三十四話(後編)
朝はルーシーよりも早く起き、窓辺に向かう。
ジョシュが地面に座り込んでいる姿が見えた。
(本当に、一晩中いたんだ……!)
胸が弾むのと同時に、申し訳ない気持ちにもなる。
お腹は空いていないか。眠くはないか。身体は痛くないか。
心配になってきた。
コツコツと、いつもの靴音が聞こえてきた。
鍵を開け、食事を持ったルーシーが入ってきた。
「お早い目覚めですね」
「ええ、待ちきれなくって!」
テーブルに置いてもらった料理は、スープとパン、それから少しの野菜と柔らかそうな肉。
さっぱりとした酸味の乳製品と、一口大にカットされたみずみずしい果物も添えられている。
「体調がもし悪いようでしたら、パン粥に戻します」
「平気よ、とっても調子が良いみたい! ありがとう」
「それは何よりです、安心いたしました……!」
「ねえ、ジョシュはもう朝食を食べたかしら」
椅子に座っていては外が見えない。
そわそわと窓を見るが、空が見えるだけだ。
「ジョシュ様にもお食事は運びました」
「それならよかったわ! ちゃんと寝れているかしら……? あ……」
ぽろぽろとパンくずがこぼれる。
ルーシーはさっとしゃがんで掃除をした。
「……ありがとう」
「ご自身で……ご確認されましたら、ジョシュ様も喜ぶと思います」
ルーシーが顔をあげた。
笑みを浮かべるルーシーに、クリスは驚いた。
目の下に大きなクマができている。
そして、昨晩まるで泣いたかのように目が腫れぼったい。
初日には、クリスと同じ年齢で年相応の女性だと思っていたのに、今はずいぶん老け込んでいる。
「ルーシー……大丈夫?」
思わずクリスも地面に膝をつい、ルーシーの横に座る。
「まあ、クリス様お食事中にいけません!」
「でも……凄く疲れているみたい。大丈夫? 休めていないの?」
「ああ、お気を煩わせてしまい申し訳ございません、不甲斐なく……」
顔を伏せ、ルーシーはクリスを支えて立ち上がらせる。
「違うのよ、私はあなたのことが心配なの」
「……心配には及びませんわ。でも、侍女としてお見苦しい姿をお見せしてしまい、失礼いたしました」
クリスは口を閉ざす。
何を言ってもルーシーは受け止めてくれないようだ。
最初からそう。でも、当たり前なのだ。
クリスは主人でありルーシーは侍女。
この身分の差を埋めることはできないらしい。
(ルーシーは……そういう人よ)
侍女として、当たり前に様に、親身に尽くしてくれる。
それはきっと、ルーシーがそうしたいからではなく、立場なのだ。
距離を感じ、少し寂しく思う。
(でも、ジョシュは違う……)
兵士と公爵令嬢。
身分の差がありながらも、ジョシュは気さくで、まるで長年の友達のように親しく話してくれる。
昨日会ったばかりなのに、今の大国で一番、心が許せる人。
「ええ………」
席に戻りまた食事を再開する。
全部平らげると、ルーシーが髪を整え化粧をし、ドレスを着せる。
あっという間に皇妃に相応しい姿になった。
「クリス様……私は席を外しますので、お疲れになりましたら自由にお部屋に戻れるよう、鍵を開けておきます」
「え!? いいの!?」
毎度厳重に閉ざされていたドア。
一度も脱走しようと思ったことすらないが、律儀に施錠されていた。
クリスは、少し迷ってから頷いた。
「……はい。いくらジョシュ様とはいえ皇妃様の鍵をお渡しするのは……気が引けますので」
皇妃。その言葉が重くのしかかる。
(私、受け入れたくなかったのに………)
心のどこかで、突っぱねていればガブリエルが諦めると思っていたがそうではないらしい。
せっかくジョシュと会えるのに、気持ちは鉛のように重くなる。
「おはようございます、クリス様」
クリスが外に出ると、兜を外しジョシュは綺麗に並んだ白い歯を見せた。
「……それでは、ジョシュ様……お願い、いたしますね」
「はい、命に代えてもお守りいたします」
城に戻るルーシーは何度も二人を振り返る。
その背中に手を振って見送った。
「ねえ、朝ご飯は食べたの? 夜ご飯は? お腹空いてない? 疲れてない? どこで寝たの?」
つい、矢継ぎ早に質問してしまう。
ジョシュは一瞬面喰った表情をしたが、大きな声で笑った。
「クリス様は優しい方ですね。大丈夫、野営には慣れていますし食事もとっています」
「でも、ここで寝たら疲れない? 今日もなの?」
「そうですね、暫くはつきっきりになるかと」
何でもないように言われ、クリスは目を丸くする。
「暫くなんて危険だわ! しっかり食事や睡眠をとらないと……。私も、自国にいたときは――」
自然に会話が溢れる。
時を忘れるほどに楽しく過ぎる時間。
心の底から思える。幸せな世界。
いつの間にかジョシュが椅子をだし、クリスは座っていた。
「ジョシュは立ちっぱなしで平気なの?」
「これくらいは問題ありません。それよりも、クリス様はお疲れではないですか?」
「私は平気よ。ああでもジョシュ、あなた……ずっとここにいるんだものね……そうだわ」
とてもいいことを思いついた。
両手を合わせ、立ち上がる。
「私のベッドで休みましょう」
「……はい?」
笑顔を浮かべたまま、ジョシュが固まる。
「だって寝不足だもの。疲労はよくないわ。今晩だっていてくれるんだもの」
「……あー……えー………そう、ですねえ……」
目を輝かせるクリスに、急にジョシュは言葉を濁し始めた。
遠慮している、そう確信する。
「良いのよ、気にしないで。私、公爵令嬢だったときも負傷兵たちのための小屋を作って介抱していたんだもの」
今回ジョシュは怪我をしていない分、介抱する必要がない。
ただ、ベッドを貸すだけ。
「……あー……いえ、疲れていませんので………」
「遠慮しないでってば、ほら来てよ」
ジョシュの籠手を掴み、クリスは塔の鍵を開けた。
「……鍵、お持ちなんですね……」
「ええ、疲れたら部屋に戻って良いって言われたの。だから私のベッドを使って休んで」
「……ただ、その、……私は、持ち場を離れるわけには…………」
「同じ部屋にいるんだから問題ないんじゃない? 私のお目付け役でしょ?」
「……いえ、いや、えー……その…………」
「大丈夫よ。結婚する前にあの人――皇帝も介抱してあげたもの。私は誰にでもするの、気にしないで」
「………………………」
これだけ言っても悩んでいる。
無言で考えているジョシュの手を掴み、早くと急かす。
顔面蒼白なジョシュを、早く休めさせてあげたかった。
「こんなところで止まらないで。鍵を持ってるって他の人に知られたら大変よ」
業を煮やして少し強めにいうと、そこでやっとジョシュは塔の中に入った。
「ほらほら、早く早く」
「……いや……え―……? …………」
まだ何か言っているが、クリスは無視した。
ガシャン、ガシャン、と音を立てて二人は階段を進む。
「どうぞ、何もないけどベッドだけは大きいのよ。いいでしょ?」
この無機質な部屋、充分休めるスペースがあることだけが誇りだ。
それでもなお渋る。
あなたのため、疲れているから休みましょうと何度も説得すると、ジョシュは鎧を外しベッドに座った。
困惑している表情だ。滝のように汗が流れている。
(ジョシュもルーシーもエマも、大国の人って汗っかきなのね……)
ルーシーが用意してくれている清潔なハンカチを手に取る。
隣に座り、ジョシュの濡れた髪や顎を伝う汗を優しく拭いた。
「……ク、クリス様……!」
ジョシュが大量の汗を滴らせ、ぎゅっと目を瞑った。
苦しそうだ。徹夜が堪えているのだろうか。
のんきにそう思っていると、肩を掴まれた。
え? と思う暇もなく、唇が重なる。
(……なに?)
予想外の展開。困惑し、ただ見つめる。
(え……? これって……?)
反転する視界の中、ぼんやりと天井を眺める。
(え……まさか……? え……?)
頭が理解すると同時に、クリスはジョシュへ手を伸ばした。
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