルーツ。
甘い果物は貴重だった。
大国に来てからは、ほとんど食べる機会がない。
それもそうだ。みずみずしい果物があるのだから、食べる必要はない。
「これ……ブドウ? こんなにたくさん!」
宮廷から離れ、森の中に入る。
少し行った先で、ジョシュは足を止めた。
ずらりと並ぶブドウの並木道に、クリスは感嘆の声をあげた。
背の高い木には、たわわに房が下がっている。
「すごい! こんなにたくさんあったら、レーズンがたくさん作れるわ!」
木に駆け寄った。手を伸ばすが、あと少しなのに届かない。
少しだけかかとを上げるが、指先をかすめるだけだ。
「もう、生意気な木ね!」
採れそうで届かないブドウに、クリスは頬を膨らます。
「とりましょうか?」
「自分でやりたいわ!」
悔しくて、少し移動し別の房に手を伸ばす。
だが、やはり触れるだけだ。
「……では、持ち上げましょうか?」
ジョシュの提案に、ぱっと顔を輝かせて振り向いた。
「ええ! お願いね!」
ジョシュはその場でクリスを抱きかかえた。
高くなる視線。手を伸ばせば、簡単にもぐことができた。
「ふふふ、やった! とれたわ!」
ジョシュに見せようと思い、横を見る。
とても顔が近い。交わる視線。
とても澄んだ、金色の瞳。
「…………あ……」
昨日のことを思い出す。
恥ずかしさ、嬉しさ、そして――愛おしさ。
三つの感情がぐるぐるとめぐる。
そしてクリスは、ジョシュの頭に手を伸ばし唇を付ける。
辺りは甘いブドウの香りが漂っていた。
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